年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

鯉のぼり

2007-05-05 | フォトエッセイ&短歌
 「もう5月、桜は咲いているが、外は朝寒…」。チェーホフの『桜の園』はそんなセリフから始まる。ちょうど北海道の開花期にあたるが、関東地方では夏日を記憶する「五月晴れ」の日々が断続的に出現する。新緑の木々を背景に爽やかな青空に元気に泳ぐ<鯉のぼり>はGWの風景であったが、そんな景観は街ではお目にかかる事はない。高層ビルに取り囲まれたちっぽけな敷地には、緑もなけば鯉の泳ぐスペースもなく、子どもの姿もない。
 もはや「端午の節句」は痕跡を留めるのみか。マンションのベランダにメダカ鯉のぼりがビル風に煽られて狂ったように回転している。

  ♪[1] 甍の波と雲の波、 重なる波の中空を、
     橘かおる朝風に、 高く泳ぐや、鯉のぼり~♪
  ♪[3] 百瀬の滝を登りなば、竜になりぬべき、
     わが身に似よや男子と、 空に躍るや鯉のぼり~♪
  <作詞者不詳、作曲・弘田龍太郎 『鯉のぼり』>

「登竜門」⇒(鯉が竜門の滝を登ると竜となって天をかける:男児の成長と出世を願う)という中国の故事を詞にしている。五月晴れの中<鯉のぼり>探しの旅に出る。喧噪を離れて1時間余、小田急線五月台の丘陵の麓でやっと見つけた。


 元々は中国の戦国時代<楚(そ)国の屈原(くつげん)の供養祭>というから、今から約2300年前に遡る。日本の「こどもの日」:端午(たんご)の節句の行事は奈良時代にはじまるが、為政者によってその意味する内容は変遷をたどる。男児の立身出世・武運長久が特に強調されるようになるのは明治以後である。
 端午の節句については諸説があるが「急に暑くなるこの時期は、身体の変調から病気にかかりやすく、亡くなる人が多かった。その為、5月を『毒月』と呼び、厄除け・毒除けをする意味で菖蒲やヨモギ・ガジュマロの葉を門に刺し、薬用酒や肉粽を飲食して健康増進を祈願した」この辺りがルーツであるかもしれない。何はともあれ子供の虐待という凄惨な事件が絶えない世情の中で子供たちが元気に成長して行って欲しい想いでいっぱいである。



  <むかし話の絵本に出てくるような祠がありました>