地域の公立高校上位4番目あたり、偏差値50のボリュームゾーンの進学パターンは、
早慶0%、MARCH18%、日東駒専23%、BF大学89%、就職5%
となっているらしい。
うちの故郷では、40年前(大学進学率は現在の半分)だと辰野高校が偏差値50のボリュームゾーン。下諏訪向陽は1980年開学。当時岡谷南は中学のクラス上位層(偏差値も60近かったはず)が進学。二葉は女子高(同学年のコが一浪で東大に入った)。弥生も70年代後半に共学化。
諏訪清陵 64 旧帝以上・医学部が最上位層
伊那北 62 旧帝以上・医学部が最上位層
諏訪二葉 57 難関国立大(非旧帝)が最上位層
伊那弥生 55
岡谷南 53 MARCH~日東駒専・地方中堅国立が最上位層
下諏訪向陽 48
岡谷東 42
このゾーンに実業高校が複数
辰野 39 (大東亜帝国~)BFが最上位層
確かに岡谷南高校の最新データはこのくらいの数字になっているようだ。そして、辰野高校の場合は4年制大学が数人という感じになっている。
「学生の貧困」というのはわれわれの世代では旧帝大でも珍しい話ではなかった。6畳1間トイレ共同(中野区25000円)住まいの小生の場合、現金おろし忘れで5円玉20枚をビンから出し、カッパえびせん1袋を1日かけて消費する(意外にサバイバルできる)という事態が何度かあったけど、月額100円の駒場寮生の中には、現在なら信じられないような厳しい経済条件の友人もいるにはいた。
「学ぶことは食べること」というのは、戦後のキャンパスで大学生活協同組合が掲げていたキャッチフレーズの1つだったと思う。実は地方のBF大学で、似たような事例があるようだ。うちの母親が地元の短大に陶芸を教えに行っていた時期、(ダイエットではなく)経済的な理由でお昼を抜くコたちの多さに驚愕させられたという。その短大、地元の中小企業を中心として就職は悪くないらしい。