年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

みちのく<9>羽黒山:五重塔

2010-10-05 | フォトエッセイ&短歌

 随神門(ずいしんもん=旧山門)をくぐって参道を進むと樹齢1000年と伝えられる巨杉:爺杉(じじすぎ)がある。それを過ぎると東北地方:最古の塔といわれ、国宝に指定されている羽黒山五重塔(はぐろさんごじゅうのとう)が忽然と現れる。平安時代中期の平将門(たいらのまさかど)の創建と伝えられているが定かではない。
 純和様の伝統的な手法による塔は、高さ約29m、三間五層の柿葺(こけらぶき)素木造(しらきづくり)である。均整の整った古色蒼然とした五重塔は立ち去り難い姿で時代の光芒を放っている。

<「五重塔」は通称で、正確には「千憑(より)社」。祭神は大国主命である>

 五重塔を過ぎると「一の坂」上り口でいよいよ2446段の石段が待ち構えている。仙人のような修験者ならいざ知らず、俗人・凡人には心臓破りの石段である。しかし、世は高齢化社会、有料自動車道路が山頂まで伸び、じいさんばあさんもお参りできるようになっている。
 「涼しさやほの三か月の羽黒山」芭蕉の句もある。さすが「奥の細道」を踏破した芭蕉さんは健脚であったのだ。

<杉の参道。実際の樹齢はわからないが、かなりの古木であることはわかる>

 なぜ、山門が「随神門」、五重塔が「千憑社」なのか。明治政府は神仏分離令(神と仏を切り離す)で山内の寺院や僧坊をほとんど破壊・廃止したが、仏と神を入れ換えて存続させたものもあった。
 五重塔の本尊は聖観音像であったが、これを焼き払い大国主命(オオクニヌシノミコト)を祀ったのはその一例である。歴史は権力によってしばしば改竄(かいざん)されるのである。
              
<仏様であれ神様であれ平和が一番。鐘楼堂の前に建立された世界平和の塔>