そよ風の向こうに~

横浜市自死遺族の集い「そよ風」に参加していましたが、2013年4月にセルフヘルプグループを設立して月1回語り合っています

開催日(詳細はclickしてご覧下さい)

レンタルフレンド

2014-05-31 21:46:16 | 雑感
昨日、夜のニュース番組で「レンタルフレンド」というのをやっていた。
便利屋が時間単位で友人を貸し出すのだ。
番組ではキャッチボールの相手をして貰っている人(短時間)と、日帰りレジャーに一緒に行って貰う人(長時間)が紹介されていた。
女性だけの便利屋で犯罪と性サービス以外は何でもするそうだ。最近、こういう依頼が増えているそうだ。

以前、レンタル友人、レンタル親戚というのを新聞で読んだことがあった。結婚式の招待人数を補うためだった。相手方の手前、少ないと恰好がつかないということらしい。
レンタル家族も読んだことあった。年老いたひとり暮らしの人が月1とかで孫を借りていた。

そういうのを知っていたせいか、「レンタルフレンド」自体には驚かなかった。むしろ、それほど人と触れ合うことに飢餓状態の人がいるのだなと、切なくなる。

日帰りレジャーの人は8時間だったから、レンタル料だけで4万円近かった。それに食事代・レジャー代を加えれば・・・
念のために書きますが「レンタル恋人」ではなく「友人」ですから。お客はふたりとも男性たったけれど、これはたまたまだったのか? 
ただ、ふたりとも強い劣等感を持っているようだったので、同性じゃない方がいいんだろうな、と思っていました。それを考えると女性の利用はないのかな?

もちろん、彼らもそれが友人ごっこであることは百も承知だろう。本気で友人がレンタル出来ると思っているなら、かなり問題ですが、そうは見えなかった。

最近、街頭インタビューなどで若い子に「友達、何人?」と聞くと「100人」とか、とんでもない人数を当たり前の顔で言う子が多い。
それは単にSNSで繋がってる人数で、友達じゃないだろ!と、そちらの方に強い違和感を覚えてしまう。友達ごっこなのに、それに気がつかない方が、かなり問題だよなと。
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心的再会

2014-05-30 20:21:31 | 自死遺族
街を歩いている時、亡くなった家族を見つけてドキッとし、その後、ひどく落胆した経験は多くの遺族の方が経験していることではないだろうか。

歳恰好が、背格好が、着ている服が似ていただけで別人。一瞬「あっ!」と思い、すぐに人違いだとわかる。

これを「心的再会」と言った遺族がいた。ほんの一瞬だけどその時は本当に「そこにいる」と認識した。自分の記憶が見せてくれた一瞬の再会。

ただ最近、この再会はなかなか来ないという。亡くなっているのだから、もう街中で偶然出会うことなどあり得ないという理性が、自分の中で勝ってしまっているから・・・そう言っていました。

似ていると思ってドキッとすることはあっても、本人と勘違いすることはもう出来ないのかもしれいない。亡くなってしまったということを、何回も何回も嫌というほど自分の中に刷り込んでしまったから。

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81歳

2014-05-29 23:29:37 | 雑感
維新分裂へ 大阪維新議員は歓迎も「結婚は簡単やけど、離婚は難しい」との声も(産経新聞) - goo ニュース

もう少しもつかと思ったけれど、やはり別れました。でも、円満協議離婚ですね。
親(代表ふたり)はそれでいいけれど、子供(所属議員)はどちらに行くか?早急に選択を迫られますね。

石原氏の「81歳、残りの人生、自分の思ったように生きたい」という気持ちはよくわかる反面、そのように出来るというのは、羨ましい。

このニュースを見ようと思っていたら、見ていた番組は拉致問題一色だった。

拉致再調査 「最後の機会、ぜひ成果を」 横田さん夫妻、制裁解除には不安も(産経新聞) - goo ニュース

横田氏もまた81歳だった。
わが子との再会を願い、もうすぐ37年。その願いは叶うのか?
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悲嘆の回復

2014-05-28 10:30:51 | 自死遺族
この言葉に違和感を持ったある遺族は「自分にとって悲嘆、悲しみは乗り越えるものではなく、生涯抱えて生きていくものだ」とことあるごとに語り、そして文章にも書いてきた。依頼されれば人前で体験談を話したり、書いたりしてきた人だ。

その人が最近、「悲嘆の回復」という言葉に違和感を覚えなくなったという。
むしろ、納得!するという。

まだ冬のコートを着ていた時に大怪我をした。ギプスは取れたが、未だにシーネを装着している。
受傷箇所は完全に元通りの機能を取り戻すことはないだろう。
以前は1分もかからず出来ていたことに30分以上費やしたこともあった。
でも、数日前出来なかったことが、今日出来るようになる。少しずつ少しずつ回復していることを実感する。でも、決して元通りにはならない。いつか出来ることはそれ以上増えることはないだろう。出来ないことは生涯出来ないこととして、抱えて生きていくしかない。そして、その出来ないことは一見他人にはわからないことだ。

そう思った時、まさに「悲嘆の回復」という言葉が急に自分の中で腑に落ちたという。

悲しみは消えることはない。だから、回復なんてありえないと思っていた。
でも、毎日毎日、ところかまわず涙が出てきた日々はもうない。ふいに思いがけない時に涙が出そうになることはあるが、あの頃のように、のべつ幕無しに泣いているわけではない。心から笑っていないかもしれないけれど、他人と談笑しながら食事をすることもある。
ああ~、そうか、これはまさに回復だね。怪我の回復と同じことだ。


この話を聞いた時、私は日々泣いていた時を思い出した。そして、亡くなったあの子の力になれなかった、理解が行き届かなかった、悪いことをしてしまったという自責の念は、時間とともに、あれも運命だったのだと思える時もあるようになった。
そして、悲しみを抱えながらも、あの当時からすれば見違えるように日常生活をおくれるようになった。やはり、これは回復ということだと思う。他に適当な言葉が見つからない。
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回復とは

2014-05-27 23:48:31 | 自死遺族
ガンで胃を3分の2切除する。5年も経てば人から見ればすっかり回復し健康そのものに見える。
しかし、日々、食後のダンピング(胃切除の後遺症)に苦しむこともある。食べられる量も、物も以前のようにはいかない。

骨折する。単純骨折なら後遺症もなく元通りになることも多いだろうが、複雑骨折や粉砕骨折なら元通りの機能を取り戻すのは難しいこともある。それは人から見たらすぐにはわからないものかもしれないが、本人にとっては苦痛であり、また不便である。

残りの3分の1の胃が大きくなるわけではなく(大きくなると思っている人がいるようだが、勘違いです)、粉砕した骨がくっついても可動域は狭くなる。

大病や大怪我をした人ならわかるだろう。一度失った機能は元に戻ることはない。
それでも、術後や受傷後に比べれば出来ることが増える。それを人は回復というのだ。

回復は元に戻ることではないし、不具合なことが全て消えて術前や受傷前の状態に戻ることではない。
確かに辞書には「一度失ったものをとりもどすこと。もとのとおりになること」(広辞苑)と書いてあるけれど、この通りの意味だけで使っている人はいないと思う。
だって、そうなら私はガンから回復していないことになる。
決してもとのとおりにはなっていないのだから。

「悲嘆の回復」という言葉に拒否反応を示す人がいる。悲嘆はなくなるものではない。だから、回復なんてありえない!ということだ。しかし、そういう人も普段、身体的なことには安易に「回復」って言葉使っているんじゃないかな?と思ってしまう。
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