年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

毛野国・石の山城

2008-12-11 | フォトエッセイ&短歌
 中世(戦国時代以前)の城は、山の自然地形を利用して堀を掘ったり、土塁を築いたりして山全体を砦としたものである。前線基地で退却・転進など小回りが利き「城を枕に討ち死」などという発想が無かったのかもしれない。
 特に、石垣や石積みがないのが「関東の中世山城」の特長であった。ところが上州太田の金山城(かなやまじょう)の発掘調査で石垣・敷石を巧みに使った「石の山城」であることが判明し、注目されるようになった。本丸に達する最後の大手虎口(おおてこぐち=城の表玄関)の石垣・石積みは南米の遺跡を思わせる実践的なものである。

<まだ天守閣がない時代の山全体を要塞化した築城の様子がうかがえる>

 上杉・武田軍などの度々の攻撃に耐えて堅城ぶりを証明したというから、「石の山城」という事だけではない。敵を惑わせる複雑な通路や鋭く切れ込む竪堀(たてぼり)・堀切(ほりきり)などの防御施設も完璧である。
 切り立った崖を巻くように造られた桟道(さんどう)はいざとなれば切り落としが出来るようになっている。

<敵を惑わせる複雑な通路や攻撃を阻む桟橋など様々工夫が見られる>

 山城の最大の難問は水の問題で飲料水をどう確保するかであるが、金山城はこれをクリアしている。実城曲輪(みじょうくるわ=山頂の城主の館)のすぐ下、山頂に近い曲輪に井戸があり涸れる事がない。調査時に井戸浚いをしたが、今でもコンコンと水が湧き出るのだという。
 日ノ池・月ノ池が対になっていて、戦勝や雨乞いのなどの儀式を行った神聖な池であったといわれている。

<山頂に近い、日ノ池で水が涸れた事がないという。対岸に井戸枠が見える>


最新の画像もっと見る

コメントを投稿