年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

やはり最後は極め付け-11

2007-08-24 | フォトエッセイ&短歌
你好<ニハオ>東北紀行
 
 すでにハルビンの空港を飛び立って成田に着いてから3月が経った。印象や記憶も薄れてきたので東北紀行もこれにて終わりにしたい。アカシヤの花もとうに終わり濃緑の葉が猛暑にグッたりしていることだろう。
  広さも・深さも・大きさも想像を絶する<中華>を自認するとてつもない国であった。ちなみに、中華人民共和国の<中華>とは<世界の中心に位置する最も文化の優れた国>という意味で、その古い古代の看板を衒いもなくすまし顔で身にまとって生きている国、そんな感想を持った。
  毒入り食品、欠陥生産品など世界中の顰蹙をかっているが、何の何の先日はアメリカを越えて世界第2位の貿易輸出国になってしまった。奴隷状態の労働者が救出されたとか、役人の袖の下はあたり前で、産業公害で空も川も真っ黒ケ…気にしないんだナ~。怪獣がのたうっているような社会経済文化のエネルギーには眼を見張るものがある。共産党独裁の社会主義国で自由も人権もないアカの国、こういうレベルの視点ではとても納め切れない事を実感した。


  ↑ドアなんかないが超高級トイレ、白タイル仕様だからネ  
  最後はやはり厕所(ツゥスォ:便所)と飲み水のお話ですね。トイレにはドアがないから、尻丸出しで出る物も出ないから覚悟召されよ!と出掛ける前に散々言われていたからカルチャーショックはなかったが、難儀ですね。人間食えば出る、この当たり前の節理にナンカ問題でもあるのか、ウン!そんな感じです。鼻先には籠があって使用済みのナニガ無造作に放り込まれているし。
  しかも、そこらの水を飲めば一発でジャーだから待ったなしときたもんだ。ペットボトルの水なら文句ないだろうって。アマイアマイ、そこらのコンビニのペットボトルは信用出来ません。
  ↓高級友好便利店、「ハイ、ココのコンビニの水は安全」と添乗員


  格差社会と交通版造反有理。これも印象的でした。日本の社会科教科書でも紹介されている「一人っ子政策」で子供は皇帝並みで幼稚園の引け時ともなると、高級車が門前に二重三重のお出迎えで交通麻痺。その一人息子と一人娘の結婚式ともなると3尺玉花火の炸裂したような超宴会のあと15mもあるだろうリムジンに乗って練り走る。その後ろには金魚の糞みたいに何台もの一族の車が連なる。
  中国もすでに車社会を迎えているが交通道徳という認識がない。交差点の眺めは壮観というか滑稽でもある。東西の流れに南北の車が突っ込んでくる。そこに左折車右折車がかってに割って入る。決して止まることはないから麻雀のパイを引っ掻き回した状態。ここでビビッテはならない。当然、この混乱の中を人様も歩いて行くわけだ。彼等も決して足を止めることはなく、素手で自動車を追い払って我が道を行くわけだ。
  まだある。その車の窓を叩いて「お恵み」の器を掲げる豪快な貧しき人々の群れ。そんなとこでカンパする奴がいるのか…いるんですネ~