年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

隅田川:ゆりかごめ 

2009-03-07 | フォトエッセイ&短歌
 隅田川といえば江戸情緒を織りなす文化の発信地であるばかりなく、水運を使った経済の動脈である。しかし、江戸時代には吾妻橋から下流は大川・浅草川と呼ばれ、上流は「荒川」・「宮古川」などと呼ばれていたという。フムッム…!隅田川が出て来ない。
 1965年の政令で荒川放水路が荒川とされてから岩淵水門より下流を「隅田川」とした。現在は新岩淵水門(東京都北区)で荒川と分岐し、神田川などの支流と合流し、東京湾にそそぐ延長23,5kmの河川を隅田川という。隅田川の歴史は浅いのだった。

<暮れなずむ大川端あたりの慕情。一日が終わる光と陰が川面に揺らぐ>

 「ゆりかごめ」の竹芝駅の東側一帯が竹芝埠頭である。「ゆりかごめ」は新橋駅から豊洲駅までを結ぶ16駅(14.7km)の新交通システム(特殊街路AGT)である。街路となっているようにいわゆる鉄道ではなくゴムタイヤを使用する「特殊乗り物」である。
 その竹芝駅の西側に江戸最古の大名庭園といわれる旧芝離宮恩賜庭園がある。
恩賜(おんし:天皇から賜る)庭園とははたまた時代がかったネーミングである。幕府滅亡の折りに紀伊藩の浜屋敷であった庭園は皇室領となったが、大正13年、皇太子(昭和天皇)の結婚記念として東京市に下賜されたという。

<銀河鉄道を連想させる江戸の未来都市。乗り物はすでに天空を走る>

 1979(昭和54)年、文化財保護法による国の「名勝」に指定されたが、周辺の開発のテンポが早く、大名庭園を満喫するシーンではない。高速道路と鉄道と高層ビルの狭間にネコの額ほどの庭園がビルの谷底の沈んでいる。
 文化財は国民共有の財産で子々孫々に残すのが今を生きる現代人の務めであるのだが…。目先のゲンナマを追い求める永田町にはそんな住人は住んではいない。

<高層ビルに沈む石組の庭園。これじゃあ~肩身も狭く「恩賜」公園も泣くワ>