頼子百万里走単騎 "Riding Alone for Millions of Miles"

環境学者・地理学者 Jimmy Laai Jeun Ming(本名:一ノ瀬俊明)のエッセイ

少年向け職業観教育

2021-10-15 02:13:37 | 日記
少年向け職業観教育をする機会はそう多くなかったが、こんな哲学を内包していた気がする。
士業とまでは言わないが、理工系の専門分野(学部レベルでもよい)で飯を食う世界へ進むべし。せっかく学費と時間とエネルギーを投入して大学で学ぶのだから、そうでなければもったいないし、負担してくれた親にも申し訳ない。
余人を以って替え難い人材になるべし。替わりはいくらでもいるような人材にはならぬべし。できれば、形容詞のつかない個人の名前でその人の業績が語られる人材となるべし。
自分探しはフリーターや休学をしなくたって、普段からコツコツするべし。1年の「離脱」は生涯収入の3%くらいを失うかも。
では、文系はどうすればいいか。
「文系のほとんどの学部生はそのような進路選択、人生とはならない。」と、人文学系の先生に反論されたことがある。もちろん、法学部→法曹・官僚、経済学部→金融・官僚・経営、教育学部→教員、文学部→報道・出版、といった、いわゆる「王道」の進路は、理系の専門就職に匹敵するといってよいだろう。文句を言う筋合いではない。
しかし、「文学部でギリシャ哲学を専攻し、銀行に入るとか、メーカーで営業をする」とか、専攻とは一見無関係の進路選択をする場合、大卒資格を得るために、どの程度ガチな投資(お金のみならず、時間とエネルギーも)をするかが気になるところ。内定取れるだけの成績を取れれば十分、というのであれば、100万円ほど自腹を切ってアテネの遺跡や大学の資料館へ調査に行くまでの頑張りはまずしないのではないか。小生は理系なので、専門分野における自分の将来の展開に直結するのであれば、そのくらいはありだと思っているが、卒業就職を機会にその分野から離れてしまうとわかっているのであれば、明らかに過剰投資であろう。文学の地理学専攻では、時々そのくらいの投資をしつつも、結局その分野で飯を食うのではないという人が昔からいる。同じ企業の同じ営業スタッフになるにせよ、経済学部で普通にゼミの演習をやって卒業してきた人にくらべれば、I/Oがまるで違う(コスパが悪い)という風に見えてしまう(少なくとも理系の我々からは)。
また、語学専攻という世界にもいろいろあるが、技能としての英語を習得、みたいなレベルの人は我が国の英文科にはいないという前提で申すにせよ、好きな作家の小説ばかりを読むことに終始し、通訳や翻訳における特定の専門分野がないと、その分野の専門家が英語のスキルを上げることで、彼らは用済みとなってしまう。これは何も英語に限った話ではなく、底辺が広がっていけばほかのメジャー言語(中国における日本語)でも同じことがおきる。
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