黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 今年一番の残念で悲しい知らせ!

2017年12月11日 17時09分25秒 | その他
 
 今年も年末が押迫り今年一年を振り返り一番残念だった事は高校時代のアマチュア無線部の友人の樫福君(JA5BRN/1)の訃報があった事だ。此のブログを以前から見ている人なら彼は此のブログに何回か登場した事が有るので御存知かも知れないが彼と初めて会ったのは1964年で53年も前の事に成る。今思い返すと不思議な事なのだが1年生の2学期まで同じクラスで有りながら余り話をする事も無かったし彼の事はグラスバンド部でクラリネットを吹いて居た事しか知らなかったのだが如何した経緯からかは今思い出せ無いのだが彼の家に遊びに行く事に成った。


 其の段階でアマチュア無線成る物の存在は十分理解して居たが実際に運用する局を見た事が無かったので彼の家の可也広い屋根裏部屋軒の机に黒いケースに入った送信機とアルミ・シャーシに組み立てられた変調機が接続されて何と其れ等への電源供給のトランスは何と剥き出しで机の上に転がっていた。受信機はアルミ・シャーシに自作した高一中二のシングル・スーパー受信機(当時としては標準的なシステム)で彼が使って居たマイクは懐中時計くらいの小型の外装がクロームメッキされたクリスタルマイクで彼が送信中に「あち~」等と時々声を発して居た。(マイクに高周波が載って居たのか?マイクに唇が触ると刺激を受けていた様だ)前のブログにも書いたが此のシステムで青森県や北九州と意図も簡単に交信する姿を見た私は凄いインパクトを受けて「此れは凄い!自分もアマチュア無線局を開局出来る様に頑張ろう」と今から思うと其の思いが其の時に強く芽生えた。其の後に学校を卒業し4年後位に彼の肝入りで無線部の同窓会で社会人に成って一度会った切りで音信が途絶えて居たが其の後50年位経ってアマチュア無線局との始めての出会いの事をブログに書いたら関東在住の彼の友人から其の内容を聞かされた彼から電話が掛かって来て「お前そんな前の事よう覚えているなぁ~俺は全然記憶に無いわ!」と言われたので「よう言うわ!其の性で此の世界に足を踏み入れて未だに這い出せず足掻いて居るのは御前の性や!」と言い返して笑った。 


 彼の実家に行った後日に彼に初めて高校のアマチュア無線部の部室に連れて行って貰い現在も大変お世話に成って居る島先輩(JA5BIF)を紹介され其の翌日から昼休みと放課後は部室に直行する日々が続き帰りは自転車通学路が同じであったので三人で一緒に帰ったが時々島先輩のポケットからピーナッツが取り出されて分けて貰い食べたあの味が懐かしく学生時代の良い思い出と成って居る。


 彼は同じ電気科の中では専門科目の電気理論では随一の能力を発揮し誰もが解けない難問を「誰も解ける奴は居ないのか?情けないのう~」と先生に言われると徐に前に出てスラスラと解き明かす能力の持ち主であったし弱電の世界でも同じで中学生時代に既に自作の送、受信機を組み立ててガンガン電波を出して居たので相当な知識を持って居た強電、弱電どっちも来いの二刀流の達人で有った。又、別の世界でも随分大人びて居て其の能力は十分に発達していて高校1年生の時に「日下 良い所に遊びに行こう」と連れて行かれたのは有線電話の交換台のある建物に居る年上のお姉さん(他人)がいる部屋に行き3人の女性と1~2時間は彼是と世間話をして時間潰しをして居た。高校3年生に成った頃にはアマチュア無線の世界はやや卒業し掛けて途中から催眠術を掛ける事に凝ったり実験棟の無響室に閉籠もり実験中という事にして鍵を掛けて瞑想に耽ったり他の学生とは違った独特の世界を持って居た。


 兎に角 彼には人に無い独特の発想力や理論武装した知識が有り自動制御の開発者には向いて居たので卒業後は一旦会社に就職したがその会社の社長が彼は人に使われるタイプの人間では無い事を知って自分で会社を設立する様に進められたとか?其の何年か後には横浜で三階建てのビルを持つ社長に出世して居ると親交の有る無線部の後輩から話を聞いた。其の当時は仕事が忙しかったのだろう?長年無線の世界で彼の声を聞く事は無かったが「同級生や後輩の中でアマチュア無線を捨て切れないのは多分私と彼ぐらいだろうな」と常々思って居た。ほんの数年前に7MHz帯で「日下よ解かるか?」と懐かしい声でブレークが掛かり「解からいでか!」と即答、不思議な物で40年以上経ても一言で彼だと解かって久し振りのQSOと成った。


 其の後に彼の母君が体調を崩し彼が帰省する機会が増えて「一度ゆっくりと会おう」との話に成って50年振りくらいに彼の実家に行きお互いに変った姿で再会したが数分間で昔の学生時代に戻り話が弾んだ。別れ際に「お互いに歳を取ったので此れからは定期的に会おう!」と握手して別れたが此れが最期に成るとは夢にも思わなかった。其の後に何回も7MHz帯の無線でQSOする機会は有ったのだが何時も元気そうだったのでまさか?と思って居た
でも今から思えば思わぬ時に彼から電話が掛かって来て他愛も無い話で1時間近く話す機会が有り此方としては有難かったが「電話代が勿体無いので無線に切替えよう」と言っても「いや此方の方が良い」と言って居たのでひょっとしたら此の時に何か?話したい事が有ったのかも知れないと思うと友人としてその気持ちを察しきれなかった自分が申し訳ない気持ちに成る。


 私は尖った性格から人との付き合いが上手では無く学生時代の友人や同級生から電話を貰う事など彼以外には殆ど無かったので訃報を知らずに彼の親戚筋の無線仲間から連絡を貰った時には本当にビックリして仕舞った。私としては今はただ彼の冥福を祈るしか方法は無いが本当に私は彼から受けた恩恵は多く先ずはアマチュア無線との出会いである。アマチュア無線の存在は中学生時代には既に知っては居たが実際には私には遠い存在で単なる夢物語に過ぎなかったが彼と知り合った縁からアマチュア無線が自分に凄く近い存在に成ったし自分でもアマチュア無線局を開局できる可能性を見出す事が出来たし今でもお付き合いして居る無線関係の先輩や後輩への橋渡しもして貰った。結果としてアマチュア無線の世界に入った事から私の進路や就職先も決まって「たかがアマチュア無線だが大袈裟に言えば全ては其処から始まって居ると言っても過言では無い」其の意味でも彼の事を最高の友人だと思って居るし年齢的にも此れから友人としての余裕の有る楽しい御付き合いが出来始めた矢先だった為に本当に残念で成らない。そして其の知らせは非常に残念で悲しい知らせで有った。
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