年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

丹沢・影法師

2008-05-01 | フォトエッセイ&短歌
 労働者が企業戦士と言われていた頃、退職ともなると人生の終焉という感じだった。現在では、雇用形態や退職システムの多様さから退職もそれほど深刻ではなく、「第2の人生」の節目として語られるようになった。とは言え、60歳半ばまで勤め上げた退職は奇妙な感慨をもたらす。ヤレヤレと肩の荷を下ろしたような軽さとサテサテどうすんだという長くはない先々の重い終着駅の思いもある。そんな退職会で「秘湯めぐり」を行っている。
 孫のお守りか、町内会の世話役か、世界漫遊旅行か、語学の60の手習いとかいろいろある。まだらボケだの腰が痛いだの四十路の娘が嫁にも行かぬだのヌカしながら今を語る。かっての職場では3人の出社拒否が話題になっているとか。
 何か、明るさに立ち向かうような影法師がいいナ~。

<丹沢湖の上流・中川川東岸の隧道をウグイスの鳴き声が響き渡る>

 丹沢湖の水面の標高320 m 、流域面積 159 km²。この湖底に三保村が眠っている。
むかし昔・・・
西の「世附(よづく)川」、北の「中川」、東の「玄倉(くろくら)川」に沿って村が立ったんだと。明治42年、平和を保つという意味で三村が合併して「三保村」となった。その「三保村」にはこんな昔話があったのだと。
『ある男がヤマメを3貫も取って帰ったら、狐にみんな取られて、蕎麦畑の中で投網を打たされていたトサ』
『鉄砲撃ちの長七が丹沢山で夜中、糸を引く娘に出あった。化物だと思い撃つが、効かない。行灯を狙うと消える。翌朝見ると、毛の白い大きなムジナであったトサ』

<トンネルを出るとそこは新緑の深い湖面であった。ボートが揺れている>

 中川温泉は、今から約400年前に武田信玄が北条氏康との合戦で負傷した将兵を入浴療養させた事から、「信玄の隠し湯」と言われている。泉質はアル力リ単純泉でPHが高く、胃腸病、傷の回復などのほか、美容効果も高く、お肌がつるつるになる「美人の湯」と親しまれている。
 今日のお宿は、「蒼の山荘」。露天風呂は裏丹沢の山々を借景にした、野湯の趣である。

<「信玄の隠し湯」っていうのは実にどこにもあるんだ。別に隠すこともあるまいに>


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