年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

みちのく・南湖

2008-10-06 | フォトエッセイ&短歌
 陸奥(みちのく)の玄関口として歴史的にも地理的にも重要な位置を占めてきた福島県白河市は江戸時代の白河藩のあったところ。藩主・松平定信(まつだいらさだのぶ)は老中に就任し「寛政の改革」を行い、江戸時代中の最高の名君といわれていた。
 その名君ぶりを伝える一つに南湖公園がある。説明によれば『定信はこの公園において身分の差を越え庶民が憩える「四民(士農工商)共楽」という思想を掲げて公園を造りました。「共楽亭」と称する茶室も設けて、四民と楽しみを共にしました』とある。

<「やま水の 高きひききも隔てなく 共にたのしき 円居すらしも」  定信>

 最近、松平定信の最高名君説は批判が多く金権政治で悪徳イメージの強い田沼意次にその座を奪われている。「白河の清きに魚も住みかねて もとのにごりの田沼恋しき」定信の清廉潔白の政治姿勢に対する狂歌である。「幕府の権威を再建する」という謂わば歴史の流れに棹さす発想では政治改革にはならなかった。
 こんな指摘もされている。定信は政治家というより学者、文化人で著述などに理解あってしかるべきなのに彼ほど徹底的に言論・出版の大弾圧をした人物は他に類を見ない迷君・暴君であると。
 寛政異学の禁に始まり、林子平・山東京伝・恋川春町など禁固刑に処し言論・出版界の息の音を止めたのが定信とも云う!

<「南湖」の名は李白の詩句「南湖秋水夜無煙」から付けた。湖面の腐柱>

 田沼意次を追放したのは松平定信、松平定信の改革の足を引っ張ったのは田沼意次と囁かれている。清濁2人の官僚の比較は面白いが、またの機会にゆずる。ここは白河の地、定信名君説で一服いかがでしょうか。
 松平定信は茶の道に深く、「茶導訓」など茶道観を著し複数の茶室を設けている。遠州流に近く、「秋水庵」の茶室の建設も、四畳台目高台寺遠州好茶室を模している。この茶室は、「南湖」の命名にも通じる李太白の詩句「南湖秋水夜無煙」から「秋水庵」と名付けられたとか。
  
<老杭に芽吹く。作庭は1801年、我が国最古の庶民に開放された「南湖公園」>