年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

古代から悠久の彼方へ(1)

2007-12-09 | フォトエッセイ&短歌
 多摩川の二子橋から上流眼下を見ると兵庫島を挟むように右側から流れ込んでくる一本の川が見える。これが野川で上流12キロ位に国分寺がありその周辺が野川の水源地である。この野川沿いの台地は「遺跡の丘」といわれるくらい敷きつめたように遺跡があった。
 武蔵野台地(関東ローム層)は水はけがよく大地に降った雨は地中にしみこみ、その下にある礫層を伝わって川に面する崖に流れ出てくる。いわゆる「湧き水」である。
 そうなのです。<水こそ我が生命>原始・古代の人々は、日当たりが良く・水はけが良く・豊富な湧き水が絶えることのない絶好の条件を備えた野川沿いの台地に集落を構えたのだ。縄文時代・弥生時代~平安時代から中世へと連綿と続いた文化財の宝庫となった。しかし、丘を削り谷を埋め、コンクリートで固める開発が進み圧倒的多数の文化財が姿を消した。
 三鷹市にある広大な敷地を持つ国立天文台の南西側に野川は流れている。この一角は住居跡だけではなく神聖な墓域でもあったのだろうか。現在、三鷹市内に現存する唯一の高塚古墳の調査が行われている。

<玄室・前室・羨道を持つ典型的な横穴式古墳。トレンチから墳丘の構築を調査>

 東京都三鷹市大沢にある国立天文台の歴史は古い。発祥は江戸幕府天文方の浅草天文台でその後、東京帝国大学の天文台、麻布の東京天文台を経て1924(大正13)年に現在地へ国立天文台として移転する。我が国の天文学研究の共同利用センターで、戦前より数々の天体観測と重要な発見もあった。
 2004年、行政改革の一環として「独立行政法人:大学共同利用機関法人自然科学研究機構国立天文台」と何とも非常識な長たらしい名称になっている。
太陽分光写真儀室(アインシュタイン塔)は1930年に完成。高さ20mの天辺のドームから入った光はシーロスタット(平面鏡)に反射して垂直に取り込まれ、北側に続く半地下の大暗室で7色のスペクタルに分けられいろんな研究に使われるンだって!

<塔望遠鏡だが横溝正史のミステリーのシチュエーション。国登録有形文化財>

 「独立行政法人:大学共同利用機関法人自然科学研究機構国立天文台」の敷地。東京にもありますね~まだまだ自然が…

<赤松に雑木林が茂る武蔵野段丘の自然林。朽ちた倒木に若木が揺れている>

<雲間から落ちゆく夕陽の光芒が、カラタチの鋭い棘を凛として映し出している>