年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

09'秋浪漫<4>陸前浜街道

2009-11-22 | フォトエッセイ&短歌
 トラ・トラ・トラ(我レ奇襲ニ成功せり)。「帝国陸海軍は本8日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」太平洋戦争に突入した半年後の1972(昭和17)年の5月、早くも軍需用品資材の不足から「金属回収運動」が始まった。寺院の梵鐘や仏像などの強制供出である。
 安積疎水建設の功績を顕彰して地元の人たちが昭和6年に十六橋のたもと建立したファン・ドールンの銅像も戦時色が強まるなか供出の例外ではななった。心ある村人なのか、定かではないが、人知れず密かに山中の地中深くに銅像は隠された。そして、平和が訪れた時代に再び姿を現し十六橋水門を眺めることになったという。
 ファン・ドールンはオランダの土木技術者で、明治時代のお雇い外国人。約8年間にわたって日本で河川・港湾の整備計画を立てて活躍する。

<利根川・江戸川の改修工事で全流を踏査し日本最初の量水標の設置もした>

 猪苗代湖の安積疎水十六橋水門から太平洋岸の陸前浜街道に抜けるが、一度北上して土湯峠を越える事にする。奥土湯温泉郷の一帯で湯煙が荒々しい山肌から立ち上がっている。単純硫黄水素泉(45度~89度)とかで周囲の木々は硫黄にやられて育たない。

<まだ根雪の時期ではないというが、やがて深い雪の中に埋もれる事だろう>

 地図には「浜通りは原発銀座でもある」と記載されている。その福島第一原子力発電所を7km北上すると本州での鮭遡上河川の南限と云われる請戸川(うけどがわ)である。
 最近では多摩川から横須賀辺りでも遡上鮭が見られるが、漁業として地曳網漁を行っているのは浜街道のこの辺りからで「鮭漁の南限」の地と云われる。海で数年を過ごし成長した鮭は産卵するために産まれた川に戻って送る。ここで止められ遡上は出来ず、産卵はむなしく夢と終わる終焉の地でもある。

<川幅全体に展開する梁。ここを下って大海に向かったのは何年前だったのか>