知音札記

現代日本の演劇、映画、音楽など芸能関係を中心にレビューを書き、語る。

ヨースケコースケライブハウス&ホールツアー2017~ホールでの心地よい声の響きに酔う

2017-08-19 14:51:21 | 演劇 映画 音楽
2017年8月17日、19:00~マウントレーニアホール


  ホールライブの心地よさを堪能した。オイラ位の年になると座席があるだけでありがたいが、音響的にもホールの方がよいことは明らかで、特にこの二人の声質にはぴったりすると感じた。輝かしく、シャープなヨースケの声を金属的な「管」とするなら、大海にそそぐ大河の流れを思わせる豊饒なコースケの声は「弦」、ヴァイオリンのストラディバリ、もしくは高級な絹糸のアジアの擦弦楽器の響きを思わせる。
  バンド編成(ギター2、ベース、ドラム、キーボード)であれだけ歌詞がクリアーに浮き出るのはすごいことで、2人の声の絡み方も絶妙だった。コースケがリードし主体になることが多いように思うが、曲によっては逆転するのも新鮮である。ミディアムナンバーの〈ハッシャバイ〉のコースケの裏声はとても美しく、新曲の〈Asia future〉ラップはおしゃれな感じだが、今のアジアの直面している状況で目指すべき必要なことが歌いこまれているように思う。
2人のライブは先週に引き続き2回目だが、もうこれで完全にファンの仲間入りをしたと勝手に思っている。声の良さもさることながら、Aメロ、Bメロ、サビ・・・といった陳腐な楽曲構成から脱却を感じさせる創作スタンスを称賛したい。「恋だの愛だの・・・」ばかりを繰り返し、あるいは「守る、絆」が氾濫しているJ-Pop(特にアイドル系)に風穴を開けてほしい。〈We love music〉はラップとメロディの絡みが面白く、サマーTuneの〈爽快サマー〉は素直に楽しく聞けた。コースケの熱唱による〈Re:Climb〉(「SHOW BY ROCK」より)は生声があれだけ良いのだから、マイクの音量も少し絞った方が効果的では、と感じ、そしてアンコール曲で若干のピッチの乱れからハーモニーがギクシャクした部分もあったが、全体を通して充実したライブだった。
  また、聴衆の手拍子のパターンが豊富なのは曲のスタイルが多様、多彩である証拠で、実際、あの陳腐なPPPHなどはほんの数回しかなかった。秋と年末のライブが楽しみである。会場入り口の物販で、開演前にプログラムを友人用に、そして終演後は自分用のDVDを購入し、二人の声の余韻を胸に会場を後にした。
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ミュージカル「ヘタリア」と「モマの火星探検記」~観客に求められる深い思考と行動

2017-08-15 19:05:01 | 演劇 映画 音楽
(1) ミュージカル「ヘタリア」大千秋楽ライブ・ビューイング〔ディレイ中継〕
     2017年8月2日19:00~新宿バルト9

(2) モマの火星探検記 
     2017年8月10日18:30~天王洲銀河劇場


  この2演目、「繋がっている」という意識へのより踏み込んだ思考の必要性、そして行動への啓示として謹んで観劇させていただいた。今観客に最も強く求められているのは情緒的、表層的な享受の段階からのできる限り早い脱却であることは明らかだと感じる。何が繋がっているのか? 過去と現在そして未来、つまり歴史そのものへの認識、そして1つの国や地域はもはや孤立した存在などではなく、周囲との関係性の中で自らの立ち位置を判断せねばならぬということである。
  「ヘタリア」では世界各国の歴史と過去現在におけるそれぞれの相互関係が面白おかしく描かれているが、まさにそれは世界を歴史学、人類学の視点からとらえようとする真摯な姿勢が感じられる。それをより深く味わうには、一人一人が世界の歴史の構成員であることをもっと自覚する必要がある。他国の歴史を知り、自国の歴史を振り返ることはもちろん、共通性、相違点をめぐる議論に関しても「文化の違い」という無責任な言辞で棚上げにすることは止めてほしい。
  そして、最も懸念されるのは、この演目をただ単に情緒的に受け流してしまうことである。ここで描き出させているのは、フィクションではあるが、日本および世界で今起きていることへの、歴史的事実に基づくメッセージなのである。擬人化された国々の感情や振る舞いがどうしてそうなるのか、2.5次元ミュージカルの各演目の深い思想性、芸術性に一歩でも近づくことが観客に強く求められている、と観劇の度に思う。それには世界および日本の歴史に関する知識とそれに対する思考力、一定の認識を持っていなければならない。
  このところ、この国の多くの人間が思考停止に向かいつつある危惧、恐怖がますます強まっている。スマホやゲームなどに熱中するばかりで、(芸術)作品の描き出す、訴えてかける内容に多角的に踏み込もうとする人間が激減しているように感じる。出演者目当てに劇場に足を運ぶのはよいが、そればかりでは単なる人間の喜怒哀楽の享受がせいぜいのところで、歴史性、社会性、民族性の問題、何よりも「現在、現実の問題」としてとらえることができていないのは遺憾の極みである。ヘタリア(役としてイタリア)こそ世界共通の庶民の心持ちであり、そして「ヘタリア」という演目は単なる風刺劇ではないことは明白である。それは日本が世界の中でできること、なすべきことへの探求であって、音楽を通して世界の歴史と日本とのかかわり方を描いているわけだが、その音楽様式の面白さはもう少し細かく分析してみないとわからないので、その点については少し時間をかけて迫ってみたい。
  出演者皆個性的で、それぞれの役所を上手く表現している。特に主役、ヘタリア(イタリア)役の長江崚行君、若き天才という他はない。日本役の植田圭輔君の言葉遣い、立ち振る舞い、あれこそが日本人の原点(?)ではないだろうか? 表面的な強さだけにこだわる体育会系との対極という意味で。ロシア役の山沖勇輝君、以前に中目黒のキンケロシアターなどいくつかの劇場に出演していた時以来、彼の舞台を久しぶりに観たが、見事な成長ぶりで嬉しい。
  さて、もう1つの「モマの火星探検記」も類似のメッセージが込められているように思う。宇宙(火星)探検をテーマというか設定にしているが、訴えているのは歴史を悠久な時空の中でとらえる必要性だと思う。自分が今どうしてここにいて、このような状況の中に置かれているのか、先人たちの思いを汲み取り、それを次世代につなぐ役割への目覚め(自覚)である。1つの思い、特に大きな願望は一世代で実現できるものではない。歴史の光と影、すなわち宇宙開発の光と影、物事の二面性をしっかりの見据えた上で、自分の願望を社会、歴史という大きな視点でとらえることの必要性がはっきりと描かれている。登場人物のようにそれぞれの個性、能力を持ち、それらを適材適所に発揮してこそ、生きる意味があるはずだが、現実はそうでないことが多い。夢の実現に向かうためには何をすべきか。何を知らねばならぬか。好きなことだけやっていれば良いのでない。専門以外は知らぬ存ぜぬでは通るはずがないことを多くの人々が忘れかけている。助け合い、学びあう姿勢がこの世界の基本であるはずだが、それが危機的状況を向かえつつある今、宇宙という舞台を借りて、世界的な視野で物事を判断する必要性をこの演目で痛感した。
  偉大な先人、先輩の努力があって、若い人材が生かされる。その自然な状況は購入した本演目のプログラムの構成にも象徴されているように思う。キャスト紹介は井俣太良さんを筆頭に経験豊富な俳優さんたちがまず掲載され、対談の記事を挟んでから若手俳優が続いている。確かに若手の筆頭、矢崎広は凄い!! 彼なら演劇界の過去の先輩たちの思いを十分に吸収できる存在であることをこの演目で再確認した。


そして、個人的には相馬圭祐君の元気な舞台復帰の姿を目にすることができたことは至上の喜びである。彼も矢崎君と同様、演劇界を背負って立つ逸材であることに間違いはない。


その他、谷口賢志さん、鎌苅健太君、中村優一君、



輝馬君、鈴木勝吾君、松田岳君ら豪華キャストが揃っている。

前記の演目同様、本演目も宇宙探検を通して、人類の歴史の過去と現在、そして自分という存在をより広い視野(まさに宇宙的広さで)から見ることの大切さを提示している。「皆繋がっている」とはそういうことだと思うが、見る側が宇宙旅行の話、夢の実現への思いという情緒的鑑賞に止まっていては、演劇文化の発展は難しい。それを後押しするのは観客の思考力、想像力であることは言うまでもない。
  最後に一言、興行的な側面から、歌に関しては「大人の事情」が見え隠れしたのは残念だった。
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ヨースケコースケ YK FES2017~実力派アーティストの集いに新時代の到来を実感

2017-08-14 13:53:49 | 演劇 映画 音楽
2017年8月12日、19:00~UNIT代官山 

  購入したプログラムによると、昼の部と夜の部では登場順と曲目に若干の異同があるが、夜の方はBLOOD LINE、井出卓也、Kimeru、加藤良輔、FUZ、ヨースケコースケの順にそれぞれ3-4曲を披露し、最後は全員による〈WE LOVE MUSIC〉で締め括るという構成だった。全体を通してそれぞれの持ち味をフルに発揮した内容豊かなFESで、オリコン、J2’sに騙されていない聴衆が多く存在していることが確認できたのも非常に意義深い。まさに実力派アーティストの時代の到来をはっきりと感じ取れた。
  まずは今回はじめて知った、あるいは初めてライブを見た2組から。FUZは初めて知ったグループなので、プログラムの紹介文をそのまま引用してみる。

「Vo:INZ(メガマソ)とGt&Vo:TAMATE BOXからなる2人組のユニット『FUZ』 2017年6月9、10日吉祥寺SHUFFLE2デイズワンマンライブより始動。ライブではサポートミュージシャンと共にキーボード、ベース、ドラムとのフルバンド5人編成から、ボーカル、ギター2人編成でのアコースティックスタイルなど、ライブごとに違った演奏スタイルを見せる。実力と経験に裏打ちされた彩り豊かなハーモニーを武器に、都内を拠点に精力的に活動中! 12月22日にはワンマンライブ「So sweet my sugar…」の開催を予定している。」

  なるほど、確かに声、特に高音域が力強く二人のハーモニーが美しい。看板に偽り無し!! 1曲目ではピッチのコントロールに若干の不安を感じたが、それ以降は伸び伸びとしたパフォーマンスを展開、これからどんな音楽スタイルを作っていくか大いに期待される。ワンマンライブには是非行ってみたい。次のBLOOD LINEは後藤健流、後藤紗亜弥のダンスボーカル兄妹ユニット。お兄ちゃんの舞台を以前、池袋のシアターグリーンで見たことがあって、そのダンスの素晴らしさは目に焼き付いていた。今回こうして初めてライブを観て、切れのあるダンスと安定感のある歌声のバランスがとても良く、その実力の高さを体験できたことは嬉しい。男女の声のハーモニーには独特の響きがあり、それに二人のシャープで美しいダンスという視覚的要素が相まって他のアーティストにはない雰囲気を醸し出している。こちらも近々ライブを予定しているとのことで、要チェックである。
  井出卓也は俳優のみならず、音楽アーティストとして着実に成長していることがうかがえた。オイラはラップについては詳しくは知らないが、旋律的部分もある新しい感じのラップに聞こえた。バンドアレンジの効果だろうか? 井出君、一見して大人の雰囲気が出てきたと感じる。コースケとの絡みを目にして「ココア男。は不滅だ!」と確信。

Kimeruは貫禄十分、さすがの一言。加藤良輔、こちらもラップ主体で、「イタkiss」の時とは雲泥の差、まさに急激な進歩を感じさせた。歌も聴いてみたい。

  さて、トリのヨースケコースケでは、ヨースケのギターテクニックとコースケの歌の上手さ、美声に酔った。

  この日のFESは限られた時間の中で、多様な音楽世界を示したくれた。演劇、ミュージカル、音楽、ダンスをそれぞれのバランスと配合で観客を魅了し続けるという点で共通する出演者たち。その意味では総合芸術志向のアーティストたちということができる。歌、ダンス、演技どれもがアマチュアレベルの某アイドル系とは対極の世界がここに示された。CD売り上げランクや死に体の地上波テレビ出演を頼みの綱としている輩とは無縁のアーティストたちの活躍を期待して止まない。
  最後まで聴きたかったが、8月17日のチケット入手済みでもあるし、スタンディングは体力的につらいと感じたので、ヨースケコースケの2曲目まで聴いて会場を後にした。全員による歌が聴けず残念。DVD出ないだろうか? そう願いながら物販でプログラムを購入してワンコイン温泉へ。

ライブ会場から徒歩数分で、ここお勧めです。
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MOTO ONEMAN LIVE 2017~ソロで底力を示した充実したライブ

2017-08-13 14:31:51 | 演劇 映画 音楽
2017年8月12日、12:00~ 青山月見ル君想フ

  彼のアーティストとしての様々な能力を十分に発揮したとても良いライブだった。ソロでやることの意味が伝わってきた。それはもう一歩上の段階に行くためにこうしたワンマンライブが不可欠だと判断したからだと思う。4人で+Plusを始めて、後に3人、2人となり、さらにまた4人で復活し、その間彼とTOMO君がソロでの音楽活動を始め、それを継続している。従来の、というより今もアイドルを中心とする音楽屋(アーティストという呼称は分不相応)の楽曲(特にコード進行)とは一線を画した音楽スタイルが+Plusの楽曲はもちろん、MOTO君のオリジナル曲から強く感じられる。それを深めて行くためには、ワンマンライブという独特の空間に相応しい新曲、そして従来の+Plusの楽曲にも新しいアレンジや歌い方の工夫が求められる。
  この日のライブは全19曲(数え間違いでなければ)とアンコール曲、+Plusの楽曲を中心にMOTO君のオリジナル、そして新曲も披露された。〈Seize the day〉〈Run to free〉〈Saturday Night〉などでは高音域の声が広く豊かに響き渡った。〈笑顔の君に〉や〈声〉では歌詞がひと際クリアーに浮き出ていた。〈届いてほしい〉〈Birth〉は正反対の曲調ながら、熱い思いや迫力のある歌声が印象的だった。〈Sun-Day!!〉は肩肘張らないリラックスしたサウンドがとても心地よく、曲本来の持ち味がソロで十分に引き出されていた。〈はじまりの空〉〈FLY〉やMOTO君がドラムを叩いた〈Fiesta〉で、ソロでこれだけ盛り上がれたのはアレンジの工夫と演出の妙と言えるだろう。それから、全体を通してギターテクニックも見事だったが、抒情的な曲の歌い方にもう少し、散文詩のような自由さを感じさせるテンポや強弱の揺れ、余韻が出て来るとさらに良いと思う。
  チケットはネット予約しておいたので、この日は余裕を持って会場に到着したが、最後尾の機材席の横に座れてラッキーだった。この位置はとても落ち着く。オイラは+Plus、MOTO君のワンマンライブの出席率はかなり高い方だと思うが、これからも応援して行きたい。

  帰りがけに出入り口(上の写真の場所)でMOTO君に遭遇。「とても良かった」と一言だけお伝えして会場を後にした。僭越ながら彼も大人の雰囲気が出てきたなと感じた。これからもライブハウスでの活動を継続して欲しい。それにしてもライブハウスという空間は良い!! オイラの定年の時はライブハウスでパーティしたいな。
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映画「お前はまだグンマを知らない」~地域性への対峙こそ日本変革の鍵?!

2017-08-08 19:33:47 | 演劇 映画 音楽
2017年7月24日、16:00~池袋シネマ・ロサ。

  プログラムは発売されていないので、チラシに書かれている宣伝のキャッチフレーズとストーリーを書き写してみる。

  群馬県のあるあるを圧倒的熱量で描いた原作を元にしたオリジナルストーリーを構築! 前代未聞のご当地青春ラブストーリー、ここに誕生!

  謎多き土地グンマに転校してきたとある高校生・神月紀(間宮祥太郎)は、登校初日からグンマの強烈なからっ風にフッ飛ばされそうになりながら必死にペダルをこいでいた。そんな中、スイスイと自分を追い越す学校イチの美少女・篠岡京(馬場ふみか)に一目ぼれ! 新たな学校生活にワクワクドキドキだったが、意図せずして「海がない」とグンマの事を小バカにしてしまった事で、皆の逆鱗に触れてしまう。幼なじみの轟一矢(吉村界人)にも突き放され、憧れの篠岡にもグーパンチを見舞われ、挙げ句の果てにグンマのライバル、トチギやイバラキのヤンキーにも追われる身となり、神月の転校生活は混迷を深めて極めていく…果たして、神月はグンマで生き抜く事ができるのか?  そして、篠岡との恋の行方は?

  本作、テレビドラマの縮小映画版の感が否定できないが、エンディングでアジア、世界への広がりがほんの少し描かれていたことで大分救われているように思う。地域性への目覚めは、東京に生まれ育った人間が地方へ移り住む際のみならず、地方出身者で東京をはじめ都会を志向する人たちにとって、いつか必ず対峙するものである。実はこれ今日本が抱えている深刻な問題であり、この国を良い方向に変革できる有効な鍵かも知れないと感じる。
  地元愛を強制ではなく、自然に育成することの大切さ、しかし独善的にならぬようにするには少々注意が必要であることが作品の中で面白おかしく描かれている。それすなわち、地方が偏狭的な地域性、排他性を克服できず、中央は官僚的優越的な東京の押し売りを全国に発信し続けるばかりで、両者が下らぬせめぎあいを永遠に続けていては、ろくなものが生まれないことは明白である。であるのに、いまだに東京一極集中の狂気が支配しているこの国の悲喜劇、それが本作からは感じ取れる。
  そして、さらにそこには一律化、タコツボ型へのアンチテーゼ的側面も含まれていると思う。さらには多民族化が進行中のこの国と日本人の海外移住、究極的には自分は何人として生き、何人として死ぬかという問題にもつながっていくものである。また選択の自由を認められるべきという思いもあるだろう。外からの移住者でも移住地の文化や言語を心から愛して止まぬのに、ネイティブからは冷たくあしらわれるのは実に許し難いことである。
  アメリカや中国はその国土の広大さもあり、各地方の文化が常に競り合っている。日本も是非そういう状況にというより、実際は多様であるのにそのことに正しく気づいて欲しい、という意味からすれば、芸能の分野における地方発のテレビドラマの全国放映はもっと推進すべきである。オイラが在住する東京でも、地方のテレビ番組が以前よりは放映されるようになった。最近知ったのでは、とちぎテレビの「雷様剣士ダイジ」、少し前では鹿児島テレビの「薩摩剣士隼人」や地方各局共同制作の「方言彼氏・彼女」というのもあった。それらはいずれも各地の方言が重要な役割を果たしている。最近の注目作「サチのお寺ごはん」は、方言はないようだが全国へ急速に放映されつつある。中でも、地方制作番組でドラマではないが、成功例の筆頭に挙げられるのが東京の隣接県、神奈川のTVK「猫のひたいほどワイド」である。出演者は人気の若手舞台俳優たちで、大手芸能事務所の特定の数社だけが独占して来た市場を急速に崩しつつあるのは実に痛快かつ大変意義深いといえる。本作の主要出演者、間宮祥太朗、吉村界人、入江甚義らの活躍とも相通じるものがある。
  為政者が「地方赴任=左遷」という現状を払拭する状況を導き出さない限り、東京人の地方移住推進など進むわけもなく、それを克服せずしてこの国の人々の幸福は訪れないことをこの映画は教えてくれる。
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