頼子百万里走単騎 "Riding Alone for Millions of Miles"

環境学者・地理学者 Jimmy Laai Jeun Ming(本名:一ノ瀬俊明)のエッセイ

2015年1月霧ケ峰(冬季自然地域調査技術研修)

2019-05-11 21:54:34 | 旅行

Training of field survey on natural environment in winter.
Fischer (2001): 50,000 Yen. One Way (2013): 120,000 Yen.

冬季自然地域調査実習の準備。

前夜

Opening till 2100. Thanks.

乗り換え待ち。開いててよかった。

半年ぶりに機能復活

初日

Checking the skill of student for his cross-country ski.

1年前からの上達やいかに。

Today’s course of 5km with a nice view of Mt. Ontake.

御嶽山の噴煙も見えます。

Check point of Today's lesson.
You have to keep conscious on the use of right knee.
Now the outside of your right knee supports your weight.
So you could not do powerful kick to the lateral.
My suggestion is some training of skating without pole work.

所見:キックが左右非対称。右ひざの内側に体重をかけることができていないので、真横への力強いキックになっていない。ポールを使わないスケーティングの練習をするべき。

2日目

After the two hours training program for the examination of G2, his skating form has been absolutely improved.

たった2時間のプロによる指導(2級バッジテスト向けの内容)で、昨日までとは別人になった。この技術なら、冬季自然地域調査に連れて行けます。指導の先生は全日本マスターズの3年連続チャンピオン(75歳)。今でもフルマラソン3時間半で走っておられるという超人。

After the two hours skill assessment, my own has been improved. Original training contents today were for the participants of skill examination G2. However all of them were cleared and I proceeded to the contents of G1.

2時間の講習後、小生のスキルも大きくグレードアップ。バッジテスト2級向けの講習内容はすべてクリアーし、1級の内容へ進んだ。講師の先生(松本歯科大学の先生でもある)はバッジテストの受験を強く薦めてくださった。

改良点は、ポールを平行に振る、蹴った足の引きつけ方、アウトエッジの使い方、斜面の効率的な登り方、体重移動のタイミング、技術種の走行途中でのなめらかな切り替え、などである。

コメント (4)
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1997年9月中国・昆明(サイフが危機一髪)

2019-05-11 21:41:59 | 旅行

E-Ticket以前の時代はこんなにも不便だった。
(15年以上前に職場のニューズレターで没になった原稿)

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 1997年9月12日、夜9時半に北京空港に降り立った小生は、海関(税関)脇にある某旅遊公司の窓口へ向かった。中国国内線の机票の発券が出発までに間に合わなかったため、日本国内の代理店を通じてその日本支社からバウチャーを受け取っていたのである。営業時間はとっくに終わっていたが、バウチャーには到着便に合わせて夜遅くまで服務員がいると書かれていたので、とりあえず行ってみたものの、窓口の灯りが消えており誰もいなかった。中国だからこんなこともあろうかと、その日はそのままタクシーに乗り、空港の近くのホテルに向かった。翌日は正午の便で、雲南省の省都である昆明へ向かうことになっていた。
 多少のトラブルを予想して、出発の3時間ほど前に空港に着いた小生は、とりあえず雲南航空公司の窓口に行き、事情を説明した。窓口の小姐もバウチャーを見るのは初めてらしく、どうしていいか迷っていたが、彼女に税関のゲートから中に入ってもらい、例の旅遊公司の窓口に行ってもらうことにした。航空公司の職員といえども税関のゲートから中に入るのは難しいらしく、警備員を説得するのに時間を要した。やっとの思いで中に入ったものの、十数分後彼女は目を真っ赤に泣きはらして戻ってくるではないか。今日もまた窓口に服務員がおらず、北京市内のオフィスに電話してみたが誰も出ないという。可能な限りいろんな所にコンタクトしてくれてはみたものの、彼女にはこれ以上どうすることもできない。
 「あなたが机票を買うしかありません。」ということだが、空港ではキャッシュカードは使えないとのこと。バウチャーは帰国後に清算すればよいが、今ここでキャッシュを払ってしまうと小生の財布は残り2万円を割ってしまう。帰国時の昆明~上海についてもバウチャーのままだし、これはもう昆明では机票に換えることができない。昆明~上海の分を現地で購入するにせよ、残り2万円ではもう不可能である。しかし、昆明行のミッションをこんな理由であきらめるのは馬鹿げている。結局小生の財布の中身は非常に心細いものとなってしまった。
 昆明行の飛行機の中では実にいろんなことを考えた。上海までヒッチハイクで帰ろうか。いや、それでは成田行きの飛行機には間に合いそうにない。第一今夜からの飯代と宿代はどうするのだ。日本大使館の出先にでも泣きついてみようか。まてよ、昆明にそんなところあるのだろうか。まずはホテルにチェックインしてからゆっくり考えよう。ホテルの中国語名は何だろう。タクシーのドライバーに英語名を告げたところで「不知道」といわれるのが関の山である。空中小姐に聞いてみたが、知らないという。空港で聞くしかない。
 結局、昆明の空港には今回のカウンターパートである中国科学院西双版納熱帯植物園副教授の張一平先生と、小生の共同研究者である広島大学のF先生が、はからずも迎えにきて下さっていたおかげで、ホテルの中国語名の問題は消滅した。Education Hotel =教育賓館だなんて、何も悩むことはなかったのだ。また、日本円にして4万円強(国内線のチケット代に相当)をF先生にお借りすることとなった。
 さて、予定通り9月16日に上海経由で日本に戻った小生は、翌日試しに研究室から北京市内の旅遊公司にかけてみた。なんと、女性が出るではないか。先方は「対不起」の一点張り。仲介した日本の代理店に聞いてみたが、こんなケースは初めてという。北京空港は場内アナウンスなどを除けば中国語オンリーの世界である。小生が仮に中国ビギナーであったならば、初日夜に窓口に服務員がいなかった時点でアウトである。果たして生きて日本へ戻れただろうか(ちょっと大げさか)?
 もし仮に中国以外の英語のほとんど通じない国で同じような目にあったとしたら、今度こそ本当にアウトである。

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2015年2月25日(コーダ シャ~ミンです)

2019-05-11 21:35:02 | 日記

妻「電話。コーダさんて人から。。。」

電話口「一ノ瀬先生でいらっしゃいますか? コーダ シャ~ミンです。」(さんまさんのはちっとも似ていない)

てなことがその昔あって、まだサイトが残っている。
ちなみにうちの秘書さん(当時20代前半)は、この方をまったく知らなかった。
うちの奥さんも気がつかなかったらしい。
90年代後半に、うちの職場で彼女を講演に招いた時は、追っかけのおばちゃんが30人ほど会場に来ていて面食らった。

---

司会
幸田 シャーミン 国連広報センター所長

パネラーからの発表 出演者
(中略)
一ノ瀬 俊明氏(国立環境研究所)

https://www.unic.or.jp/news_press/info/722/

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2015年1月5日(13代目長八郎)

2019-05-11 21:22:29 | 日記

信濃に入ってから17代目の長八郎はご先祖に恥じない生き方をしてきているだろうか?

小生の実家のあるY谷は、平安末期に木曾義仲が開拓し、樋口姓(兼光の一族)などの人々が住み着いた。南北朝期には臨済宗の寺が建立され、南朝方の拠点の一つになり、小笠原氏(幕府守護勢力)を迎撃したという。小生の一族(市野瀬姓)が入り込んだのは戦国期なので、新参勢力である。

墓碑銘の調査からいろいろわかった。あとは寺の過去帳と照合するだけ。
うちが本家だったら、家老・一ノ瀬要人隆智(1986年版ドラマ白虎隊にも登場する)のように、会津戦争の英雄になっていたのかもしれない。

うちの実家は宗家ではない。分家のさらに分家である。宗家は戦国期に甲斐の国より移住したローカルな土豪(国人)であり、1551年に武田信玄から小さな所領を安堵する書状をもらっている。江戸幕府初期においても在郷の半農半士(郷士)であったが、1630年代に高遠藩・保科(松平)正之公の会津転封にあたり、宗家の当主は士分を得て会津へ移住したらしい。その子孫からは、幕末に主戦派の家老(戦死)などが出ているようだ。つまり、旧領に残留・帰農した一族の本家(名主クラスで苗字帯刀はOK)が、実家の5軒隣であり、うちは1551年のご当主(記録に初めて現れる一族の人物)から数えて5代目あたりに分家(もちろん残留組)したものらしい。

市野瀬(一ノ瀬)氏は諏訪大社の氏子(甲斐の国に発祥)であり、出雲系であると考えれば、大和朝廷にとっては反体制派である。会津藩も官軍相手に抵抗した。小生のキャラはこれだけでも説明できそう、などというつもりはない。

祖母の葬儀を契機に、仏壇の整理や墓地の清掃をしていたら、うちの歴史が少し書き変わるような発見があった。両親がご住職やご近所から伝え聞いていた話は不正確で、数代前に、子が親より先に生まれるような記録や、どう考えても2、3代飛んでいるような個所があった。宗家のように諱を記録しておらず、代々継承した長八郎(長八)という名乗りだけが伝えられていたので、系図の科学的検証も容易ではないが、うちの子たちには正しい情報を伝えたい。今回の検証の結果、享保から文政に至る2、3代の位牌が焼失していること、20年ほど前に編纂された町誌(歴史編)にも記されている1551年のご当主の戒名が、今のご本家の墓碑に彫られていることにも気が付いた。

今回小生がまとめなおした修正家系図をもとに、過去帳を管理するご住職への情報開示をお願いする予定である。

一翁栄邑居士はうちの一族の墓地で最古の銘と一致。つまり、我々は次政公の末裔である。

ご住職が普段はご不在なのでなかなか調査のチャンスがない。13代目長八郎

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2015年1月7日(風洞実験の査読論文)

2019-05-11 21:19:36 | 日記

Our recent publication

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Ye Lin, Toshiaki Ichinose, Rudder T. Wu, Yukio Yamao, Hideaki Mouri, Raymond V Virtudazo. An Experimental Study on Exploring the Possibility of Applying Artificial Light as Radiation in Wind Tunnel. Journal of Heat Island Institute International.(9(2), 108-112, 2014)

http://www.heat-island.jp/web_journal/Special_Issue_7JGM/P13_lin.pdf

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2015年1月8日(名大博物館)

2019-05-11 21:15:35 | 日記

縁とは誠に面白い。大路先生には東大地質学教室3年生の時、古生物学を教わった。

生々しい。小生のキャラは明らかに中村先生と正反対か。
かの中村先生は、時間の経過を無視して話すことが多く、人を辟易とさせてしまうらしい。小生自身はどうか?

To encourage students writing a dissertation.

陣中見舞いです。M2とB4の皆さん頑張って。
キャビアの親。1000円。一番乗りの人へごほうび。

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2015年1月8日(合格祈願)

2019-05-11 21:12:17 | 日記

まだ喪があけないので初詣ではありません。教え子の論文審査合格祈願です。

I pray for the success of my PhD student on her pre-defense.

熱田神宮のご霊験で。お礼詣りに行きます。

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2015年1月11日(長男卒論提出)

2019-05-11 21:11:11 | 日記

My son (21) said "My bachelor thesis has been almost completed.". I review my own 28 years ago.

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2015年1月11日(自然環境を測る視点)

2019-05-11 20:10:10 | 日記

小学校中学校社会科の先生がたへ。

割り付けいまいちで、図が読めない。
社会科教育2月号(明治図書)810円(高い)

一ノ瀬俊明(2015):自然環境を測る視点・尺度とは,社会科教育,52-2,48-48.

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2015年1月12日(ジビエ)

2019-05-11 20:04:46 | グルメ

Le gibier
Der Wild
La selvaggina

TRATTORIA E PIZZERIA AMICI

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2004年3月西安

2019-05-11 04:02:28 | 旅行

<原文は一ノ瀬(2007)「メコンと黄河~研究者の熱い思い~」学報社に掲載>

3時間ほどで西安に到着しました。あたりはすっかり暗くなっていました。ガイドに載っていた宿はのきなみ600元近くもしましたので、小さ目のスーツケースをごろごろ引きずりながら、鐘楼のまわりのホテルを足で探すことにしました。運良く2〜3件目に二ツ星で200元程度のところに当たり、落ち着くことができました。別のホテルの前では、見た目15、6歳と思しき、お世辞にもいい身なりとはいえない女性が3人近づいてきて、『上海の近くの農村から来ました。お金がありません。お腹もすいています。今夜私たち3人、あなたのお部屋に泊めてください。』と哀願されてしまいました。年齢を聞くと19歳という。『上海の近くから、なんでこんな内陸都市にやってきたのだろうか?』
チェックインの後だったら、3人に飯くらい食わせてあげたのに(かわりにインタビュー)。かわいそうなことをしてしまった。

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2015年1月15日(個人情報保護の観点から)

2019-05-11 03:57:16 | 日記

個人情報保護の観点から好ましくないサイト。
完全な同姓同名さんが日本に1人だけいらっしゃるのは存じ上げていたけれど、、

https://jpon.xyz/2007/25/33/108.html

Another person with the same name.

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2015年1月16日(ゴルゴの旅行術)

2019-05-11 03:53:41 | 日記

そのうち「ゴルゴの旅行術」というタイトルで本を書いてみたい。いつになるか。いまのうちに「新垣さん」を確保しておこう。河内守さまと違って100%自分の体験だから問題なし。(口述筆記ってことですね。)

https://www.excite.co.jp/news/article/Mycom_freshers__style_articles_396_outline/

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2015年1月16日(引用されました)

2019-05-11 03:51:50 | 日記

Sustainable service or not?

こんなサービスまで始めるとは。

---

Dear T. Ichinose,
It is our pleasure to inform you that your publication has been cited in a journal published by Elsevier.
Through this unique service we hope we can offer you valuable information, and make you aware of publications in your research area.
Best regards,My CiteAlert information
The CiteAlert team

Your article:
Modelling the population density of China at the pixel level based on DMSP/OLS non-radiance-calibrated night-time light images
Zhuo, L., Ichinose, T., Zheng, J., Chen, J., Shi, P.J., Li, X.
International Journal of Remote Sensing
volume 30, issue 4, year 2009, pp. 1003 - 1018

has been cited in:
Urbanization and agricultural land loss in India: Comparing satellite estimates with census data
Pandey, B., Seto, K.C.
Journal of Environmental Management
volume 148, issue , year 2015, pp. 53 - 66
View all citations to your article in Scopus

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2015年1月17日(軍事研究)

2019-05-11 03:50:28 | 日記

長男の進学先が。。。

1980年代の東大は、こういうのにとっても敏感だった。お世話になっている新領域創成科学研究科は、最後まで抵抗するだろうか。白兵戦、物量戦の時代に逆戻りしないよう、情報戦、経済戦に特化させるためならやむを得ないのだろうか。消耗戦のために学徒を徴兵しても無意味な時代には入っていると思うが、「専門家」は戦争に巻き込まれるリスクがゼロではない。

コメント (1)
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