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「紅廉石片岩」 長瀞町

2011年09月19日 12時46分20秒 | 名所・観光

「紅簾石片岩」長瀞町

宝石でも奇石でもない。中国のように奇岩怪石がそそり立っているわけではない。世界で最も美しいと言われる“岩石の女王”が荒川沿いの長瀞にあると聞いて、日本一の板碑(いたび)「野上下郷石塔婆」を訪ねた足で、現地を訪ねた。

名は「紅簾石片岩(こうれんせき・へんがん」。白い石英片岩が筋状に入っているので「紅簾石石英片岩」とも呼ばれる。「片岩」とは、圧力や温度などの変成作用を受けた変成岩のこと。

「武蔵型板碑」の原石の緑泥石片岩もその一種で、板状に割れるのが特徴。「秩父青石」「武蔵青石」とも呼ばれる。

それが「紅簾(赤いすだれ)」状になっているというのだから、その名だけで魅せられる。紅簾石を多く含み、石英、絹雲母が混じり合っているため、季節や時間で見る目には暗紫色や真紅色にも変化するという。国名勝、天然記念物に指定されているのに、立入禁止でもなく、自由に上にも乗れる。

私が訪ねたときは朱色に近いように見えた。岩上で紅色が強い部分を見ていると、その色合いや形状から官能的なものを感ずるほどだ。

秩父鉄道の親鼻駅から徒歩で約10分。親鼻橋のすぐ上流の右岸にある。国指定名勝・天然記念物「長瀞」の最も上流にある。これだけの規模の紅廉石片岩が露頭しているのは、世界でも珍しく、貴重な存在だという。

1888(明治21)年、この「紅簾石」を世界に先駆けて新鉱物として発見したのは、近代鉱物学の日本の草分け、東大教授の小藤(ことう)文次郎である。小藤文次郎は、ナウマン象の発見者としてその名を残すドイツ人お雇い教師のナウマンが、最初の東大地質学教授となった時の第一期生。

ドイツに留学し、36年間東大教授として秩父などの結晶片岩の研究を進めた。

ナウマンは、日本に初めて近代地質学を導入、1878(明治11)年、日本で初めての地質調査を長瀞で実施した。このため長瀞は「日本地質学発祥の地」とされる。

長瀞のキーワードは「変成岩」である。岩石にはそのできかたによって、火成岩、堆積岩、変成岩の三つがある。

火成岩は、マグマが溶けて冷えて固まったもので、花崗岩、玄武岩など。堆積岩は、礫、砂、泥、火山灰などが積もって、固まってできたもので、砂岩、泥岩、凝灰岩など。

変成岩は、このような岩石が、高い圧力や熱で、新しくできた岩石のことである。結晶片岩がその代表。

秩父鉄道の上長瀞駅に近い「県立自然の博物館」の前の川原の荒川左岸には、阪神ファンが喜びそうな、虎の毛皮の縞模様に似たこげ茶色の「虎石」がある。これが結晶片岩である。

1916(大正5)年、盛岡高等農林学校が毎年のように実施していた秩父への地質旅行の中に、当時2年生の19歳の宮沢賢治がいた。虎岩の美しい色と縞模様に感激して

つくづくと「粋な模様の博多帯」荒川岸の片岩の色

という句を親友に送った。

その歌碑が博物館の前に、「日本地質学発祥の地」の碑とともに残されている。

この長瀞を中心とする秩父地域を地質の世界遺産であるユネスコの「ジオパーク」指定を目指す運動が続いている。

長瀞は11年、その一歩手前の「日本ジオパーク」にやっと認定された。遅きに失したという感じだ。



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