年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

梅雨明け<3>舟の関所

2010-08-01 | フォトエッセイ&短歌
 記録的酷暑の炎天下、川端の涼を求めて江東区の小名木川を歩く。小名木川は隅田川と荒川を結ぶ舟運のために江戸時代の初めに掘られた運河である。海産物や野菜・米などが舟で運ばれた。江戸八百八町の発展と共に、小名木川も生活必需品を運送する大動脈として発展した。
 農産物を満載した猪牙舟(ちょきふね)が列をなして江戸に向かう。下る時には手工製品や旅人を乗せて江戸を離れる。船頭たちが声をかけ合いながら艪を漕いで行く。そんな舟運の様子をイメージするのは難しい佇まいである。

<小名木川の中程のクローバー橋あたりか。涼風とはいかず熱気が漂ってくる>

 江戸に出入りする舟運の発達は厳重な警備が必要となる。そこで隅田川の深川の一画に「人改之御番所(ひとあらためのごばんしょ)を設けて、怪しい人物・武器弾薬の検査をした。いわゆる、舟の関所である。
 しかし、深川の「御番所」は江戸の中心部に近すぎるので、寛文元(1661)年に反対側の中川に移転している。中川は荒川に出る所に置かれ「中川舟番所」と呼ばれ、所長は旗本が任命されている。
 当時の地誌に「中川番所:中川の西岸小名木川の入り口にあり。中川関所とも云う。江戸より下総国葛飾郡行徳領の方へ往来通船改めの番所なり」と書かれている。

<小名木川の出入り口にあたる場所で「中川舟番所」のあった地点である>

 添士(そえし)と呼ばれる見張りの役人が舟の来たことを確認する。すると番頭と呼ばれる舟番所の役人が呼び止め「これ船頭、何用で何処へまいる。手形を改め」られ、舟荷の取り調べが始まる。
 手形の主は行徳村の善左衛門、江戸日本橋の河岸まで酒を運ぶところだ。小頭が手形と酒を調べる。「よし、通れ!」そんなヤリトリがあったのか…。

<天保5(1834)年に刊行された江戸名所図絵に描かれた「中川舟番所」の図>