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佐渡に伝わる能、能舞台は全国の三分の一が佐渡に集中

2022年07月24日 | 歴史・芸術・文化


蓮華峰寺で佐渡の歴史・文化財を紹介したが、佐渡で気になるといえば、実に能舞台が多く残されているということ。もちろん、年中行事として能が島内各地で演じられている。
これは先に触れたとおり室町時代に世阿弥が佐渡島に流刑となったことがきっかけと考えられる。ただ、調べてみると世阿弥が当時の城主に招かれて能を披露したとの記録はあるようだが、広めたのは世阿弥ではないようだ。
それは江戸時代。すでに佐渡鉱山で金が発掘されているころ、佐渡代官として島に赴任した大久保長安が能楽師や謡(うたい=声楽隊)、鳴物方(こういう言い方をするのか分からないが、いわゆる楽団)、狂言師一行を連れてきたことに始まる。(写真上:美しく松の絵が描かれている真野・大膳神社と能舞台)



その後、宝生流を本間家、観世流を遠藤家が、一時期は対立しながらも、奉行所(お役所)からのお墨付きなどを得ながら地方役人や庄屋・有力層に支えられながら、国仲地方(大佐渡・小佐渡に挟まれた、佐渡の中央平野部)の村々で披露させるようになり一般にも浸透していったもの。
神事として披露されるということもあって、佐渡各地の神社には能舞台が設けられた。一番古い記録では、佐和田・中原にある若一王子神社の祭礼での神事能が記録されていて、これが江戸時代の1676年。能舞台の多くは江戸後期に建造されたようだ。(能舞台は、若一王子神社のもの以前にも建造された記録はある。)
若一王子神社をはじめ、真野の大膳神社、畑野・加茂神社、新穂潟上・牛尾神社は国仲四所御能場とされるが、佐渡各地にはこの時代から現存する能舞台が30か所ほどあって、実は全国の能舞台の三分の一が佐渡に集中している。これも佐渡という離島バリアに守られてのことなのかもしれない。(写真上:拝殿の彫刻も見事な新穂潟上・牛尾神社と能舞台)



こちらもコロナの影響を受けて、能が奉納される、披露されるという機会がめっきり減っているとのことだが、つい先日、相川・春日神社で薪能が披露されたという話しを聞いた。二日目は悪天候のため、別会場の屋内で開催されたという。
その別会場とは、金井・中興の「金井能楽堂」。今から10年ほど前、前職の出張時に訪れた場所だ。そのとき、子どもたちが総合学習で取り組んでいる狂言と、地元の郷土芸能・鬼太鼓が披露され、甚く感動した記憶がある。
披露してくれた子どもたちはどうしているだろうか?人口減少、少子高齢化は佐渡に限ったことではないにせよ、何とか有形・無形に限らず地元の文化・伝統の継承に力をもたらしてくれていると信じたい。(写真上:佐和田・若一王子神社と畑野・加茂神社は、能が演じられるときに能舞台が出現する。写真下:2012年、金井能楽堂で子どもたちより狂言と鬼太鼓を披露してもらった)

(能舞台の多くは、県・市の有形民俗文化財として指定。能については特に指定はないものの、「佐渡鷺流狂言」が県の無形文化財に指定されている。)



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