年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

ネギ坊主ドーム-10

2007-08-02 | フォトエッセイ&短歌
你好<ニハオ>東北紀行

 いよいよ旅の最北地に辿り着いた。四つ星ホテルの昆侖大酒店ではフロアやレストランは大柄小柄の金髪のロシア人で華やかな雑踏をつくり雰囲気は一変している。ハルビン( 哈尔滨)はそういう土地である。また日本史を紐解く事になる。
 日本が日清戦争で清から取り上げた遼東半島を三国干渉で阻止したロシアは清に迫ってその見返りに満州の鉄道敷設権を手に入れた。満州を横断し不凍港ウラジオストックに達する東清鉄道である。小漁村であったハルビンは劇的な発展をとげる事になる。1920年代には欧米企業の支店が1000店を越え多くの欧風建築が軒を連ねた。国際都市ハルビンの誕生である。ロシア人約9万人、日本人約3千300人。その後「満州は日本の生命線」の大陸侵略の国策で日本人の開拓団移民が増加し、1932年の偽満州国成立後は実質的な日本の支配下におかれた。

 重い雲の中にある哈尔滨站(ハルビン駅)に到着する。1909年10月26日「韓国統監府」初代統監;伊藤博文が朝鮮の植民地化に反対する民族活動家<安重根>に射殺された地である。安は裁判で日本の侵略と伊藤の罪状を告発したが、翌年には死刑に処せられた。
 更に平房区には「侵華日軍第七三一部隊遺址」があり、中国人・ロシア人をマルタと称して約3000人を人体実験用に虐殺している。<コースに入っていませんネ。ハイ時間的都合で>。現地ガイドはニッと笑った。日本人の気分を害するような所はご案内しませんよ。あしらわれている!ソンナカンジ…


 ハルビンを象徴する代表的な欧風建築物で観光の目玉ソフィスカヤ寺院。ネギ坊主形ドーム屋根に赤レンガの外壁遺構にビザンチンの影響が見てとれる。1907年、帝政ロシア兵士の従軍用教会として創建されたロシア正教の教会である。どっしりした色合いが絵画のようである。

   

 中央大街(ロシア名・キタイスカヤ=中国人街):帝政ロシア時代の名残を留める街並みでハルビン最大の商業地域でファッションやウインドなど銀座と原宿を合わせたような雰囲気の街路。


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