頼子百万里走単騎 "Riding Alone for Millions of Miles"

環境学者・地理学者 Jimmy Laai Jeun Ming(本名:一ノ瀬俊明)のエッセイ

1998年ドイツ留学日記発掘(その10)

2020-05-09 18:04:02 | 旅行

<その10>

 フライブルクは1120年に計画的に造られた都市である。東はすぐそばにシュバルツバルト(黒い森)の山々が迫り、西はライン河が潤す盆地(といってもこの谷は幅が広く、平野のようだ。)である。はるかかなたにぼんやりと連山が見える。あれがフランス(アルザス地方)だ。ライン河の国境を挟んだこの谷一帯は、歴史的にフランス領とドイツ領をいったりきたりで、ドイツの中でも特異な地域のようだ。世界史の教科書に出てくるホーエンシュタウフェン家はこの近くにルーツがある。第二帝国のホーエンツォレルン家もこの近くに城をかまえていた。

 街のシンボルである大聖堂(ミュンスター)は、ゴシック様式の模範となった建築物であり、観光名所といったらここくらいだろうか。4月の初めに妻の叔父さんが社内研修でスタッフとともにやってきたので大聖堂の塔に案内した。13kgの長女を抱いて頂上まで登ったのが災いし、数日筋肉痛となった。

 16世紀はじめには神聖ローマ皇帝の本拠地もこの街であった。1944年11月27日の空襲はミュンスターを破壊したが、市民は中世のデザインを参考に街の再建を成し遂げた。大聖堂のまわりには、ソーセージ(ヴルスト)をパンにはさんだバグネットの屋台が多く、どこもおいしい。

 ドイツはどこへいっても街中にトルコの名物料理ドネルケバブのスタンドが多い。特殊なオーブンで炙った羊の肉をそぎ、トルコのパンにサラダと一緒に挟んで食べるヘルシーな料理だ。気に入って数日こればかり食べていたら、見るのもいやになってしまった。

 一般にレストランは割高(消費税が高い)で、おつり程度のチップも渡す(強制ではない)。ノルドゼー(北海)は、ファーストフード風の海鮮インビスというカテゴリーのお店で、ワインも楽しめる。マルクトホールという、フライブルク版「くいだおれ」ともいうべき屋台村が気に入った。アフガニスタン、アラブ、ポルトガル、中国(大連人経営)、イタリア、米国、インド、ドイツ、、、そしてイタリアンドルチェまで。シャンパンが1杯10マルク(700円)で飲めるのがうれしい。

 国境の小さな街ブライザッハでライン河の遊覧船クルーズを楽しめる。近くのStube(ワインが中心のレストラン)で出てきたファスワイン(樽から出てくる生ワイン)は水のような飲みやすさだ。こちらへ来てから最もおいしいものにであった感覚だったが、5月の気候でアルコールのまわりが速く、少し景色もゆらぐ。

 フライブルクの中心市街地半径500mは一般車両通行禁止である。通れるのはトラムとバスと自転車のみ故に、安心して闊歩できる。しかしぼーっと歩いていると、接近してきたトラムに警笛をならされる。トラムに家族で乗っていると、地元のおばちゃんが休暇(ウアラウブ)で来たのかと聞いてくる。まだ赴任家族には見えないのか。

 自転車用の側道もドイツ発祥だ。中心市街地の道路わきには溝が掘られ、シュバルツバルトからの清流が引かれており、子供が水遊びを楽しんでいる。フライブルクの「環境首都」たるゆえんである。これらもフライブルク在住環境ジャーナリスト・今泉みね子さんの本に詳しい。お手紙を書いたらかみさんに電話がかかってきた。

 通勤定期券であるレギオカルテを1年分購入した(640マルク)。これ1枚で半径20km圏のほとんどの公共交通に乗り放題であり、環境定期券とも呼ばれている。また日曜日はこれ1枚でうちの一家全員が移動できる。しかしドイツでは、土日祝になると公共交通の本数が極端に少なくなり、お店もやっていない。みなさんどこで何をして過ごすのか。

 街中では英語はあまり通じない。50歳くらいの人々には、英語を学んでいないがフランス語は必修だったのでOKという人も少なくない。私は18歳の時、フランス語は1週間でリタイヤだった。スペルと発音が一致していない、長く綴るのに音は一瞬、みたいな理由だった。今回も、15年以上前に使っていたドイツ語の参考書を1年かけて半分以上復習していたが、単語の数を増やすことが肝要だ。はやくいろいろな人からインタビューができるレベルになりたい。

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