年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

風林火山の里(3)

2007-11-07 | フォトエッセイ&短歌
 まだカラオケがなかった時代、酒を飲むと恍惚として「武田節」を歌って涙する甲府出身の奴がいた。そして、会津がなんだ、長州や薩摩がなんだ、「オレは武田の末裔だ!」と意味もなく尊大ぶるのがいた。田舎ナショナリズムかなあ~甲子園が盛り上げるわけだ。
 それにしても戦国武将の中で一番強かったのは「武田信玄」とする信玄ファンは圧倒的に多い。が実際には合戦下手の実に不甲斐ない武将であったという説も根強い。信玄の偶像化は江戸時代に書かれた『甲陽軍艦』である。
 真偽はともあれ典型的な戦国大名であった事は間違いない。父信虎の追放が父子葛藤の格好のドラマになっているが、下剋上の社会では特筆する事ではない。名君の誉れとして釜無川の<信玄堤>が上げられるが、領国の富国強兵を進める戦国大名にとってはあたりまえの農業政策である。しかし、当たり前という事が一国一城の主にとっては大変な事だ。


 合戦に勝つために、年貢を取り立て軍事力をつける。娘の政略結婚先も考えなければいけなし、砦を築いたりと大変なのだ。跡継ぎの息子も準備しなければと3,4人の女も必要だしとまあいろいろとあるノダ…
 そこで甲斐国の法律(分国法)である『甲州法度之次第』(こうしゅうはっとのしだい)を制定して支配を強化していく。一般に『信玄家法』と言われるものである。
 *喧嘩したらイカン *田地を売ってはイカン *他国に手紙を出してはイカンとか、一国一城を守る涙ぐましい努力。禁止令を出さなければならないほど喧嘩が多かったという事だ。


<扇状地の傾斜地に石組みをした屋敷。合戦で倒れた息子の仏の姿だろうか>
 要害城は山全体を城郭とした山城である。その麓に流れ出る川が深い山間の土砂や岩石を甲府盆地に運び出して扇状地を形成する。村人はこの傾斜地に長い時間をかけて田畑を造って住み着いた。
 「要害」はその扇の要の部分に湧出する温泉である。温泉からの夜景は見事なもので6キロ先の眼下に甲府市街の光が賑やかにきらめいている。
 ゆったりと湯に浸かる。全国一斉の学力検査に話が及び校長の間違え指差し指摘には笑った。生徒はもとより父母や教師、校長や教育委員会が一丸となって走るのだ。競争原理が教育に持ち込まれる当然お帰結である。格差が助長され深刻な差別が生まれイジメだの自殺だのが出てくるのはすでに証明済みである。競争からは学力がつかない。
   
 季節の変わり目にご登場する白堂翁、今日は筆をカメラに持ち替えて野竜胆の激写です。髪イガイに頑張ってますネ。あと何回の温泉になるのだろうか。(風林火山の里:終)