JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

1月分QSL発送しました

2021-01-13 | QSL発送情報
1月分のQSLを本日ビューロー宛発送しました。

・11/6~7の沖縄県八重山郡竹富町移動の全て
・11/8の沖縄県島尻郡渡嘉敷村移動の全て
・11/9の沖縄県浦添市移動の全て

を発送しました。

しかしながら
・11/10の沖縄県島尻郡与那原町移動の全て
・11/28の神戸市中央区移動の全て
・12/12~13の福岡移動の全て
・12/19の岡山県備前市移動の全て
・1/2の大阪府池田市移動の全て
・1/3の大阪府河内長野市移動の全て
は送りきれず未発送となっています。

順次発送しておりますのでご理解のほどよろしくお願いします。
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西国 観音正寺&長命寺巡り②

2021-01-12 | 御朱印めぐり
西国三十三ヵ所巡りの難所、三十一番長命寺と三十二番観音正寺を回ってみた続きです。


能登川から近江八幡まで新快速で。次の停車駅になります。長命寺へはこちらも1時間に2本程度近江鉄道バスがあり、長命寺行きに乗れば終点ですからこちらも間違うことはありません。

20分ほどで到着。片道500円となかなか高いです。

ここから古い石段をひたすら登ります。こちらも麓に杖があるので借りると便利です。途中にいくつか塔頭の跡がありますが狭い平地があるだけで荒れています。

20分近くでようやく本堂が見えてきました。

長命寺は619年に聖徳太子が創建したとされる天台宗の寺院です。長命寺のある長命寺山は元は琵琶湖に浮かぶ島だったそうで、のちに干拓で地続きとなっています。

本堂は1524年に建てられたものです。本尊は「千手十一面聖観世音菩薩三尊一体」としており、千手観音・十一面観音・聖観音の3体がいずれも本尊となっているようです。秘仏でごくまれにしか開扉されず、直近では2009年だったそうです。

長命寺の御朱印と御詠歌です。


帰りは途中から車道にします。距離はありますが楽です。

バス停の前に「長命庵」というそば屋さんがあります。

とび太くんを看板代わりに使っています。発祥の地である滋賀県ではこんな感じでお店の看板代わりに使っているケースが多いです。

こちらでにしんそばにします。手打ちそばで美味しかったです。また長命庵ではお土産も扱っており、近江八幡名物のでっち羊羹や赤こんにゃくなども売っています。

長命餅を買ってみました。京都で言う「ニッキ餅」で、帰りの新快速で堪能しました。


今回の御朱印情報です(御朱印料は特記ない限り300円)。
観音正寺 4種を本堂内納経所で授与。
長命寺  5種を本堂内納経所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
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西国 観音正寺&長命寺巡り①

2021-01-11 | 御朱印めぐり
西国三十三ヵ所巡りも残るは10カ寺(+番外1)となりました。結構な難所が残っており、できる範囲で頑張るしかありません。今回はそんな難所の三十一番長命寺と三十二番観音正寺を回ってみました。

どちらも滋賀県近江八幡市にあり、麓まではバスで行くことができるもののそこから山登りが必要という難所です。真夏や雪の日などは登ることが難しく、行く日を選ぶ必要もあります。きついのは観音正寺の方ですので、まずは観音正寺から回りたいと思います。観音正寺は旧安土町にありますが、JR安土駅からは登山口へのバスすらありません。一般的には隣のJR能登川駅から近江鉄道バスで登山口を目指すことになります。

新快速で能登川駅に到着。末端の各駅停車区間を除けば新快速の停車駅でとりわけマイナーな駅というか最も知名度のない駅だと言われます。現在は東近江市唯一の新快速停車駅です。

能登川駅の西側は田んぼや工場でしたが再開発され郊外型店舗や住宅が並んでいますが、バスは昔ながらの東口から発車しています。八日市駅行きで、1時間に2本程度運転されています。

バスはすぐに旧五個荘町に入ります。近江商人発祥の地とされます。西武グループの創始者である堤康次郎は隣の愛荘町出身で、その縁で近江鉄道を傘下に入れたと言われています。

観音寺口バス停で下車します。バスのアナウンスでも「観音正寺にお越しの方はこちらでお降りください」とありますので間違うことはないと思います。

観音正寺は繖山の上にあります。

バス停からも要所要所に案内看板がありますので迷うことはないと思います。

案内の通り進むと結神社という大きな神社に着きます。神職さんは常駐してないようで、御朱印はないと思われます。

境内の脇に看板があり、ここから観音正寺への登山道が続きます。すぐに動物除けの柵があります。必ず扉を閉めるようにしてあげてください。こちらに杖が置いてあります。滑りやすい階段なので杖を使うと便利です。

こんな感じの階段が延々続きます。滑りやすいので杖が便利です。

途中に北方向が見通せる展望台があります。この辺で半分くらい。

さらに登るとようやく未舗装ながら車道が出てきます。ここまで出ればあと少し。ようやく観音正寺です。

605年に聖徳太子が創建したとされる天台宗の寺院です。琵琶湖畔を巡っていた聖徳太子が人魚と出会い、人魚から「前世だった漁師のときに殺生を重ねてしまいこのような姿になった」と告げられ、太子自ら千手観音を彫り繖山に納めたことが始まりだとされています。その後近江を支配した佐々木源氏の筆頭格である六角氏が観音寺城を作り、六角氏の庇護の元で栄えたようです。しかし、足利義昭を奉じた信長の上洛戦で六角氏は蹴散らされ観音正寺も焼失、お寺の本格的な再興は江戸時代になって行われています。

ちなみに「麒麟がくる」ではナレーションだけで追い出されていった六角義賢(現在は六角承禎と呼ばれることが多いようです)は甲賀に逃げ込み、たびたび信長に対し兵を挙げたものの失地を回復できず晩年は秀吉に召し抱えられていたようです。子孫たちも大名として返り咲くことはできず、旗本であったり大名の家臣として仕えてゆくことになり、同じ佐々木源氏である京極氏(讃岐丸亀藩主)とは大きな差が付くことになります。なるほどここからは近江平野が見渡せ、兵の動きが一目瞭然です。すぐ近くにある安土城からも良く見渡せたことでしょう。

1882年に彦根城の建物を移築し本堂としましたが、1993年にに失火で全焼、2004年に再建されています。この際に重文指定されていた秘仏本尊の千手観音像も焼失しています。その後本尊は白檀により再建されています。白檀はインド政府から輸出制限がかかっており、ご住職が何度もインドに足を運んでようやく認められたのだそうです。

ご住職にお話を伺うと、この白檀の新しい本尊は常時公開となっており、本堂焼失前からあった前立本尊(秘仏の本尊のかわりに厨子の前に置かれる仏像)を現在秘仏としているそうです。2022年に公開予定で、以後33年ごとに公開したいとのことです。

観音正寺の御朱印と御詠歌です。

またご住職から「疫病除け」として元三大師のお札を頂きました。


下りもまた大変です。観音寺口から能登川駅に戻りましょう。続きます。
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【速報】「京の冬の旅」特別公開は延期へ

2021-01-08 | 御朱印めぐり
明日(1/9)よりスタート予定でした「第55回 京の冬の旅」の非公開文化財特別公開は新型コロナウイルスの影響により急きょ延期となりました。ソースはこちら。新しい日程については決まり次第京都市観光協会のサイトで公開されるとのことです。

私も明日の予約を取っていたのですが大変残念です。それにしても延期の連絡メールが来たのが本日の午後4時。私のように1時間以内で行けるような人間なら「仕方ないなぁ」で済みますが、遠方から泊まりがけでの拝観を予定していた方には連絡が遅すぎた感があります。最近の京都市観光協会の対応の遅さは目に余るものがありますが、もっと早くからの対応をお願いしたいです。
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移動耳より情報

2021-01-08 | シャック便り
[ジャンボフェリーが個室料金を改定]
ジャンボフェリーが深夜便に設定している個室料金を2/1より改定することになりました。現行より500円値上げし2,500円となります。

なお和室内に設定しているツーリスト席は2,000円のまま据え置きとのことです。


[九州商船の上五島行きフェリーに制限が発生]
九州商船が運航している佐世保-上五島間のフェリーが佐世保港の可動橋を破損させる事故をおこしてしまい、2月までの予定で自動車の搭載ができない制約が生じています。

詳しくは同社にお問い合わせください。


[伊島連絡交通事業の新造船が就航]
徳島県阿南市の伊島への定期船を運航している伊島連絡交通事業が新造船「みしま」を12/13に就航させました。ツネイシクラフトで建造された19t・航海速力21ノットの旅客船です。

伊島は外洋に面しているため波浪の影響を受けやすく船体や機関へのダメージが大きいため、先代「みしま」は建造から15年となっていた2018年頃から重故障が相次いでおり、17年での交替となりました。


[雌雄島海運の新造船は2月就航予定]
雌雄島海運が「めおん」の置き換えとして神田造船で建造していたフェリーが2月就航予定と決まりました。

新しい船も「めおん」で、艤装が完了次第引き渡される予定です。現在の「めおん」は引退、「めおん2」が予備船に回ることになります。
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京都&八幡紅葉と御朱印巡り④

2021-01-07 | 御朱印めぐり
京都と八幡の紅葉&御朱印巡りの続きです。八幡を中心に回ってから2日後です。

この日は洛陽三十三カ所観音霊場のうちまだのお寺を中心に回ってみます。

振り出しは二条城前駅から。少し南に歩くと三条会商店街があります。最近ではモンブランのお店や焼肉店などで観光客にも知られている商店街ですが途中にこのような案内が。

案内通り進むと武信稲荷神社があります。

859年に藤原良相によって創建、のち藤原武信が厚く信仰したためこの名になりました。

平重盛が厳島神社から持ってきたとされるエノキがあるなど歴史ある神社です。この木には坂本龍馬・おりょう夫妻も登ったことがあるのだそうです。

武信稲荷神社の御朱印です。


さらに南に行くと洛陽三十三カ所の26番・正運寺があります。1600年に加藤清正の重臣である飯田覚兵衛が創建した浄土宗のお寺です。

正運寺は普段門を閉じており、木戸にあるインターホンで来訪目的を告げる形です。庫裏の玄関で御朱印をお願いすると対応してもらえます。

本尊は浄土宗なので阿弥陀如来ですが、長谷寺の十一面観音と同じ木で彫られたとされる十一面観音が安置されており、こちらが札所本尊です。一度も開帳されたことがないと言われています。

正運寺の御朱印です。


さらに南に行くと四条大宮があり、そのまた南にある大宮松原の周辺は千本出水と同様に寺町となっています。その中に長円寺があります。

1587年に浄土宗の僧である浄阿清巌がお告げにより比叡山に安置されていた聖観音像のことを知り、譲り受け現在地に観音堂を建てたのが始まりとされます。その後1608年に京都所司代の板倉勝重がお寺として整備し、勝重の法名(長円院)から長円寺となっています。

板倉家は長年松平氏と関係が深く、のちに備中松山藩主となり、幕末には老中筆頭の板倉勝静を輩出しています。沈みゆく幕府を懸命に支え、もし徳川慶喜の描いた徳川家と有力藩との連合政権が実現していれば幕末の功労者になっていたはずの人物です。

1931年に火災に遭い本堂などを失いましたが仏像は無事で、翌年に新しい本堂が再建され現在に至っています。

長円寺の御朱印です。これにて洛陽三十三カ所は一区切りです。何とか再興15周年に間に合いました。


今年は密を避けるという大前提での紅葉見物でしたが、京都には清水寺や嵐山、東福寺だけじゃない様々な楽しみ方があることが分かっていただけると思います。奥の深さが京都の魅力ですのでうまく情報を集めて訪れて欲しいと思います。


今回の御朱印情報です(御朱印料は特記ない限り300円)。
・単伝庵    1種を本堂で授与。
・神応寺    1種を本堂内で授与。
・正法寺    1種を拝観受付で授与。書き置きのみ200円。
・善法律寺   2種を庫裏で授与。うち1種は限定書き置きで500円。
・御香宮神社  3種を授与所で授与。うち1種は書き置きのみ500円。オリジナル御朱印帳あり。
・神泉苑    11種を授与所で授与。一部は書き置きのみ。オリジナル御朱印帳あり。
・妙蓮寺    2種を拝観受付で授与。
・武信稲荷神社 1種を授与所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
・正運寺    1種を庫裏で授与。
・長円寺    1種を庫裏で授与。
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京都&八幡紅葉と御朱印巡り③

2021-01-06 | 御朱印めぐり
京都と八幡の紅葉&御朱印巡りの続きです。

石清水八幡宮駅から3つ先の伏見桃山駅で下車します。

似たような張り紙を浅草橋駅で見たような・・・

伏見区最大の大手筋商店街が目の前にあり賑やかです。大手筋のアーケードが終わったところを左に折れるとササキパンがあります。

一周回ってレトロになった包み紙のパンが有名です。

ラグビーボールを縦割りにしたような形のメロンパンが有名ですがあれれ、包み紙から「全糖(サッカリンなどを使っていません、の意味)」の表示が消えています。包み紙は不変と思いきや少しずつ変わっているみたいですね。


大手筋を戻ってさらに坂を上ると御香宮神社です。

創建年は分かっていませんが神功皇后を主祭神としています。862年に境内から良い水がわき出たことから清和天皇より「御香宮」の名前を賜っています。

秀吉の桃山城築城の際に鬼門除けとして移転したものの、家康が現在地に戻し境内を整備しています。伏見は「伏水」が地名の由来とも言われ、豊富な伏流水に恵まれ酒造が盛んなところです。このため水の酒造メーカーからの寄進を多く受けています。

こちらはアサヒビールの株式10株を寄進しています。恐らく後年に株式が分割されたはずですが一体何株になるのでしょうね。ちなみに私は100株持っており毎年配当をもらっています。

御香宮神社の境内にある天満宮です。お堂より遙かに大きな銀杏の木が見事です。

御香宮神社の御朱印です。


お次は御香宮神社最寄りの近鉄桃山御陵駅へ。京阪の伏見桃山駅は準急以下の停車駅ですが桃山御陵前駅は急行も停車します。竹田駅で一旦下車し、京都市営地下鉄の1日乗車券を買っておきます。地下鉄に乗り換え烏丸御池で東西線に乗り換えたら二条城前で下車します。

目的は二条城ではなく神泉苑

平安京の造成前からあった池を天皇の庭園として整備したものが始まりで、干ばつになっても涸れないことから空海が祈祷を行ったこともありました。

応仁の乱で荒廃、さらに二条城の築造で敷地の多くを奪われた神泉苑は残った部分が東寺が管理することになり、現在は真言宗の寺院となっています。

とはいえ多くの部分が池ですし、残った敷地の多くもこちらの祇園平八が使っています。なので料亭の池としか思ってない方も多いようです。

神泉苑は大変多くの御朱印があります。庫裏にサンプルがあるので番号で指定するといいです。

神泉苑の御朱印です。


妙蓮寺のライトアップまではまだ時間があるので休憩。

抹茶ラテで一服です。


本日最後は妙蓮寺です。

「まるごと美術館」として同じく西陣にある妙顕寺・妙覚寺とともに会場となっています。

まるごと美術館」はお寺のライトアップと現代アートのイベントとして企画されています。今年のテーマは「感覚の焦点」で、妙蓮寺ではあえて堂内を暗くして聴覚や嗅覚などに訴えかける展示を行っています。

お香を焚いている箱があり、小さな明かりともなっています。この箱に沿って進めばいいようです。

それはいいけど暗すぎて説明が読めないです(涙)

妙蓮寺は以前に御首題を頂いているので今回はパスです。

面白い企画でしたがご存知の方があまりにも少なく私が買ったチケットの通番は31番。見に来る人が少ないのでしょうね。おかげで密を避けてじっくり鑑賞し本堂にも上がれました。


本日はここまで。さらに続きます。
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京都&八幡紅葉と御朱印巡り②

2021-01-05 | 御朱印めぐり
京都と八幡の紅葉&御朱印巡りの続きです。

腹を満たして先に正法寺へ。

1191年に高田忠国が開いたお寺です。忠国の一族は石清水八幡宮の神官であり後に志水氏を名乗りこの地にいましたが、安土桃山時代に志水家出身のお亀の方が家康の側室となっています。尾張徳川家の義直の生母がお亀の方であり、義直が寄進した本堂が残されています。

また後奈良天皇の勅額も残っています。後奈良天皇は「麒麟がくる」に登場する正親町天皇の父で、朝廷の資金が乏しく自らしたためた書を下賜する代わりにいくばくかの対価を受けていたようです。正法寺の額がそういったものの一つであるかははっきりしません。徳川家の寄進で伽藍が整備されているので他のお寺よりも立派です。明治の廃仏毀釈により石清水八幡宮から阿弥陀如来像を移しておりこちらも拝観できます。

庭もやはり立派で格の違いが分かります。

こちらは花手水。華やかです。

ただ杉戸絵や額など面白い物も残されているのですが修復がされず著しく劣化し残念なものもありました。今の技術でも復元は難しい状態であり、何が描かれていたのか分からないのは惜しいです。

正法寺の御朱印は書き置きのみ、しかもスタンプだったので止めておきました。ちなみに200円でした。


締めは善法律寺へ。

1250年代に石清水八幡宮の法務寺院として創建しています。奈良の唐招提寺の末寺だそうです。

先ほどの正法寺が徳川と縁があるのに対し善法律寺は足利2代将軍の義詮の側室良子の実家の菩提寺です。良子は3代将軍義満の母であるため歴代の足利将軍も参詣した記録があります。

この良子が善法律寺に紅葉の木を寄進したことから以後「もみじ寺」として知られるようになり、紅葉の時期にはライトアップも行われています(今年は中止)。

本尊は平安時代作の八幡大菩薩像です。八幡大菩薩は八幡宮の祭神である応神天皇を神仏習合で仏にしたもので、元々は石清水八幡宮に安置されていた像を明治の神仏分離で善法律寺に移したものだそうです。

こちらの花手水は梵字の「あ」を添えています。

善法律寺の御朱印です。


これにて八幡の紅葉と御朱印巡りはおしまい。

八幡のお土産の定番はこちらの走井餅。1764年に大津で創業、名水とされる「走井」の水を使っていることからこの名を持っています。八幡のお店は1910年に創業しており、その頃に大津のお店は閉店したため現在は八幡にのみあります。

続いて京都市内へと進みましょう。続きます。
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京都&八幡紅葉と御朱印巡り①

2021-01-04 | 御朱印めぐり
※今回の内容は11月下旬のものです。多忙のため整理しきれず年越しでのレポートになりましたことをお詫びします。

今年の紅葉シーズンは新型コロナウイルスの影響で三密回避が叫ばれる中で迎えることになりました。紅葉シーズンがかき入れ時の京都もこれまでにない状況となっています。

こんな状況で嵐山や清水寺、永観堂に行っても危険なだけですからどこか穴場がないか探したら京阪電車の駅で「やわたの紅葉満喫 秋の文化財一斉公開」というイベントの情報を手に入れました。

京都市の郊外にある八幡市の寺社が11/21と22に文化財を一斉公開するイベントを開いています。これならば密を避けられそうですから行ってみることにしました。


八幡市は人口約7万人。京都市から言えば南にあり京阪線の石清水八幡宮駅があります。古くから石清水八幡宮が鎮座し、対岸の大山崎と並んで京都と大阪を押さえるための重要なポイントになっています。戦後に京阪の手で開発が進んだ樟葉に隣接していることから男山団地などの開発が行われ、京都よりもむしろ大阪のベッドタウンとして人口が急増しました。1977年に単独で市制を施行しています。

公開対象は9カ所で、まだ行ったことのない寺社を回ってみたいと思います。新型コロナウイルスの影響で飛行神社で開催予定だった愛媛県八幡浜市の物産展と善法律寺でのライトアップが中止されています。


それでは京阪で石清水八幡宮駅へ。元は八幡市駅だったのですが、近年京阪が行った駅名改名によりこの駅名に変えられています(全く意味のない改名ばかりで嫌なんですけどね。四条や深草などの方がしっくりきます)。急行停車駅なのですが急行自体が数えるほどしか運転されなくなり大阪からですと樟葉まで特急に乗り準急か普通に乗り換えが一般的です。

石清水八幡宮駅に到着。準急は7000系でした。6000系が最新車だった京阪が80周年記念で特急車を作ることになり、これを8000系にしたいがために少数だけ作られたのが7000系です。なので滅多に当たりません。

駅前はそのまま石清水八幡宮の門前になっておりお土産物屋さんなどが並んでいます。少し歩いて単伝庵です。

創建は不明で、かつては石清水八幡宮の下にあったと考えられています。1721年に瑞応が再建し臨済宗妙心寺派のお寺となっています。本尊は五大釈迦牟尼仏です。

小さなお寺ですが庭はよく整備されています。

別名を「らくがき寺」と言い、こちらの大黒堂の壁に願い事を書いて祈願することができます(祈願料300円)。安置されている大黒天は楠木正成が寄進したとされ、今にも走り出しそうな姿から「走り大黒天」とも呼ばれます。

単伝庵の御朱印です。


お次は神応寺へ。石清水八幡宮の頓宮脇の細い道が入り口です。

小高いところにお寺があります。

坂の途中からは資材運搬用のトロッコもあります。

860年に行教が建立したとされ、第15代天皇の応神天皇の位牌所としたため「応神」をひっくり返して「神応」となったとのこと。こちらも石清水八幡宮の下にありましたが足利将軍家により曹洞宗に改宗、豊臣秀吉が石清水八幡宮を参詣した際には正室ねねの縁者が住職であったことから宿所となり保護され、さらに徳川家からも寄進を受けており本堂内には豊臣・徳川の両家の紋があります。

その後近代に一時荒廃し江戸時代の朱印状なども人手に渡りましたが買い戻されて現在に至ります。

先週が見頃でしたね」とのことで散り始めになっていました。

なかなか眺めがいいところです。

神応寺の御朱印です。


南に進みましょう。

東高野街道という古くからの街道で、八幡から洞ヶ峠を経て野崎観音、石切や瓢箪山と言った生駒の山裾を南下して河内長野に至る街道でした。

街道筋に小谷食堂があります。

こちらの名物は「カレー中華」。ほとんどのお客さんがカレー中華を頼んでいます。カレーうどんの麺を中華麺にしたようなダシのきいた味わいでした。


お腹を満たしたので後半戦です。続きます。御朱印情報は最後にまとめてご紹介します。
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大阪府河内長野市(JCC 2513)移動運用報告

2021-01-03 | 移動運用結果報告
1/3(日)に大阪府河内長野市(JCC 2513)長野公園に移動運用に行ってきましたのでご報告します。

本日はNYP2日目です。今年から6日間に延長されたとはいえ、いつまでもNYPばかりやってるわけにも行かないので昨年までと同じく本日限りとします。目標は2日間で100局。7MHzや430MHzに張り付いていれば楽勝かも知れませんが、マイナーなバンドやモード含めての数字なので意外と難しいです。昨日のうちに66局済ませているのであと34局以上となります。

やはり気温が低いので場所は標高の低い河内長野の長野公園からにします。ここなら展望台の上から7/21MHzのZA-721を張ることができますから便利です。


いつも通り新今宮から南海高野線の電車で河内長野に向かいます。いい具合に急行が到着。25分ほどで河内長野です。

車内には「おかえりノムさん 大阪球場へ」という吊り広告が出ています。ノムさんこと野村克也さんはパリーグ初の三冠王をはじめ数々の記録を残し、監督としても3回の日本一を経験するなど偉大な功績を残しましたが、古巣の南海ホークスとは1977年の解任・ロッテへの移籍以降は絶縁状態が続き、大阪球場跡地に建てられた「なんばパークス」のメモリアルコーナーにも野村克也の文字は一切出てきませんでした。しかしながら野村さんは昨年他界、「もう過去の遺恨は水に流そうではないか」とサンスポや江本孟紀さんが呼びかけて野村さんの展示を追加する活動を行っています。

今までの経緯を知っていればこの活動の吊り広告が南海電車に掲示されていること自体がすごいですよね。


河内長野駅に到着。バスは金剛山の登山口行きなので一杯です。途中の葛の口で下車し、いつもの展望台に向かいます。短いながら上りがあり、昨日に引き続いてのため息が上がります。

ようやく展望台が見えました。ここから地上へZA-721が張れます。

24KGを含め全部準備が終わったのが9時30分。ようやくスタートです。7MHzは7150以上までぎっしり、21は全く開いてないので430MHzから。昨日はSSBでしたが今日はFMです。

やっぱりコンスタントに呼ばれます。この展望台は淡路島がよく見えるロケーションで、標高は低いものの西方向は抜群に強いです。神戸市の沿岸部は軒並み59+です。

1時間ほど呼ばれてコールが途切れたところで7MHzに行きますが入れる余地がありません。21MHzもダメっぽいです。例年沖縄や北海道が開くはずですが今年はさっぱりですね。

再び430に戻り少し稼いだら12時。ようやく7MHzが少し開いていたのでできましたが、すぐに両隣に圧迫されます。ZA-721では勝ちきれないんですよね。

午後に入り一時的に日差しが出て暖かかったのですが、曇りはじめて西風が強くなり逆に寒くなってきました。寒さ対策をしているとはいえそろそろ限界です。最後に144MHzで少し稼いで終了。バスで戻りましょう。


河内長野からの帰りは難波行き急行が来ました。

先頭車の6001号車は何と1962年製で御年58歳の大ベテランです。人間ならそろそろ定年という年齢ですが、電車の寿命は関東で30年、関西で40年前後とされ(関東は急激な人口増加で電車の大量製造が必要であったため作りが安い上に乗客が多く乗るため痛みが激しい)、異例の長寿です。

構体が頑丈なためまだまだちゃんと走っていますが乗客からの新車への置き換え要求が絶えず今後引退が予定されています。そういやこの電車に乗って大阪府立大学に受験に行ったことがありました。合格でしたが入学しなかったので当方の母校ではありませんhi


本日は7MHzで9局、21MHzで2局、144MHzで16局、430MHzで40局の計67局でした。2日間合わせて133局となり目標の100局をクリアできました。ありがとうございました。
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