新古今和歌集の部屋

東関紀行 不破の関

音に聞し醒が井を見れば、蔭暗き木の下岩ねより流れ出る清水、あまり涼しきまですみわたりて、誠に身にしむばかりなり。余熱いまだつきざる程なれば、往来の旅人おほく立寄てすゞみあへり。班倢伃が団雪の扇、岸風に代へてしばらく忘れぬれば、末遠き道なれども、立さらむ事は物うくて、さらにいそがれず。西行が、「道の辺の清水ながるゝ柳陰しばしとてこそ立とまりつれ」とよめるも、かやうの所にや。

  道のべの木かげの清水むすぶとてしばしすゞまぬ旅人ぞなき



(関の藤川)

 

柏原と云所を立て、美濃国関山にかかりぬ。谷川霧のそこにをとづれ、山風松の声に時雨わたりて、日影も見えぬ木の下道、哀に心ぼそく、越果てぬれば不破の関なり。板庇年へにけりと見ゆるにも、後京極摂政殿の、「荒にし後はたゞ秋の風」とよませ給へる歌、思出られて、この上は風情もまはりがたければ、いやしき言の葉残さんも中/\覚て、爰をばむなしく打過ぎぬ。


新古今和歌集巻第三 夏哥
 題知らず               西行法師
道の辺に清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちとまりつれ

よみ:みちのべにしみずながるるやなぎかげしばしとてこそたちどまりつれ 定隆雅 隠

意味:道の側らに清水が流れる柳の陰で少しの間暑さをしのいでいようと思ったら、気持ち良さについ長居をしてしまった。

備考:遊行柳 芭蕉奥の細道。異本山家集。

 

巻第十七 雜歌中
 和歌所の歌合に關路秋風といふことを
人住まぬ不破の關屋の板びさし荒れにし後はただ秋の風

よみ:ひとすまぬふわのせきやのいたびさしあれにしあとはただあきのかぜ 雅 隠

意味:人が住まなくなった不破の関の板の庇に、すっかり荒れてしまった後は、ただ秋風だけが寂しく吹いている。

備考:和歌所影供歌合。不破の関は岐阜県関ヶ原町松尾に有った関所。歌枕名寄、新三十六人歌合、定家十体の面白様の例歌、美濃の家苞、常縁原撰本新古今和歌集聞書、新古今抜書抄、新古今注、九代抄、九代集抄、聞書連歌、古今和歌集抄出聞書(陽明文庫)



東関紀行

鎌倉中期の紀行文学。一巻。作者未詳。1242年(仁治3)8月10日ごろ京都を出発し、十余日後鎌倉に到着。そこで約2か月間滞在し、10月23日ごろ帰途に着くまでのことを書いているが、京都から鎌倉までの道中記が大部分で、鎌倉滞在記は逗留(とうりゅう)期間60日にしてはきわめて短い。文章は漢語を多く用いた和漢混交文であるが、和文、漢文のよくこなれた流暢(りゅうちょう)な文章である。また文中に『源平盛衰記』や『長門本(ながとぼん)平家物語』の文章と類似した部分がある。同じ鎌倉時代の東海道や鎌倉を描いた『海道記』に比べると自照性に乏しく、紀行文学としての文学的価値は低い。

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