行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

横田切れの現場確認を怠ったもので、再出動!

2020年08月02日 | 旅行記・まち歩き


結局、大河津分水へも忘れ物をとりに行くことになる。
仕事で「川のお話し」の信濃川版の資料を作成するため調べていくと、やはり面白い物語が潜んでいることに気づく。思い立って、水曜日に訪れた「信濃川大河津資料館」に、次の日曜日に再び向かう。

前回紹介したように、世紀の大事業であり、越後平野の発展のため多くの技術者が関り、近代土木遺産である大河津分水は、高速を使えばクルマで1時間少々。近いところに、すごい施設があったものだ!
この事業を紹介するために、国土交通省の信濃川河川事務所が設置管理する施設だ。なんと、入館無料。大河津分水を中心に、信濃川の歴史が見て取れるようになっている。



忘れ物は、前回紹介した「旧可動堰」のアップ写真を「とり(撮り)に行く」ことと、「横田切れ」の現場を確認すること。
「横田切れ」は、1896年7月22日、新潟特有の低地に襲い掛かった大水害。7月22日?最初に資料館を訪れたのは7月22日で、「今日がその日かー」と気付いたところまでは良かったが、可動堰や洗堰に凍路を奪われ、旧横田村の堤防決壊現場を確認することを怠っていたのだ。(写真下:横田切れを紹介する資料館のパネル(大河津資料館)と、腰まで浸かる越後平野の湿地帯での農作業の様子を紹介するビデオから(県立歴史博物館)。)



旧横田村は、現・燕市横田。現場はのどかな田園地帯で、越後の山々や弥彦山を望める場所。堤防の上は道路になっていて交通量も結構ある。分水から燕市街に向かう裏道になっているような場所に記念碑とポケットパーク(横田切れ公園)がある。(写真下)
といっても堤防の内側にも水田が広がり、ここは外側の堤防上で、300~400メートル先に信濃川堤防が見える。ここが死者75名、被害面積は180平方キロメートル。信濃川、中ノ口川流域は浸水し、新潟市の関屋まで水が上がったという。

大河津分水工事には、地域の賛否両論があって、賛成派反対派の騒動にもなることがあったというが、横田切れの大惨事により、分水路工事は一気に加速することになる。




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