年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

みちのく・細道

2008-10-15 | フォトエッセイ&短歌
 『月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也』。奥の細道(おくのほそみち)の冒頭である。松尾芭蕉が弟子の曾良(そら)を伴って江戸深川を旅立ったのは1689(元禄2)年の春、約半年かけて東北・北陸を巡っている。旅立って1ヶ月後には憧れの白河の古関に着いている。
 「道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず」白河郷に入ったが、「西か東か先早苗にも風の音」にあるように、関所が東にあるのか西にあるのか皆目見当がつかず戸惑ったようだ。
 元禄といえば忠臣蔵の時代、松平定信が白河の関は「ここだア~」と宣告する前の100年も前のことである。関はこのあたりでいいのかナ~と旗宿の村落辺りの風景を眺めた思われる。

<「奥の細道」を旅する白河の松尾芭蕉と門弟の曽良。秋桜が揺れている>

 『心もとなき日数重なるままに、白河の関にかかりて旅心定まりぬ。この関は三関の一にして、風騒の人、心をとどむ。秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢なほあはれなり。卯の花の白妙に、茨の花の咲き添ひて、雪にも越ゆる心地ぞする』白河の古関に感無量の体である。
 白河の古関がどこか明確では無かったが、えらく感動した事は間違いない。白河神社の佇まいも郷愁を誘う。

<白河の関は、勿来関・念珠関とともに奥羽三関。北の備えの砦であった>

 俳人芭蕉はおもむろに矢立(やたて=筆)を取りだして、俳句に取りかかるがなかなか筆が進まない。白河や… 白河や…!感極まってか、景色に見とれたか、後が続かず断念して矢立を収めてしまった。
 芭蕉は云ったという「絶景にむかふ時は、うばはれて叶はず」と、つまり余りの絶景に魂を奪われて俳句を作れなかったと云う。松島でも二の舞を演じている。「長途のくるしみ、身心つかれ」と書いているから単に疲労困憊して集中力を欠いたのだという説もあるが、何かズルイナ~。
 『卯の花をかざしに関の晴着かな』は弟子の曽良の句で、解釈は面倒なので、「ひるがおをかざしに関のバスストップ」お粗末コピーでやんす。

            
<関所はこの旗宿の村落だろうと推定される。ヒルガオが淡く俳句の世界だ>