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種田山頭火終焉の地「一草庵」・松山市

2009年05月28日 17時23分41秒 | 観光地・名所・旧跡とその界隈
◆放浪の自由律俳人「種田山頭火」が、57歳のとき四国遍路の旅の果てに旅の終焉とした場所。在庵10か月、昭和15(1940)年10月11日に永眠。享年59歳。昭和14年友人の好意により御幸寺境内に庵住し「一草庵」と名ずけた。

◆山頭火は、大正15(1926)年、一笠一杖一鉢の行乞行脚の旅を始め、その間、山口県小郡町に「其中庵」、湯田温泉に「風来居」を結びますが行乞を止めず、自然と一体となり、自己に偽らず、自由に一筋の道を詠い続けました。

◆愛媛大学の城北キャンパスから北方約500メートル離れた御幸山の麓にあり、御幸寺境内の納屋を改造した庵です。

◆現在松山市がこの一草庵を管理しているが、春と秋の年2回一般に公開されるとのこと。
庚申庵のように整備されておらず、案内看板があっても場所がわかりずらく、訪ねて少々がっかりしたのも事実です。早く整備されることを願います。

種田山頭火終焉の地「一草庵」

種田山頭火終焉の地「一草庵」

種田山頭火終焉の地「一草庵」

種田山頭火終焉の地「一草庵」

種田山頭火終焉の地「一草庵」

所在地:松山市御幸町1丁目440-2

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夏目漱石と正岡子規ゆかりの「愚陀佛庵」・愛媛県松山市

2009年05月28日 17時23分16秒 | 観光地・名所・旧跡とその界隈
「萬翠荘」について
◆松山市一番町、市内電車「大街道」駅を下車し、横断歩道をロープウエイ通り側に渡り、裁判所の横を右に入ると「坂の上の雲ミュージアム」があり、さらに奥へ。緑に囲まれた坂をゆっくりと上っていくと、白い純フランス風の洋館「萬翠荘」が姿を現します。

◆萬翠荘は、大正11年に旧松山藩主、久松定謨(ひさまつさだこと)の別邸として建てられ、愛媛県の指定有形文化財にも指定されるほど、建物自体に芸術的価値が広く認められています。当時は、最高の社交の場として各界の名士が集まったそうです。残念ながら訪問した日は、改修工事中で内部の見学はできませんでした。

◆今は愛媛県美術館分館として利用されていて、主に郷土出身美術家を顕彰する企画展示を行っています。

「愚陀佛庵」について
◆明治28(1895)年、松山中学校に英語教師として赴任した夏目漱石が下宿した「愚陀佛庵」が、復元されました。
「愚陀佛」とは、漱石の俳号です。
同年8月27日から10月19日まで、一高の同級生で親友の正岡子規に1階を譲り、漱石は2階で寝起きするという共同生活を送りました。短期間の共同生活ではありましたが、その間の俳句活動等が後の文豪と俳人を生んだともいえる、貴重な舞台です。

◆もとは街中にあった愚陀佛庵ですが、「萬翠荘」の敷地内に復元されました。それは、漱石の松山での最初の下宿「愛松亭」が、同じ「萬翠荘」の敷地内にあったことにちなんだものです。

「藩政時代の井戸」について
◆萬翠荘のすぐ前にある松山城築城時代に掘られたともいわれ、いまでも枯れることのなく湧いている。茶を好んだ夏目漱石も愛飲したといわれています。

問合せ
TEL:089-921-3711(萬翠荘)

愚陀佛庵・萬翠荘・松山市観光ポイント
「坂の上の雲ミュージアム」です。

愚陀佛庵・萬翠荘・松山市観光ポイント

愚陀佛庵・萬翠荘・松山市観光ポイント

愚陀佛庵・萬翠荘・松山市観光ポイント

愚陀佛庵・萬翠荘・松山市観光ポイント

愚陀佛庵・萬翠荘・松山市観光ポイント

愚陀佛庵・萬翠荘・松山市観光ポイント

愚陀佛庵・萬翠荘・松山市観光ポイント

愚陀佛庵・萬翠荘・松山市観光ポイント

愚陀佛庵・萬翠荘・松山市観光ポイント

愚陀佛庵・萬翠荘・松山市観光ポイント

愚陀佛庵・萬翠荘・松山市観光ポイント

愚陀佛庵・萬翠荘・松山市観光ポイント

愚陀佛庵・萬翠荘・松山市観光ポイント

愚陀佛庵・萬翠荘・松山市観光ポイント
「藩政時代の井戸」の跡です。

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庚申庵史跡庭園・愛媛県松山市

2009年05月28日 17時22分45秒 | 観光地・名所・旧跡とその界隈
◆「庚申庵」は、小林一茶とも親交のあった松山俳諧の中興の祖である「栗田樗堂」が余生を風流に暮らそうと寛政12年(1800年)、52歳の時、松山城西方の味酒郷に建てた草庵です。もと青面金剛の小祠があり、古老が古申庵と呼んでいた場所に、庚申の年に建てたので庚申庵と名付けられたといわれています。

◆老朽化が進み、倒壊の危機にありましたが、学生の政策論文がきっかけとなり、松山市が平成12年から復元にとりかかり、平成15年5月に開園した史跡庭園です。

◆庚申庵史跡庭園は、愛媛県指定史跡「庚申庵」(昭和24年指定)です。

◆ここでは講座や講演会など催されるほか、茶室は句会や茶会等に利用できます。

◆園内は、当時の雰囲気をかもしだす造りに再現されていますが、すぐ隣にマンションがあり、写真にはその建物が映りこんでしまいます。何とかならないものか、残念です。
見学に適した時期は、春の藤が咲いている季節が良いと思います。

◆アクセス
1.伊予鉄高浜線「古町」駅より、線路沿いを大手町に向け徒歩5分。
2.伊予鉄市内電車「宮田町」駅より徒歩4分。フジグラン松山の横を東に、伊予鉄高浜線踏切を越えてすぐ。
3.JR松山駅より徒歩10分。松山駅を出て、キスケの横を東へ、伊予鉄高浜線踏切を越え左に線路沿いを歩いてすぐ。

◆開園
午前10時より午後6時まで。水曜休園。

◆お問合せ
〒790-0814 愛媛県松山市味酒町2丁目6-7
           庚申庵史跡庭園
TEL:089-915-2204

庚申庵史跡庭園・愛媛県松山市

庚申庵史跡庭園・愛媛県松山市

庚申庵史跡庭園・愛媛県松山市

庚申庵史跡庭園・愛媛県松山市

庚申庵史跡庭園・愛媛県松山市

庚申庵史跡庭園・愛媛県松山市

庚申庵史跡庭園・愛媛県松山市

庚申庵史跡庭園・愛媛県松山市

庚申庵史跡庭園・愛媛県松山市

庚申庵史跡庭園・愛媛県松山市

庚申庵史跡庭園・愛媛県松山市

庚申庵史跡庭園・愛媛県松山市

庚申庵史跡庭園・愛媛県松山市

庚申庵史跡庭園・愛媛県松山市

庚申庵史跡庭園・愛媛県松山市

庚申庵史跡庭園・愛媛県松山市

庚申庵史跡庭園・愛媛県松山市

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愛媛県松山市北条地区「善応寺」

2009年05月28日 17時22分26秒 | 観光地・名所・旧跡とその界隈
◆善応寺は伊予の豪族河野通盛が建武2(1335、異説がある)年に本拠を道後の湯築城に移すとき、自分が住んでいた土居館を京都の東福寺を模して創建し善応寺と称した。

◆寺伝によると当時は七堂伽藍(しちどうがらん)がそびえたち、13の塔頭(たつちゅう)をもっていたという。現在の寺は、そのうちの明智庵(みょうちあん)のところに建てたものである。

臨林宗東福寺、好成山
開 創:建武2年(1335)もしくは同3年(1336)
開 山:正堂士顕。開基・河野通盛(善恵)
所在地:愛媛県松山市善応寺甲428
連絡先:089-992-0844
交 通:JR予讃線柳原駅から3 km

愛媛県松山市北条地区「善応寺」

愛媛県松山市北条地区「善応寺」

愛媛県松山市北条地区「善応寺」

愛媛県松山市北条地区「善応寺」

愛媛県松山市北条地区「善応寺」

愛媛県松山市北条地区「善応寺」

愛媛県松山市北条地区「善応寺」

愛媛県松山市北条地区「善応寺」

愛媛県松山市北条地区「善応寺」

愛媛県松山市北条地区「善応寺」

愛媛県松山市北条地区「善応寺」

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四国88箇所霊場の第53番札所「圓明寺」・愛媛県松山市

2009年05月28日 17時22分05秒 | 観光地・名所・旧跡とその界隈
◆圓明寺(えんみょうじ)には四国霊場最古の銅板納札がある。大正13年(1924)、米国シカゴ大学のスタール博士が四国遍路の途中、本尊を安置する厨子に打ち付けられていた納札を見つけた。慶安3年(1650)の銘があり縦24センチ、幅9.7センチ。破損のない納札としては現存最古で、例のない銅板製。「遍路」という文字が初めて記されている。

◆縁起によると、天平勝宝元年(749)、聖武天皇の勅願で行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像などを彫造して安置し、七堂伽藍を備えて建立したのが創建とされている。当時は和気浜の西山という海岸にあり、「海岸山圓明密寺」と称したという。後に弘法大師が荒廃した諸堂を整備し、札所として再興した。

◆鎌倉時代には度重なる兵火に遭い、衰微した。元和年間(1615~24)にこの地の豪族が現在地に移した。寛永13年(1636)には京都の仁和寺の直末寺として再建され、寺号も改められた。

四国88箇所霊場の第53番札所「圓明寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第53番札所「圓明寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第53番札所「圓明寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第53番札所「圓明寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第53番札所「圓明寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第53番札所「圓明寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第53番札所「圓明寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第53番札所「圓明寺」・愛媛県松山市

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四国88箇所霊場の第52番札所「太山寺」・愛媛県松山市

2009年05月28日 17時21分37秒 | 観光地・名所・旧跡とその界隈
◆太山寺(たいさんじ)は、愛媛県松山市にある真言宗智山派の寺院。山号は瀧雲山。四国八十八箇所霊場の第五十二番札所。

◆太山寺の草創については、以下のような「一夜建立の御堂」伝説が伝えられている。それによると、飛鳥時代の用明天皇2年(587年)、豊後国臼杵の真野の長者という者が難波に船で向かう途中、高浜の沖で嵐に遭遇した。長者が平素から信仰する観音に念じると山頂から光が差し嵐が止んだ。光の差した場所に行ってみると十一面観音を祀った堂があった。長者は感謝しそこに寺院を建立するため、豊後より一晩で建材を持ち込んだ。そして、山腹に一夜にして寺院を建立したということである。

◆寺伝によれば、天平5年(733年)聖武天皇の勅願により行基によって本尊の十一面観音が安置され、天平勝宝元年(749年)に現在の地に移転されたと伝えられている。

◆中世には伊予国守護河野氏、近世には松山城主加藤氏の庇護を受けて栄えた。

四国88箇所霊場の第52番札所「太山寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第52番札所「太山寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第52番札所「太山寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第52番札所「太山寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第52番札所「太山寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第52番札所「太山寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第52番札所「太山寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第52番札所「太山寺」・愛媛県松山市

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四国88箇所霊場の第51番札所「石手寺」・愛媛県松山市

2009年05月28日 17時21分04秒 | 観光地・名所・旧跡とその界隈
◆石手寺(いしてじ)は、愛媛県松山市石手にある寺院。山号は熊野山。詳名は熊野山虚空蔵院石手寺(くまのさんこくうぞういんいしてじ)。寺伝によれば開基は行基で、神亀5年(728年)の創建とされる。四国八十八箇所霊場の第51番札所。本尊は薬師如来、宗派は真言宗豊山派。

◆道後温泉の温泉街から近いため、遍路の他にも、観光客で賑わうことの多い寺院。遍路の元祖とされる衛門三郎の転生物語ゆかりの寺として知られる。

◆寺伝によれば伊予国の太守、越智玉純(おちのたまずみ)が聖武天皇の勅願により神亀5年(728年)に創建し、翌年、行基開眼の薬師如来を本尊として祀った。創建当時の寺名は安養寺、宗派は法相宗であったが、弘仁4年(813年)弘法大師空海が訪れ、真言宗に改めたという。その後、寺院名も石手寺に改名された(改名の縁起に関しては衛門三郎を参照のこと)。伊予守・河野氏の加護を受け、隆盛した。平安時代より室町時代に至る間が最盛期であり、七堂伽藍六十六坊を数える大寺院であった。しかし、永禄9年(1566年)、長宗我部元親による戦災のため、建築物の大半を失っている。

所在地:愛媛県松山市石手2丁目9-21
電話番号:089-977-0870

四国88箇所霊場の第51番札所「石手寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第51番札所「石手寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第51番札所「石手寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第51番札所「石手寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第51番札所「石手寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第51番札所「石手寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第51番札所「石手寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第51番札所「石手寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第51番札所「石手寺」・愛媛県松山市

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四国88箇所霊場の第50番札所「繁多寺」・愛媛県松山市

2009年05月28日 17時20分38秒 | 観光地・名所・旧跡とその界隈
◆繁多寺(はんたじ)は愛媛県松山市畑寺町32にある真言宗豊山派の寺院。四国八十八箇所霊場の第五十番札所。松山市を見下ろす淡路山の中腹にあリ、山門からの展望が素晴らしく、松山城や瀬戸内海までが俯瞰でき背後には鬱蒼とした樹木が繁る。境内周辺は景観樹林保護地域に指定されており、サクラや秋の紅葉の名所でもある。

◆天平勝宝年間、孝謙天皇の勅願による行基の開基と伝えられ、孝謙天皇の勅願所となった。その際行基が座像三尺の如来を彫り、本尊とした。光明寺と号したが、弘仁年間に弘法大師(空海)が留まって修行し現存の山号、寺号である東山繁多寺に改称した。その後衰退するが、源頼義により再興され、弘安2年(1279年)には後宇多天皇のために聞月上人が、祈祷を行なっている。また、一遍上人も当寺で学問修行したと伝えられる。上人は後に「捨聖」として遊行し、正応元年(1288年)亡き父である如仏を偲び三部経を奉納している。

◆応永元年(1394年)には京都泉涌寺26世快翁師が後小松天皇の命を受け繁多寺第7世の住職に就き、以降天和年間(1681年~1684年)の寵湖など高僧が相継いで住職となるが、寵湖は徳川家の帰依を得ることとなり、4代将軍家綱の念持仏三体の一つである歓喜天を祀られることとなった。将軍家の帰依を得たことで寺は一時は隆盛をきわめ66坊と末寺100余という大寺となる。

所在地:愛媛県松山市畑寺町32
電話番号:089-975-0910

四国88箇所霊場の第50番札所「繁多寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第50番札所「繁多寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第50番札所「繁多寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第50番札所「繁多寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第50番札所「繁多寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第50番札所「繁多寺」・愛媛県松山市

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四国88箇所霊場の第50番札所「繁多寺」・愛媛県松山市

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四国88箇所霊場の第49番札所「浄土寺」・愛媛県松山市

2009年05月28日 17時20分12秒 | 観光地・名所・旧跡とその界隈
◆浄土寺(じょうどじ)は、愛媛県松山市にある真言宗豊山派の寺院。山号は西林山。院号は三蔵院。本尊は釈迦如来。四国八十八箇所霊場の第四十九番札所である。

◆この寺は、天平年間(729年~749年)に創建されたと伝えられる。当初は法相宗の寺院であったが、後に天台宗に改められ、平安時代中期の天台宗の僧空也がこの寺に滞在したという。鎌倉時代に浄土宗に改められた。一時衰退したが、江戸時代に入り宥雄によって再興された。

所在地:松山市鷹子町1198
電話番号:089-975-1730

正式名:西林山三蔵院浄土寺
山号:西林山
宗派:真言宗豊山派
本尊:釈迦如来
創建:天平年間(729年~749年)
開基:恵明上人

四国88箇所霊場の第49番札所「浄土寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第49番札所「浄土寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第49番札所「浄土寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第49番札所「浄土寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第49番札所「浄土寺」・愛媛県松山市

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四国88箇所霊場の第48番札所「西林寺」・愛媛県松山市

2009年05月28日 17時19分51秒 | 観光地・名所・旧跡とその界隈
◆西林寺(さいりんじ)は、愛媛県松山市高井にある寺院。山号は清滝山。詳名は清滝山安養院西林寺(せいりゅうざんあんよういんさいりんじ)。寺伝では開基は行基で、天平13年(741年)の創建とされる。四国八十八箇所霊場の第四十八番札所。本尊は十一面観世音菩薩、宗派は真言宗豊山派。

◆寺伝によれば、聖武天皇の勅願を受け、行基が天平13年(741年)に伊予国国司越智宿禰玉純と共に開基したという。
17世紀末に火災で焼失したが、元禄13年(1700年)松平隠岐守らによって一部再建、その後宝永4年(1707年)には本堂と鐘楼堂が、文化10年(1813年)に大師堂、天保14年(1843年)に仁王門が再建された。 

所在地:愛媛県松山市高井町1007
山号:清滝山
宗派:真言宗豊山派
本尊:十一面観世音菩薩
創建:(伝)天平13年(741年)
開基:(伝)行基
正式名:清滝山 安養院 西林寺

四国88箇所霊場の第48番札所「西林寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第48番札所「西林寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第48番札所「西林寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第48番札所「西林寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第48番札所「西林寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第48番札所「西林寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第48番札所「西林寺」・愛媛県松山市

四国88箇所霊場の第48番札所「西林寺」・愛媛県松山市

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