知音札記

現代日本の演劇、映画、音楽など芸能関係を中心にレビューを書き、語る。

舞台「知り難きこと、陰の如く、動くこと雷霆の如し」~これを見て動かないのは困る

2013-12-31 17:03:50 | 演劇 映画 音楽
2013年12月28日、17:00、全労済ホール/スペース・ゼロ。ナチスの権力闘争と戦後の裁判という2つの状況を時間的に往来しながら展開される演目だったが、その主旨は前日の「歳末ハードコアセール」に通じるものがあると思った。つまり、究極的には現代人の思考力欠如・停止への警告である。
 「のめり込む」、「悪意の有無」といったキーフレーズを通して、人間の気持ちの純粋さの持つ危険性、あるいは騙された側の責任とでもいったものが、様々なコンテクストの中で描かれていた。よく海外で騙されて盗難や詐欺にあった人たちを指して、騙したのがもちろん悪いが、騙された方も悪い(この表現にはやや抵抗があるが)、つまり警戒を怠ったという責任があるというあれである。実は、それは戦争も同じなのである。戦争をどう分析するか、その時の執権者の都合で善にも悪にもなる。日中戦争、太平洋戦争も一方的に語られることが未だに支配的で、原爆を落とした行為の極悪さばかりが取り上げられ、戦争を引き延ばした責任者についてはほとんど問題にされないのは実に愚かなことである。アメリカの植民地、せいぜい自治区のような存在に日本を貶めて、甘い汁を吸ってきた権力者どもが、今度は自分の罪を棚に上げて、アメリカの押し付けなどというのは笑止千万である。
 ある映画(邦画)のラストで、満州に騙されて開拓に行ったあげく、命からがら帰国に向かう列車の中で、「満州なんか嫌いだ、俺たちは騙された」と叫ぶシーンがある。そして、それを聞いた主演女優はこう答える「あたしは満州、好きよ!」。まさにこれである。騙されて開拓に赴いたというが、騙されたとしてもその道を選んだ者の自己責任はどこへやら? まあ、確かに戦前の日本は現在の選挙制とは異なるので、ある程度は仕方のないことかも知れないが、今はそうは行かない。アメリカの実質的植民地とは言え、議員を選挙で選ぶことはできるので、選ぶ側はそれぞれに責任を負っているのである。オリンピック開催のムードに流されて、すっかり騙されてしまったこの国の人間は、次回の東京オリンピックはベルリンオリンピックの二の舞になる可能性を考えなかったのだろうか。日中関係もそうで、冷戦時代のアジア諸国の関係がそのまま続いていると思い込んでいるお目出度い人たちは、アメリカにさえ付いていれば何とかしてくれるととんでもない勘違いをしている。
 悪辣政治家にこれ以上騙されて、のめり込んでしまって良い訳がない。自分が善意と思ってする行為にも悪意が潜んでいる。そして表面的には悪行も結果として善につながったこともある事実を考えるべきである。この演目を見て、何かが動かない、何かを動かそうとしないのは思考停止と同じである。つまり、いつでも意思表示をする準備を整えておかねばならないということである。誰もがヒトラーとつながる要素を持っているということを、劇中ではヒトラーの実態が曖昧で、様々な俳優たちが入れ替わり演じたことにそれが象徴されていると思った。それは心の中の秘密であると同時にもちろん、国民は常に真実を知らされないという現実にそのものである。



 本演目、優れた脚本で出演者たちは皆熱演だった。特に戦国BASARAに引き続き舞台を務めた小谷嘉一君、村田洋二郎君、川隅美慎君が、これまでとは全く異なる役柄を見事に演じきったことが大変印象的だった。
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たいしゅう小説家「歳末ハードコアセール」~もちろん単なるコメディに非ず

2013-12-28 15:50:38 | 演劇 映画 音楽

 2013年12月27日、19:00~萬劇場。たいしゅう小説家の公演は前回いつ拝見したか覚えていないが、とにかく久し振りの感じがする。内容的には現代人の思考力の欠如、思考停止に警告を発するタイムリーな指摘が込められていた。表面的にはコメディ仕立てだが、目指すものはもちろん、そうではないと思う。優柔不断を脱し、決断するタイミングと、阻止すべきものを見極める必要性を訴えている。そして、それは個人的なものというより、社会そのものに向けられていることは言うまでもない。
 設定としては、好人物だがやや優柔不断なカフェの店長とそこで働く3人のメードを中心に、そのメードたちが引き連れて来た記憶喪失の男(実は舞台演出家)と、ロックミュージシャンのヤンキー娘、どことなくずれた感覚の狂言師といった店の顧客、新入りの店員、そして小劇場の俳優たち、さらに魔法使いらが絡んで物語は展開される。その伏線として魔法使い同士の争いがあり、彼らの勢力争いに人間が巻き込まれたように状況が設定されている。
 3人のメードは口ばかりでとにかく働かず、そのせいで店の売り上げはガタ落ちなので、店長としては何とか首にしたいと思っているのだが、気が弱くて言い出せないでいる。そこで魔法使いを雇って、他人の体(口)を使ってリストラを伝えようとしたところ、それが事前にメードたちにばれてしまい、気まずいことに。そして、本当は働いてもらいたいという気持ちと、売上を伸ばすことで雇用を継続させようと、カフェで演劇公演を催すことになる。一方、記憶喪失の男は、著名な若手演出家であることが分かり、演劇公演のリハもそれなりに進んで行くが、その演出家、本当は・・・。

 登場する魔法使いの中で最強の存在が、人の脳を操る、脳をコントロールする魔法使いで、これが主役の一人である。もう一人の主役は、気弱な店長。脳を操るという行為は、まさに中国史を宦官がコントロールした如く、今では占い師や宗教屋(思想家とは到底呼べない)などが芸能界さらには政治家をコントロールすることとよく似ている。一国の指導者や官僚が実は、裏でどんな黒幕に支配されているか、考えるとこれほど恐ろしいことはない。今の日本を見てもそうした状況があるように感じられるのは、多くの人間が思考力欠如から停止に向かっているという現実があるからだと思う。それを意図的に狙うのが権力者の常である。
 もう1つ本演目で印象的なのは、善も悪もまた来る、めぐるものという示唆があることではないか。セリフにあった「本当の自分を思い出す」、「素直になる」とは過去の記憶を呼び覚ますこと、戦争も犯罪も常に歴史を検証することによって克服されるべきもののはずだが、未だにそれが完遂されていないからである。
 しかしながら、危機に際しては、敏感に反応し、皆で声を挙げる、言い続けることがまず必要であることも分かりやすく表現されていた。脳がコントロールされることに抗して主演者たちがこぞって大声で叫び続けるシーンにそれが集約されていた。皆、それぞれの個性に基づいて一致して、理性も情緒も感性も有効に生かせるように目覚める必要がある。そうでないと、権力者の思うままに操られ、戦場に送られる道がやすやすと開かれてしまうのである。もしかしたら、今、それが近づいているかもしれない。この演目を見てそう思ったのは自分だけではないだろう。
 当然ながら主役の2人、演出家役の早田剛君、店長役の溝呂木賢君が群を抜いていた。前半の記憶喪失の演出家と後半で正体を現した時の演技の対比が実に見事で、こういう善悪両方を同じ空間で演じる技量はなかなかのものだと思った。以前に見た彼の芝居は、どちらかと言えば飄々としたキャラの好人物が多かったが、今回のような複雑な心境を演じ分けた力量に目を見張った。もう一人の主役、カフェ店長の溝呂木賢君は、気弱な性格から次第に確固たる意志を持つようになる姿には、彼の声量と緩急のコントロールの上手さ、千変万化な声の色彩が十分に生かされていたと感じる。以前、舞台上でメガネをかけた役はあまり見かけなかったが、なかなか新鮮だった。その他の登場人物は、狂言師のみならず、根は悪くない人々だが、どこかずれている。それがまさにこの国の現実を直に映し出しているように感じられた。この演目、DVD化されるかどうかは分からないが、是非、望みたいところである。
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エンタメ界に久々に現れた期待の星~DISH

2013-12-11 14:40:12 | 演劇 映画 音楽
  DISHとはTAKUMI,MASAKI,RYUJI,To-iメンバー4人のバンドである。I CAN HEAR ほか彼らの楽曲はみな清々しく、アレンジも実にセンスがいい。そしてその歌声、ダンスは素直でとても好感が持てる。東京MXテレビのレギュラー番組「超×D」もなかなか面白く、某楽器店で彼らのCDを購入した際に、そのCD棚の上にも彼らと超特急を期待の星とする広告文を目にしたし、さらに年末のMUSIC FOR ALL, ALL FOR ONEへの出演も決定したようで、まさに破竹の勢いである。CD〈晴れるYA!〉の付録のDVDに収録されている台湾ツアーの様子を見たが、メンバーと現地のファンの様子、素直な反応や表情がとても新鮮だった。少し前になるが、彼らのイベントの一部を目にしたことがある。自分が会場に入った時はすでにコンサートは終了しており、ファンとの撮影会が行われていたように記憶している。


  彼らのキャッチフレーズは「非アイドル系ユニット」ということである。事務所の方針の本当のところは分からないのでそれはさておき、受け手からの勝手な「非アイドル」に込める願い、想いを綴ってみよう。確かに彼らには何となくいままでのアイドル=アホとは全く違う雰囲気を感じる。こちらが期待するのは、とにかくおバカは止めて欲しいということ。しっかりとした高校生活を送り、勉学の基礎を身に着けてもらいたい。すでに半分社会人である彼らは、普通の高校生では得られない知識や経験をすでに持っているので、それらも将来生かすように心がければ、いままでにない存在のエンタテイナーになるかも知れないと思う。
  日本の芸能事務所は、大学受験、より高い学位の取得も視野に入れた人材養成を考えるべき時が来ていると思う。日本以外のアジア地域では兵役で一時期引退するエンタテイナーがまだいるが、日本では幸いというか、今のところそれはないので、その代わりに大学受験のために一時活動休止というのもありなのではないか? 受験の時期は、もちろん、通常より少し遅れても大丈夫である。今は、いろいろな形の入試がある。
  若い彼らにはエンタメ界だけにしがみ付いて(囚われて)哀れな末路をたどる風にはなってほしくない。感性だけで生きているような、雇い主の個人的趣味・嗜好に利用される玩具だと、ある程度の年齢がきたら飼い殺し状態になることは目に見えている。演技などほとんど進歩なしで、歌はもともと超お下手、楽器など人前ではできないおバカアイドル崩れはもう要らない。
  従来のエンタテイナーのイメージ、すなわち、スターであればある程、破天荒な行為をすることが勲章だと勘違いする時代はもう終わった。それを続けている限り、知性を疎かにする体質を改めない限り、日本の芸能文化は永遠に駄目である。昔のフォークソングのようなベタなプロテストソングの再来ではなく、何かもっと別の形で状況によっては、欧米のエンタテイナーのように、政治や人権問題にキチットしたスタンスを表明できるくらいの知性が不可欠なのである。何とか48手のようにこの国の愚民政策に利用され続けるのは本人にとっても残酷なことである。エンタメ界の表現の自由を奪われかねない究極の悪法が成立した今だからこそ、エンタメ界もそうした状況に真剣に対処することが必要なことは言うまでもないと思うのだが。大企業の支配構造のように「考えるのはスタッフ」、「パフォーマーは兵隊」といった構図はもう要らない。
  彼らには文化を創造する一員となるエンタテイナーの素質、素地があるように感じる。その願いを聞き届けてくれそうな活動をすれば、全国の御嬢さん、お姉さん方のみならず、兄ちゃん、オジサン、オバサン、さらにはジィちゃん、バァちゃんも間違いなく応援するだろう、彼らを味方につけよう。念のために言っておくが、応援するファンもおバカはもう要らない。ただ、テレビや雑誌の表紙にまさに露出しまくって数だけそろえて押し切る手法に利用される状況を早く終わりにせねば。
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映画「恋の渦」と「自分の事ばかりで情けなくなるよ」~何故か相通じるものを感じる

2013-12-06 11:31:39 | 演劇 映画 音楽
 この2日間(2013年12月3日、4日、於仕事先の某地方の映画館)で連続して見た上記の2作品、ともに興味深く拝見した。そして、それらに何らか関連性があるように思えるのは偶然だろうか? 散らかり放題の思い、気持ちをどう整理していくか、何かを捨てることはもちろん、時間や考え方の整理と工夫を人は必ずいつかせねばならない時が来ることを実感した。 
 まず、「恋の渦」のストーリーをパンフレットから写してみる。
「部屋コンに集まった男女9人。イケてないオサムに、カノジョを紹介するのが、今夜の隠れテーマだ。しかし、やってきたユウコのルックスに男は全員ドン引き。それでも無理矢理盛り上げようとするが、全てが空回りし、微妙な空気のままコンパは終わったはずだったが……。その夜を境に、男女9人の交錯する恋心と下心、本音と嘘が渦巻き、ゲスでエロくておかしな恋愛模様が繰り広げられていくのだった。」

 スクリーンに向かって「ああ勘違い!!」、「うぜえよマジで!!」と言いたくなるほど、登場人物たちが繰り広げる、限界の自覚なしに急に切れだす言動には、自分たちが一番のKYという意識がまるでない。それぞれが好き勝手に喋り捲る冒頭のシーンにそれが集約されており、それはピントはずれの気遣いによってコミュニケ―ションのとらえ方が狂い始めている現代日本そのものがよく示されていると思う。どうでもいい、つまらぬことにこだわる様子は、とにかく自分を正当化する、まるでモンスターなんとかを目の当たりに見せつけられ続けたような感覚に陥った。でも、言ってみれば、それは日本の政治家の姿そのものなのである。
 本当の孤独を知らないアマちゃんが、何かに依存し、奴隷志向丸出しになるのは、人間は孤独が基本だと知らないからで、いわば通過儀礼が機能不全に陥った状態を自由?と誤認しているようにも見える。その緩みきった箍を矯正せねばと、堕ちるところまで堕ちてようやく少し気づき始めるのである。映画の中で見せられる、登場人物たちの部屋の散らかり具合が日本の現状そのもので、その乱れ様は本音と嘘が飛び交う某チャンネルのようにも見えた。要するにそれは抑止力の喪失が巻き起こす悲喜劇ともいうべきもので、本来持っていた宗教心、信仰心を喪失して、突然変異したような人種が増殖中の現代の日本で中国大陸化が進行していることを痛感した。出演者は皆、くせ者揃いで、なかなかの存在感を示していた。中でもナオキ役の上田祐揮君はどこまでが演技で素なのかと思うほど、本心が最後まで見えない凄さを感じた。


 
 HP→ http://koinouzu.info/
 
 もう1つの「自分の事ばかりで情けなくなるよ」のストーリーをチラシから書き写してみる。
「元カレが忘れられないピンサロ嬢、大好きなバンドのライブ当日に残業させられているOL。一途な想いを爆発させるオタク青年、トレーラーハウスで生活する謎の青年と美しき家出少女。どうにもうまく立ち行かない日々にただただ怒りや涙を爆発させる彼らの後悔だらけの日々が少しずつ交差していく…。」
 本作でまず感じるのは、音楽が単なるBGMを超えた存在として機能している映像・音楽劇であるということ。それが本作の大きな特徴の1つだと言えよう。映像と音楽という異なる要素の切り貼りによって、それぞれの時間の流れや概念をストーリーの展開とシンクロさせようとする制作手法に、独特の面白さが感じられた。



 HP→ http://jibun-bakari.com/index.html

 内容的には、日常性に投げ込まれたプリズムに流されないことが大事で、時には強く抵抗する意志の必要性を暗示しているように思える。とにかく、登場人物たちの互いの意思が屈折しすぎて、コミュニケーションが成り立たず、さらに困るのは弱者がさらにその下の弱者を虐げる様子である。フツーができないのは別に構わないが、そのくせ、むやみやたらに人を巻き込んで、しかもフツーをバカにして自分即天才と思い込む愚かさは、やはり「ああ勘違い!!」としか言いようがない。こちらの出演者も皆、個性的で凄い。特にリクオ役の池松壮涼君とオタク青年ツダ役の大東駿介君が絡んでそれぞれの気持ちが爆発するシーンが印象に残った。
 変わり(チェンジ→これは「恋の渦」のラストシーンのキーワードだと思う)たいと思うなら、「まず部屋と頭を掃除して、働け!!」「孤独は恥ではない」「後悔の念は決して消えることはない」というのが2作品に対して共通に抱いた思いである。
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