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マチョ・イネ(西江雅之)さん  さよなら

2015年06月19日 | 西江雅之さんの本

                                  ▲ 『牧神』 マイナス2号 「ガルシア・ロルカ」 特集号 1974年6月 牧神社

 

 

マチョ・イネ (西江雅之) さん  さよなら

 

人類学者のレヴィ・ストロースが100歳の誕生日を迎え、これは慶事とばかり、思っていたところ、すぐにレヴィ・ストロースの訃報が届いたのはいつだっただろうか。

西江さんが、現代思想に寄せた「レヴィ・ストロース」の思い出を読んだところだと思っていたのに。なんと今朝の新聞を開くと、西江雅之さんの訃報記事があるではないか。

 ▲ 『面白半分』に連載中の頃、「マチョ・イネ、風まかせ」に写真と文を寄せていたころ、編集部がつけていた挿絵を拝借 『面白半分』1979年 8月号 (79頁) 

あのおなじみの黒めがねのマチョ・イネさん。西江雅之さんに、大学の文化人類学の授業ではじめて会ったのは、1974年か、1975年頃だったか。

当時の田村隆一編集の『面白半分』の表紙には、

「面白くて ためにならない雑誌 そろそろ読みごろ!」とあり、時代を笑いで吹き飛ばす趣は、先駆者の宮武外骨をまずは猿まねからと、面白半分のその猿まね精神は健在なのでした。

 ▲『面白半分』 1979年8月号 当時定価 350円

このころ、『面白半分』を買っていたのには、わけがあった。西江雅之が「マチョ・イネ、風まかせ」という写真つきエッセイを書いていたのだ。これがすこぶる、こころを揺さぶるのである。こんな簡単なことばなのにどこに、こころが熱く、また、しくしく痛くなるしかけがあるのだろうと、買ってしまうのである。

 

 ▲『面白半分』 1979年8月号 西江雅之担当頁 「マチョ・イネ、風まかせ」 

 

 ▲ 『面白半分』 1979年8月号 目次

『花のある遠景』や『異郷の景色』などの本は買って読んだはずだったのだが、友人の旅のお伴についていってしまったのか、今見つからない。

それで、手の届く範囲で、西江雅之の小文や、対談・シンポジウムなど読んだ記憶のあるあたりを探してみることに。

最初に上の『面白半分』という雑誌が出てきたのだが、これは1979年なので、大学で西江さんの授業を聞いたずっとあとなので、最初の西江さんの記憶ではない。

いろいろ探しているうち、大光社が刊行していた『構造主義の世界』が出てきた。1969年である。これかも知れない、はじめて西江雅之さんの名前を知ったのは。

この本は、翻訳ではない日本人が書いた最初の構造主義紹介の本として宣伝されていて、当時はけっこう売れたのではないだろうか。アンダーラインだらけになっているのだが40年以上経っているので中身はほとんど記憶がないのだが。

パラパラめくっていると巻末の方にある「討議 構造主義に期待するもの」というシンポジウムで西江さんが発言していたのをようやく思い出した。西江さんが、レヴィ・ストロースの『悲しき熱帯』を読んだとときに、文化人類学的記述のところよりも、「あの本の中で一番心引かれたのは実のところ1940年代のニューヨークの動きなどを描写した部分だったわけです・・・・・・・」 『構造主義の世界』 (376頁-377頁)大光社1969年

誰もが感動して読み耽った、亡命学者たちなど、異種学問の混交の出会い・激突の描写だったのだ。

 

 ▲ 『構造主義の世界』 大光社1969年 当時 定価850円

 ▲ 『構造主義の世界』 大光社 目次

 

あるとき私は、ジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌』や、『1984』を読んでいるうちに、スペイン内戦やスペイン人民戦線のことを知りたいと思い、あれこれ読んでいるうちに、詩人のガルシア・ロルカのことも気になり出していた。牧神社はちょうどそのころ全集刊行を予告し、全集に合わせ、ロルカついての小冊子が発刊されていたのである。

その「牧神」という小冊子には、詩人の鷲巣繁男や、寺山修司、高橋睦郎などそうそうたる詩人たちがロルカについて書いているのだが、その冊子の4人目の執筆者は、西江雅之という名なのである。語学が堪能だったらしい西江雅之に間違いないと思ったものの、もしかして同姓同名のラテン文学研究家がいるのかも知れないなどど思ってもいたのである。

しかしあれこれ西江雅之の、さまざまな人々の交流録や関係機関に出会って残された文章に出会うと、彼自身が、「五感の交差点」のような意味の束をいつも抱えながら生きていたのではないかと思えてくるのである。

いつか晩年は足まかせ・足で調べた人類学から、ごくふつうの「アーム・チェア」の人類学への変化したいというようなことを語っていたのだが。

▲ 西江雅之の「フェデリーコ・ガルシア・ロルカ」論が読める。

『牧神』 マイナス2号 「ガルシア・ロルカ」 特集号 1974年6月 牧神社 当時定価200円

この中の西江雅之のロルカ論は、西江雅之の単行本には収録されているのだろうか。

 

 ▲ 『現代思想』 2010年1月 特集 レヴィ・ストロース」 青土社 当時本体1238円 

この中で西江雅之は、レヴィ・ストロースの訃報について、コメントを寄せている。

▼ 『現代思想』 2010年1月 特集 レヴィ・ストロース」 (52-53頁)

 

 ▲ 『現代思想』 2010年1月 特集 レヴィ・ストロース」 (52-53頁)

この追悼文で、西江はレヴィ・ストロースの『野生の思考』の日本語訳は山口昌男と西江雅之との共訳ということで最初は進めていたことを書いている。

翻訳は、この二人の旅好きの性向からして無理。翻訳だけで命を削ってしまった日本人研究者も数多い。そういう点では、山口昌男も、西江雅之も楽しい旅をしていたに違いないが、師匠のレヴィ・ストロースさんの年まで、楽しんでいて、我々をも喜ばせて欲しかったなぁ。

西江雅之さんは、大学でマルクス経済学、大学院では、芸術学、ロシアの21世紀芸術専攻、ダダ・シュールレアリズム、ロシア・アバンギャルド研究、エイゼンシュテイン・ブドーキンの映像論、記号学、ミシェル・レリス、アンドレ・ブルトンなんかをやっていた人が、「フルブライト」留学で、ヤーコブソン、チョムスキーらについて勉学・交流できたのは大収穫だったわけなのだが。

小田実はフルブライト留学の変わり種で、アメリカ宗主国の意向に添わない人だったのだが。

西江雅之さんもそれに劣らず、大いに、宗主国の思い通りのことを書いてはくれなかったわけだ。彼は終生、民衆の住む街角や市井人のことばで話しかけた芸術家だったのじゃないだろうか。

大学の講義ではその講義らしからぬ旅物語風の芝居で、そのめがねの奥から、隠しようもない沸き上がる知が溢れ出ていましたが。

西江の下で学んり、交流した人たちも多いに違いない。狭義の「文化人類学」で収まるものに向かっているのではないことは出会った人一人一人が胸に刻んだことだろう。

これを、何と名付けるか。人類学的青天井語り・芸能文学の創始者!?

それにしても、人生は短すぎるよ。ね。西江さん。

 

 

 

 

 

 

 

 



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