頼子百万里走単騎 "Riding Alone for Millions of Miles"

環境学者・地理学者 Jimmy Laai Jeun Ming(本名:一ノ瀬俊明)のエッセイ

山縣選手も10秒7

2021-05-06 01:39:45 | 日記
こういうことはある。1980年秋の南信地区予選でも強風が吹き荒れ、アンツーカーのトラック(荒神山陸上競技場)はぬかるんだ。この大会で引退し、受験勉強に専念しようと決めていた高校2年生の小生は、混成五種競技にエントリーし、自宅から風雨の中を雨ガッパの原付で10km走って来場。この日はチームの中で一番近かった。短距離エースのO君(1年)の持ちタイムは11秒台だが、こんな条件で13秒1。小生のレースだけ一瞬風がやみ、調子よく飛び出してトップで駆け抜け、同じく13秒1。ゴールのポーズはアメリカの黒人選手をまねてこぶしを突き上げ、チームから大爆笑が。当時の持ちタイムは12秒台後半(アンツーカー)だったので、この条件にしてはまあまあ。O君は「一ノ瀬先輩に並ばれてショック」と(笑)。初日は苦手の砲丸、そしていまだ3歩ではいけない110mハードル。いつもどおりの出来。しかし、初日の3種目合計で6位とのアナウンスがあり、陸上部員一同から驚愕と歓声が。翌日午前の走り高跳びは絶好調で、165cmをクリアー。170cmもあと一歩の感じで、種目別では3位。そして総合5位浮上。ちなみに砲丸はほとんど練習できていないし、高跳びのスパイクは専門選手のH君から臨時にレンタル(毎回毎回申し訳ない)。ひでえ選手だったわけだ。午後の400mでも逃げ切り、無事5位入賞。長野市でのインターハイ県予選(結局半年後の春の国体予選にも招聘された)に進むこととなった。つまり、引退は1か月延期となった。混成競技には時間も金(道具をそろえるなら)もかかるわけだが、小生の入賞で部員一同気をよくし、翌年の大会から3人がフルエントリー。後輩のK君(ハードルが専門)が南信チャンピオンとなった。単独種目では学校代表にすらなれない(スポーツ目的で進学した野球部員でも3年間球拾いっていうケースの100倍マシだった)小生であるが、混成だけは抜け道で、1年生の時から出させてもらっていたが、なぜか1年生の南信大会の記憶がない。1学年上のA先輩と2人で出場し、もちろん敗退。翌年Aさんから「一ノ瀬君が県大会に進んだことが、陸上部員として一番うれしかった。」と言っていただいた。素敵な青春の思い出をいただいたチームのメンバーに感謝である。そして、「合わせ技1本」みたいな人生がここから始まった(東大入試しかり)。小生にエキスパートは向かないのかもしれない。
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2 コメント

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Unknown (本人)
2021-05-06 01:45:06
いわゆる地域トップの進学校であったが、すげえ連中ばかり集まっていて、選手になるのは中学校より厳しかった。
Unknown (本人)
2021-05-06 11:27:09
それでもモントリオール五輪(1976年)の神野選手は10秒9だった。手動で10.1でも世界ではこうなっちゃう時代だった。

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