頼子百万里走単騎 "Riding Alone for Millions of Miles"

環境学者・地理学者 Jimmy Laai Jeun Ming(本名:一ノ瀬俊明)のエッセイ

2005年11月バンコク

2019-03-22 20:03:30 | 旅行

2001年から2011年までは、毎年10月~11月に国連環境計画(UNEP)の定例会議でバンコクへ呼びつけられていた。これ以外に小生自身の研究プロジェクトでのミッションもあり、タイへの渡航は25回を超えている。ソウルや上海と同じく、バンコク都心の地図はほぼ頭に入っている状態だ。行きつけも少なくない。

 今回は初めて北朝鮮の代表(6名)が登場。みな一様に左胸に「将軍様バッジ」をつけ、ダサいスーツを着ています。ここ数年ソウルでの野外活動で鍛えた韓国語で話すと、最初は驚き、感動されていたのですが、そのうち、怪しいやつとか、「共和国」にとって有害な人物、とか思ったのでしょうか、微妙な話題には一切触れなかったのですが、皆さん私から遠ざかっていってしまいました。英語がまともにできるのが2人くらいしかいなかったし、「同志」だけで固まっていました。お互い監視しあっているのでしょうか。口数も少ない人たちでした。彼らのリーダーと名刺を交換しました。今度ハングルでメールを書いてみましょうか。朝鮮総連の科技部門(在日)以外では、初めての「北」との接触でした。
 会議の前日はフリーだったので、チャオプラヤ川を渡ってピンクラオという中華街へ足を伸ばしました。物価はバンコク都心よりのきなみ安く、外国人旅行者もまず見かけません。タイ語と中国語(ごくまれ)だけの世界です。たいした距離ではないのですが、タクシー運転手も2人に1人は行くのを嫌がります。帰りの乗客を期待できないからなのでしょう。タイ人しか行かないカフェーという種類のお店で夕食にしました。暗いホールで煌々と明るいステージに次々に登場する若手シンガー(売り出し中)の熱唱を聞きながら、タイ料理を食べ、ビールを飲みます。気に入った歌手にはおひねり(600円:現地人の感覚では3000円程度に相当)をなげると、席まで来てくれて一緒に飲み食いできるというシステム。つまり、歌謡レストラン兼キャバレーということか。席に来たのはいいけれど、私のタイ語(2005年当時)は一人で移動したり食事したりがやっと。しかも文盲(カタカナで覚えた)。文盲ってこういうものなんですね。厳密にはカタカナという文字を使っているから口承だけの文盲とは違うのですが。席に来たG嬢(19歳)はラムカーヘン大学の現役学生(バイト歌手)。英語を少し話せたので、今回随行したスタッフ(タイ語まったくわからず)にも楽しんでもらえました。バンコクに行く機会がありましたら、川を渡ってカフェーに行ってみてください。ハッポン(白人や日本人が不純な遊びを楽しんでいるので、イスラム原理主義のテロに狙われるとしたら真っ先にココではないか。)とかの猥雑なイメージとは違ったバンコクを楽しめます。



彼は小生をまだ覚えてくれているだろうか。北の知人は、ほかに朝鮮大学校の先生と総連の幹部(国連の仕事で以前あのビルを訪問した)しかいない。


コメント   この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2012年10月5日(Michael J. S... | トップ | 2012年10月4日(高所作業車) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旅行」カテゴリの最新記事