じんべえ時悠帖Ⅱ

日光御成街道、大門宿

 この土日は各地で「夏日」になるというので、昨日花曇りの下、

日光御成街道5日目を歩いた。曇りから晴れと言う予報が外れて

途中のほとんどは小雨あるいは強めの小雨の中。

 「明日の天気も当たらないのか」とブツブツ言いながら歩いたが、

逆に薄手のブルゾンも脱ぎ忘れるほどの涼しさは超ラッキー。

 というのも、今回の東川口ー岩槻間は鉄路の駅が無く、御成街道

ウォークで初めて10キロ超を歩く日だったからである。ここまでは

街道筋の距離で4,4,5,7キロと小刻みに歩いて来た。

 出発した武蔵野線東川口駅前の大きなモニュメントはシールド・

マシンのカッターヘッドのレプリカ。ここで武蔵野線と直行する

「埼玉高速鉄道」はほとんどが地下を走る。

 北口から線路沿いの急坂を上って御成街道に出るとちょうど10時。

まずは約2キロ先の大門宿を目指す。狭い2車線、歩道はなく車が

すれ違う時はヒヤヒヤものである。

 ちょうど1キロ地点、右下に分岐して行く坂道は「貝殻坂」で

赤羽で合流した鎌倉街道中道が分かれて行く。このあたりの街道は

大宮台地を通るが、綾瀬川、芝川などが浸食した低地が混じる。

 この交差点で川口市からさいたま市緑区大門に入る。

 右下の綾瀬川沿いの低地に東川口に続き大門の街並みが広がる。

 やがて左へ大きくカーブすると国道463号に合流して今度は右に

大きくカーブして行く。大門宿の入口である。

 曲がり切った右手の大門神社、社殿は300メートルも奥なので

参拝はパス。明治40年、このあたりの十社を合祀して大門神社と

なったと街道沿いの口碑に書かれる。

 車で渋滞する街道を数分歩いた右手が本陣跡。茅葺の見事な

表門が残る。少し先の左手が脇本陣の表門。合併前の県都浦和市、

さすがである。よくぞ保存した。

 大門(上)の先、右手大徳寺あたりが大門宿の終わり、東北道を

跨いで岩槻宿へ向かうが続きは次回。


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コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
今日(14日)のブログに書くように、この(旧)浦和市大門はリニューアル
計画の仕事で通った思い出深い場所の一つです。
ykoma1949
大門宿・・私の街も長野県塩尻市大門・・同じ名前の地名を
聞いて、なんとなく地図を広げて・・見ましたが・・今の地図
には探せませんでした。
Wikに頼り、大門宿は、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠6軒であった。
地名は大興寺あるいは大門寺の大門に由来している。
天正18年(1590)の徳川家康入国時は、岩槻藩領として大門が
元禄10年(1697)日光御成道の宿駅となると同時に幕府領と
なった。とあり、場所も確認できました。
私の街は大門村が塩尻市大門に・・同じ地区名の所は嬉しいですね
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