年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

鑓水の峠越え

2007-04-01 | フォトエッセイ&短歌
 <絹の道-1> 幕末から明治初期の頃の話である。南多摩郡由木村鑓水地区(東京都八王子市鑓水:やりみず)と神奈川県横浜市をつなぐ道路を「浜街道(はまかいどう):別名・神奈川往還」と呼んだ。生糸を運搬する荷車が横浜港を目指して列をなし、西洋の文物を持ち帰えるなど、時代を感じさせる活況を呈していたという。
 日本の「シルクロード」にあたるということから、後に「絹の道」とも呼ばれるようになった。概ね国道16号線にあたり、現在も京浜臨海部と内陸部を結ぶ重要な産業道路として経済の動脈になっている。


 1996年文化庁は「絹の道」を街道遺跡として「歴史の路百選」に選んでいる。鑓水峠(やりみずとうげ)に残る0,5㎞程度の距離だが当時の面影をそのままに留めている。人力や牛馬に頼ってこの急峻な坂道に汗をひたたらせながら生糸を運搬したのだ。
 彼等の力足によって削り取られたかのように路面は凹んでいる。歴史は常にこんな庶民の労働の中にある。身売りのように野麦峠を越えた過酷な女工達の製糸工場の哀史を想いながら春の気配濃い峠の[絹の道]を歩く。

 街道筋の小泉家屋敷(有形民俗文化財)。茅葺き屋根の入母屋造りのどっしり重量感は民家建築の歴史と迫力を示し圧巻。外見は平屋だが内部は3階建てになっていて階上で養蚕を行う養蚕農家の典型的な建て方だという。おカイコさんの桑の葉を喰うザワザワの音響は潮騒に似ていて絶える事なく続く……。<小泉さんが生活しているので内部を見ることは御法度>


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