恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

無常の形而「外」学

2015年06月20日 | 日記
 人間の実存(経験的・具体的在り方)そのものを全体として自覚し、それを根拠づける原理や理念に関する思惟(さらに、それに基づく実践)の体系を形而上学と考えるなら、それは当然実存の中には無く(根拠づけるものが根拠づけられるものの中にあったら、根拠にならない)、個々の実存を普遍的に制御する、いわば「超越」的位置にあることになるでしょうから、形而「上」学と言われるのも、わかる話でしょう。

 このとき、人間の実存は言語に強く浸透・拘束された、いわば「言語内存在」ですから、それを根拠づける原理や観念は、実存が日常使用する言語とは別次元に設定された、強力な「超越的」言語によって表現されるころになるでしょう(「神の言葉」「預言」「真言」「呪文」)。

 仏教は、実存を全体として自覚しようとするとき、まずその「言語内存在」という存在様式それ自体を問題にします。そして、この実存を、何らかの原理や理念を持ち出して根拠づけることをせず、それ自体を禅定などの方法で解体して、その「外」に視点を設定する方法をとります。その視点から露わになるのが、「無常」「無我」と呼ばれる事態です。つまり、仏教は形而「上」学ではなく、形而「外」学です。

 このとき問題なのは、形而「上」学は、実存に根拠を言語によって明白に提示するのに対し、形而「外」学はそれを与えないことです(「悟った」からと言って、実存する限り苦悩はやまず、「ニルヴァーナ」は何のことか説明がない)。

 したがって、本来形而「外」学的体系であるものに形而「上」学的観念(「輪廻」「極微」「刹那」「仏性」「見性」)を導入することは、仏教の最もユニークでオリジナルな提案である、形而「外」学的な実存了解を毀損するでしょう。
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166 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2015-06-20 07:42:42
今回のテーマは何だか難しいけど、感覚的には和尚様の謂わんとされてることに共感しました。勉強してみます。
Unknown (Unknown)
2015-06-20 07:50:22
形而外学、て面白い表現ですね。まだ、外に出た経験がある、とは言えない自分ですが、いつか坐禅を深め、その境地から世界を感じてみたいです。上座部の瞑想もそういう方法の一つかと思いますが、禅とは異なる世界感があるように思いますので、チャレンジする機会には、今回のお話を思い出して、巻き込まれないように気をつけたいと思います。
Unknown (Unknown)
2015-06-20 07:55:45
うんうん。「外」ってところが和尚さんにしか思いつかないような表現だよね。出家する意義とは、そういう見方をするということでもあるんだろうね。できるようになれればいいけど。
Unknown (Unknown)
2015-06-20 07:59:46
超越した法話のようです。
Unknown (Unknown)
2015-06-20 09:33:21
インチキ臭くない、説得力のある法話だと思いました。
Unknown (Unknown)
2015-06-20 16:15:17
毀損されるんだろうか。
「外」なら毀損しようがなくないんだろうか。
毀損されると思うのは、言葉で地続きにし直すからじゃないの?言葉主義だから。
Unknown (Unknown)
2015-06-20 16:48:45
分かってる人にとっては、一定の距離を保てばいいだけだけど、これから仏法を学ぶ人は気をつけた方がいいっていう、南師のアドバイスでしょ。龍樹ベースの発想の本質からは外れるから、そういう意味では毀損するって言えるんじゃないの?
Unknown (Unknown)
2015-06-20 17:55:36
りゅーじゅって冬季オリンピック種目のあれ?ぐらいにわかってないヒト(私)にとっては、そういう意味もこういう意味も意味がないっていう。
Unknown (Unknown)
2015-06-20 18:07:12
龍樹は、大乗仏教の理論のベースを構築した人。空の理論を完成させた菩薩。南師の所属する曹洞宗創始者の道元禅師は、多分、龍樹直系の思想を受け継いでいる。
Unknown (Unknown)
2015-06-20 18:32:34
なんで、わざわざ「無常」が付くんだろ?

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