きままな旅

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2018/03/31_掛川城の周辺散歩。

2018-04-02 | 尾張文化の会

2018/03/31_掛川城の周辺散歩
 自宅を朝7時ごろ出発してJRの快速、普通で掛川駅に9時54分着いた。葛川までバスに乗り10時10分頃に馬喰橋に着き、旧東海道を京都方面に向かい十九首塚まで散策した。
✿一里塚跡・秋葉山常夜燈
 日本橋より十八里目の一里塚
 
一里塚の石標  常夜燈
✿常夜燈

 常夜燈
✿枡形・七曲リ
 掛川宿東番所あった。掛川宿東口
 
七曲り  道路で遊んでいた子供の絵
✿天然寺
 
山門 本堂
  
ケイスベルト・ヘンミィの墓
✿真如寺(しんにょじ)曹洞宗
 天正18年(1590)掛川城主山内一豊が叔父の在川謙昨(ざいせんけんさ)大和尚を駿府長源院より招いて開創と云う。
松平定吉(まつだいらさだよし)霊廟がある。
 
参道  山門

本堂
✿大日本報徳社
 報徳運動は、明治維新の前後に二宮尊徳の唱えた報徳思想を全国に広めた。尊徳の弟子の岡田良一郎の指導活動が盛んだった掛川は、やがて報徳運動の中心になり「大日本報徳社」が開設された。
・二宮尊徳
 日本の江戸時代後期に「報徳思想」を唱えて、「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策を指導した農政家・思想家。
・報徳思想(ほうとくしそう)
 二宮尊徳が説き広めた道徳思想であり、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されると説く。
・報徳の教えは四つの柱
「至誠」人間関係や仕事において正直に誠実に接する。
「勤労」食べるために働くのではなく、天地人の徳に感謝しながら働くこと。
「分度」自己の力量と物事の関係性をよくわきまえて行動すること。
「推譲」蓄えたお金や力を、世のため人のために使うこと。
・報徳訓 (二宮尊徳)
父母の根元は天地の令命にあり
身体の根元は父母の生育にあり
子孫の相続は夫婦の丹精にあり
 (中略)
今年の衣食は昨年の産業にあり
来年の衣食は今年の艱難にあり
年々歳々報徳を忘るべからず
(大日本報徳社のパンフレットより)

報徳訓の拓本
【国指定重要文化財】
・大講堂と大広間 
大講堂(旧遠江国報徳社)は公会堂で最初の建物、明治36年(1903)に建設。
  
大講堂  

大広間
【静岡県指定文化財】
・正門 明治42年(1909)の設立。「道徳門」「経済門」と刻まれている。

正門
・仰徳(こうとく)記念館 明治17年(1884)霞ヶ関の有栖川宮熾仁(たるひと)親王邸として建て、昭和13年(1938)宮内庁から下賜、移築された。
 
仰徳記念館
・仰徳学寮 昭和13年(1938)移築された有栖川宮邸の一部と云う。
 
仰徳学寮
・冀北(きほく)学舎 

冀北学舎 
・淡山翁記念報徳図書館 昭和2年(1927)に建てられた。

報徳図書館
✿旧松本家住宅・竹の丸
 明治36年(1903)掛川城下の中町で葛布問屋「松屋」を営んでいた松本家当主が竹の丸に本宅を建てた。
 
入口  玄関

貴賓室より
 
ステンドグラスの欄間

外から見る貴賓室
  
枯山水の廻遊式
✿大手門庭園
 平成5年(1993)の発掘調査で礎石根固め石が確認され、平成7年(1995)に復元された。当時の位置から50mほど北に復元された。
 
大手門の入口   出口

礎石根固め石

番所
 
大手門より観る天守閣
✿掛川城
 16世紀(永正10年(1513))駿河守護の今川氏の命により朝比奈泰熙(やすひろ)が掛川古城を築城し、二代目泰能(やすよし)の時に現在の地に新たに掛川城を移し、のち天正10年(1590)山内一豊は大幅な拡張を実施し近世城郭として体制を整えた。

天守閣
 
掛川城御殿玄関
 
天守閣
 
四脚門 
✿山内一豊・千代像
 
山内一豊・千代像 
✿円満寺山門
 掛川城の城内門(蕗の門)であった四脚門で明治5年(1872)移築したもの。
 
山門  本堂
✿常夜燈

常夜燈
✿東光寺
 
東光寺の入口    東光寺の本堂と成田山の祠
✿伊藤嵐牛句碑「桜見し心しづまる牡丹かな」

入口石標横にある歌碑
✿十九首塚
 藤原秀郷が「将門の乱」平定し、将門以下十九名の首実検を行い、敵将の藤原秀郷によって埋葬された。
 
石標  五輪塔と名前が刻まれた石標
   以上

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