年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

幻想の大倉山

2008-04-23 | フォトエッセイ&短歌
 坂を登りきって大倉山公園に足を踏み入れると、「古代ギリシャ風神殿」を想起させる白亜の重厚な建物が展開される。「横浜市大倉山記念館」(指定有形文化財)である。列柱の下部が細くなっているが、これはプレ・ヘレニズム様式。プレ・ヘレニズムとは、ギリシャ文明が栄えるより前にエーゲ海で栄えたクレタ文明に由来する様式で、世界的にも類例を見ないとか。
 <クレタ文明は紀元前2000年頃にエーゲ海のクレタ島に栄えた文明で、クノッソス宮殿跡などがよく知られている>
 「東西文化の融合」を掲げる大倉邦彦に共鳴した古典主義建築の第一人者、長野宇平治の設計による「大倉精神文化研究所」である。1981年、横浜市が寄贈を受け、現在はギャラリーやホールや図書館など市民の文化芸術の活動拠点の一助にもなっている。

<大倉邦彦(1971年没)は日本橋で紙問屋を経営。1932年に研究所を開設>

 大倉邦彦の人となりは知らない。ガイドによれば、佐賀の士族江原家の産、上海の東亜同文書院を卒業後、大倉洋紙店社長に就任する。日本の教育界・思想界の乱れを憂えて教育や思想文化研究に力を注いだ。その研究機関として「大倉精神文化研究所」を開設したとある。
 <丘を地球と見立て、敷地を世界地図の形に造園して、その中心位置に深さ三十尺の穴を掘り、ここを地球の芯としてそこに四尺四方の石棺を据え、その中に青銅の柱を立てた>とあるがよく意味がわからない。が1945年、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに拘禁されたとあるから、その方面で頑張ったのであろう。
 
<階段上部は吹き抜けで独特な空間を構成し、登る者を獅子と鷲が睨んでいる>

大倉山の高台に建つ記念館の周辺には松が大きく生長し、梅林、桜、ハナミヅキ、それにコブシ、コデマリ、と言った四季折々に花が咲く。正面玄関左脇にある榧(カヤ)の木は、樹齢200年ぐらいとか。記念館を大きく覆うように大きく育っている。

<塔屋、外回りの下部が細くなっている列柱にエーゲ海を思わせる春の陽が>