暖冬とは云え梅花の旬は終わり、南から桜だよりが届けられるようになった。滝 廉太郎:作曲 武島羽衣:作詞の歌曲「花」の季節である。
『♪♪ 春のうららの 隅田川、のぼりくだりの 船人が
櫂(かひ)のしづくも 花と散る ながめを何に たとふべき♪♪』
明治33年、「花」を完成したという「花の碑」が台東区浅草の隅田公園にあるから、明治後半の浅草辺りの隅田川を歌ったものであろうか。 『♪見ずやあけぼの 露浴びて われにもの言ふ 桜木を…♪』口ずさみながら隅田川界隈をブラブラと散歩する事にします。
<まだ、春のうらら…とはいかない。冷たい雨滴を湛える花桃・カンパク(関白)>
どこ迄が東京湾でどこからが隅田川になるのか分かりかねる。取り敢えず「竹芝桟橋」を起点にしたが、あるいは芝浦桟橋あたりになるのかも知れない。
竹芝桟橋から真北 1,8㎞に芝浦と台場を結ぶ吊り橋(首都高速道路11号台場線:レインボーブリッジ)が望まれる。この台場線は首都高湾岸線から都心環状線に抜ける渋滞緩和の役割を持ったが、今また渋滞の関所となっている。
海面からの橋げたの高さ52m、世界有数の大型客船は航行する事が出来ず横浜港に寄港するので海の玄関の座を失っている。
<晴海埠頭やレインボーブリッジなどのダイナミックな景色が一望出来る>
竹芝埠頭の対岸の中央区豊海町(とよみちょう)は昭和38年に完成した埋立て地に出来た(現在)753世帯、人口1555名の町である。町名は住民の町名アンケートで決定されたという。
冷凍倉庫の立ち並ぶ豊海水産埠頭には漁船・冷凍船の絶えることはない。水産関係の商社・物流・冷蔵などの中にある港町である。春まだきの河口の汐風を蹴りながら巡視艇が旋回している。
<三宅島や小笠原諸島に向かう船が発着する「竹芝客船ターミナル」より望む>
『♪♪ 春のうららの 隅田川、のぼりくだりの 船人が
櫂(かひ)のしづくも 花と散る ながめを何に たとふべき♪♪』
明治33年、「花」を完成したという「花の碑」が台東区浅草の隅田公園にあるから、明治後半の浅草辺りの隅田川を歌ったものであろうか。 『♪見ずやあけぼの 露浴びて われにもの言ふ 桜木を…♪』口ずさみながら隅田川界隈をブラブラと散歩する事にします。
<まだ、春のうらら…とはいかない。冷たい雨滴を湛える花桃・カンパク(関白)>
どこ迄が東京湾でどこからが隅田川になるのか分かりかねる。取り敢えず「竹芝桟橋」を起点にしたが、あるいは芝浦桟橋あたりになるのかも知れない。
竹芝桟橋から真北 1,8㎞に芝浦と台場を結ぶ吊り橋(首都高速道路11号台場線:レインボーブリッジ)が望まれる。この台場線は首都高湾岸線から都心環状線に抜ける渋滞緩和の役割を持ったが、今また渋滞の関所となっている。
海面からの橋げたの高さ52m、世界有数の大型客船は航行する事が出来ず横浜港に寄港するので海の玄関の座を失っている。
<晴海埠頭やレインボーブリッジなどのダイナミックな景色が一望出来る>
竹芝埠頭の対岸の中央区豊海町(とよみちょう)は昭和38年に完成した埋立て地に出来た(現在)753世帯、人口1555名の町である。町名は住民の町名アンケートで決定されたという。
冷凍倉庫の立ち並ぶ豊海水産埠頭には漁船・冷凍船の絶えることはない。水産関係の商社・物流・冷蔵などの中にある港町である。春まだきの河口の汐風を蹴りながら巡視艇が旋回している。
<三宅島や小笠原諸島に向かう船が発着する「竹芝客船ターミナル」より望む>
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