年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

隅田川<30>弥太郎

2010-07-13 | フォトエッセイ&短歌
 三大財閥といえば三井、住友、三菱である。三井、住友は300年以上の歴史を持つ旧家であるが、三菱は岩崎弥太郎が幕末・明治期の動乱期に政商として、巨万の利益を得てその礎を築いた新興財閥である。
 弥太郎の最初のボロ儲けがフルっている。明治政府は大名の藩札を禁止して紙幣貨幣を全国統一することにした。この情報を新政府の高官となった後藤象二郎から手に入れた弥太郎は、10万両の資金を都合して藩札を手当たりしだい買占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を上げたのである。
 日本の最初の植民地、台湾出兵(明治7年)・西南戦争(明治10年)に際して軍事輸送を請け負って三菱商会を不動のものとした。政商・岩崎弥太郎の誕生である。

<海運業の岩崎が全国の名石を集め園内に配置。佐渡赤玉石・御影石等々>

 大正天皇の葬儀に用いた葬場殿を移築し大正記念館としたが、戦災で焼失。平成元年に全面リニュアールされたとある。

<星を祭る行事。七夕飾りで色紙や短冊がカラフルに飾られた大正記念館>

 涼しげに池面に立つ涼亭(りょうてい)は明治42年、国賓として来日したイギリスのキッチナー元帥を迎えるために建てられた。この時、三菱財閥はすでに2代目・弥之助も亡くなって三代目の岩崎久弥(岩崎弥太郎・喜勢夫妻の長男)が社長となっていた。
 インド軍司令官キッチナー将軍(元帥)はイギリス国王エドワード七世の名代とし日英同盟の絆を深める目的で来日し、宇都宮で行われた陸軍大演習を視察している。日本が日英同盟を背景に日露戦争に勝利し、帝国主義を確立期していく時期である。

<日本情緒豊かな数寄屋造りでキッチナー将軍は何を語ったのであろうか>