塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

愛媛県の売り出し観光スポット「別子銅山」のご紹介

2017年04月04日 | 旅行
  
3月下旬に、四国を車で一周してきました。趣味の城跡巡りが半分、もう半分が普通の観光といったところで、観光の行き先も基本的には鳴門の大渦や祖谷のかずら橋、四万十川の沈下橋などメジャーなところが中心でした。

そんななか、1つだけ最近になって注目を浴び始めたまだ穴場の観光スポットへ足を延ばしてきました。それが、愛媛県新居浜市の別子銅山(べっしどうざん)です。全国的にはまだ知名度は低いのではないかと思われますが、江戸時代の開山から住友家が一手に経営を続けてきた由緒ある銅鉱です。

昭和四十八年(1973)に閉山しましたが、その遺構が貴重な産業遺産であるとして、世界遺産登録を目指す動きもあるそうです。別子銅山の採掘地は、四国北縁の新居浜から険しい山中に入った旧別子山村を中心にかなり広範なエリアにわたっていますが、なかでも大正から昭和初期にかけて採鉱本部が置かれていた東平(とうなる)地区が、「東洋のマチュピチュ」とも称されて整備が進められています。

とはいえ、東平への道は険しく、ループ橋まである県道から長い林道を登り、峠を越えたところでようやくたどり着きます。営為売り出し中というだけあって、東平地区自体はよく整備されていて、どうやって重機を搬入したんだろうというくらい広い駐車場も完備されています。



この日はあいにくガスと雲に覆われていましたが、逆に神秘的な雰囲気が出ていて、それなりに良かったようにも思います。





かつては、この急斜面の山肌に沿って石炭を搬出する鉄道が走っていたというのですから驚きです。



さらに驚くことに、この険しい東平からは遠く燧灘を望むことができます。本家マチュピチュではできない海とのツーショットも可能ということで、こちらはぜひ天気の良い日に訪れて撮影したいところですね。

遊歩道を歩いて奥へと進むと、変電所跡や通洞、火薬庫跡など、心霊スポットのようなエリアに出ます。この区域の中心にある広場には、「子供広場」とはっきり言って似合わない名称がつけられていますが、これはかつて東平に人々が生活していたことを示すもの。遊歩道沿いには石垣を積んで作られた小区画がいくつもありますが、なんと当時社宅が建てられていた跡だそうです。





今後、観光地化が進むとライトアップとか言い出しかねませんので、遺跡感や廃墟感がお好きな方は、今のうちに訪ねておくのが良いかもしれません。松山自動車道新居浜ICから、車でだいたい4~50分といったところです。

  



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