平家物語 第一
八 清水えんしやうの事
かうねらふかたもや有けん、一言葉も出さず。みかどかく
なる清水寺にをしよせて、仏かく僧はう一宇も残さず焼
なり。是に付ても、○(よく)〃ゑいりよにそむかせ給はで、人の為
/\けるを、太子にたて参らさせたまふべしと、聞えし程
北のかた、八条の二位殿の御いもうと也。又平大納言時忠の
山門の大衆、らうぜきをいたさば手むかひすべき処に、心ふ
かうねらふかたもや有けん、一言葉も出さず。みかどかく
れさせ給ひて後は、心なき草木までも、みなうれへたる
色にこそ有べきに、此さうどうのあさましさに、高もいや
しきも、肝魄をうしなつて、四方へみなたいさんす。同しき
廿九日の、午のこく斗、山門の大衆おびたゝしう下らくす
と聞えしかば、ぶしけんひゐし、西さかもとに行向て
ふせぎけれ共、事共せず、をしやぶつて乱入す。又なに
ものゝ申出したりけるやらん、一院山門の大衆に仰て、
平家つゐたうせらるべしと聞えしかば、軍兵内裏に参
じて、四方のぢんどうをかためて、けいごす。平氏の一類皆
六はらにはせあつまる。一院もいそぎ六はらへ御かうなる。
清盛公其時はいまた大納言の右大将にておはしけるが、
大におそれさはがれけり。小松殿何によつて、只今さる御
事候べきとしづめ申されけれ共、さわぎのゝしる事おび
たたし。され共山門の大衆六はらへはよせずして、そゞろ
なる清水寺にをしよせて、仏かく僧はう一宇も残さず焼
はらふ。是は去ぬる御さうそうの夜の、くわいけいのはぢを
きよめんがためとぞ聞えし。清水寺は興福寺の末寺た
るによつて也。清水寺やけたりけるあした、観音火けう
へんじやうちはいかにと、札にかきて、大門の前にぞ立た
りける。次の日又、歴刧ふしぎ力をよばずと、返しの札を
ぞ打たりける。衆徒帰りのぼりければ一院もいそぎ六は
らより還御なる。重盛の卿ばかりぞ、御送りには参られ
ける。父の卿は参られず。猶よう心の為かとぞみえし。重
盛の卿、御送りより帰られければ、父の大納言の給ひけ
るは、扨も一院の御かうこそ、おほきにおそれ覚ゆれ。か
ねても思召より、仰らるるむねのあればこそ、かうは聞
ゆらめ。それにも猶打とげ給ふまじとの給へば、重盛の
卿申されけるは、此事ゆめ/\御けしきにも御言ばにも、
出させ給ふべからず。人に心つけがほに、中/\あしき御事
なり。是に付ても、○(よく)〃ゑいりよにそむかせ給はで、人の為
に御なさけをほどこさせましまさば、神明三ほうかご有
べし。さらんに取ては、御身の恐れ候まじとて立れければ重
盛の卿は、ゆゝしうおほやうなるものかなとて、父の卿もの
給ひける。一院くわん御の後、御前にうとからぬ近習しや
たち、あまた候はれけるに、さてもふしぎの事を申出し
たる物かな。露も思し召しよらぬ物をと、仰ければ、院中
のきり物に、さいくわうほうしといふ者有。をりふし御前
ぢかう候けるが、すゝみ出て、天に口なし、人をもつていは
せよと申す。平家もつての外にくわぶんに候間、天の
御はからひにやとぞ申ける。人〃此事ことよしなし。かべに
みゝ有。おそろし/\とぞ、各さゝやきあはれける。去程
にその年は、りやうあんなりければ、御けい大じやうゑも
行はれず。建春門院其時はいまだ、東の御かたと申
ける。其御はらに、一院の宮の五さいにならせ給ふのまし
/\けるを、太子にたて参らさせたまふべしと、聞えし程
に、同じき十二月廿四日、俄に親王のせんじかうふら
せ給ふ。あくればかいげん有て、仁安とかうす。同じ年
の十月八日の日、去年親王のせんじかうふらせ給ひ
し、皇子、とう三条にて、春宮に立せ給ふ。春宮は御
をぢ六さい、主上は御おひ三さい、いづれもぜうもくに相
かなはず。但くわんわ二年に、一条の院七さいにて御そく
ゐあり。三条の院十一さいにて、春宮にたゝせ給ふ。せん
れいなきにしもあらず。主上は二さいにて、御ゆづりを
うけさせ給ひて、わづか五さいと申し、二月十九日に、御位
をすべりて、新院とぞ申ける。いまだ御げんぶくもなく
して、太上天皇のそんがう有。かんか本朝これや始なら
ん。仁安三年、三月廿日の日、新帝大こく殿にして、御そ
くゐあり。此君のくらゐにつかせ給ひぬるは、いよ/\平家の
栄花とぞみえし。国母建春門院と申は、入道相国の
北のかた、八条の二位殿の御いもうと也。又平大納言時忠の
卿と申も、此女院の御兄なるうへ、内の御外せき也。内外に
つけて、しつけんの臣とぞみえし。其比のじよゐぢもく
と申も、偏に比時忠の卿のまゝなりけり。やうきひがさい
はひし時、やうこくちうがさかへしごとし。世の覚え、時の
きら、めてたかりき。入道相国天下の大小事をの給ひ
あはせられければ、時の人、平くわんばくとぞ申ける