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「第52回京の冬の旅」に行ってきました③

2018-01-13 | 御朱印めぐり
第52回京の冬の旅」の非公開寺院巡りの2回目です。ここまでの内容は以下リンク先からご覧ください。
「第52回京の冬の旅」に行ってきました①
「第52回京の冬の旅」に行ってきました②


今回は1/10からの公開である泉涌寺→常林寺を回る予定です。泉涌寺のみ1時間早い9時からの公開ですから泉涌寺を先にして時間を有効活用する考えです。


泉涌寺はJR東福寺駅が最寄りです。東福寺駅は京阪とJRの駅があります。当初は先にあった京阪の駅に隣接する形で国鉄がホームを作り、駅の業務を京阪に委託していました。民営化されてもしばらくこの形で国鉄のホームと京阪の三条行きホームは柵も何もない一体で自由に行き来できました。その後互いの駅が分離されたものの狭い用地にかなり無理矢理通路を作ったためJR側は複雑な構内になっています。

京都駅から市バスの208番で泉涌寺道下車の方が近いのですが、208番は30分に1本しかないので使いづらいです。少し坂を登るとこの交差点に出てきます。

208番ですとこの泉涌寺道で下車となります。

さらにしばらく坂を登るとようやく泉涌寺の山門が見えてきました。今日はことのほか寒く、体を動かしても寒く難じます。

泉涌寺は真言宗泉涌寺派の総本山で856年に弘法大師が創建しました。その後皇室の菩提寺となり「みてら」と呼ばれ、現在も皇族の参拝があるそうです。

舎利殿が特別公開になっていますが、もちろん西国三十三カ所の今熊野観音寺をはじめとした塔頭も含め見て回れます。泉涌寺の塔頭では毎年成人の日に七福神巡りを行っており、御朱印を頂けますのでじっくり回る価値があります。

泉涌寺のみ拝観料は通常公開部分を含み800円となっています。これで舎利殿以外の本堂なども拝観できます。

まずは舎利殿。慶長年間に御所の建物を移築したものだそうです。天井には狩野山雪の描いた龍がにらみを利かせています。

仏舎利を納めた塔とその前立ちで皇女和宮の念持仏が安置されています。念持仏はマトリョーシカのように何重もの箱に収められているそうです。このほかにも聞いてみないと教えてもらえない17世紀の杉戸絵などもあります。普段は12年に一度の公開なのでいいチャンスでした。

舎利殿は外観のみ撮影可能です。


御朱印をお願いしに本坊に向かいましょう。本堂・楊貴妃観音堂と塔頭の善能寺の御朱印がいただけます。冬の旅限定として舎利殿の御朱印もできるそうです。御朱印をお願いして本坊内部を拝観しました(別途拝観料必要)。

皇室の菩提寺ですので天皇陛下もたびたび訪れており、陛下専用の御座所も用意されています(秋篠宮様でもお隣の勅使の間しか利用できないそうです)。陛下の御座所付近から眺める庭は素晴らしいです。


それでは塔頭巡りにしましょう。

泉涌寺の境内塔頭は全て御朱印を頂けるようです。泉涌寺が標高の高い場所にありますので、高いところにある塔頭から順次山を下る形で回って行きます。

最初は雲龍院。塔頭ではなく別院という扱いだそうです。雲龍院のみ泉涌寺とは別で拝観料が必要です。

1372年に後光厳天皇の勅願で創建されました。長年写経道場として皇室ほかの援助を受け、現在も写経が体験できます。

雲龍院の見どころは書院にあるこの悟りの窓。四季の移ろいを眺めることができます。


続いては悲田院

ルーツは聖徳太子が設置した身寄りのない人を収容する悲田院だとされ、1306年に無人和尚が再興、1646年に現在の地に移転しています。なぜかこんなところにある京都市立の中学校の間を縫うように細い道を進んだ突き当たりで、この朱色の門が目印です。

人気がなさそうな感じでしたが、本堂脇のインターホンを押すと対応してもらえました。

悲田院からはこのように市内中心部が一望できます。冬の京都にしては珍しく晴れて見通しが良いのですが寒いです。


道を戻り少し下ったところから谷の方に進みます。宮内庁書陵部の事務所に隠れるような道を進むと来迎院があります。

806年に弘法大師が開創したとされ、1597年に加賀前田家の援助で現在の形になったようです。その後赤穂義士の大石内蔵助が書院を設けてしばらく過ごしたところです。

高いところに荒神様が祀られています。小さいお寺ですが庭が自慢のようです。庭のみ拝観料が必要です。

書陵部があるのは付近に四条天皇や後水尾天皇などの天皇陵があるためです。四条天皇(1231-1242)は鎌倉期の在位ですが、2歳(数え)で即位し僅か12歳で崩御しています。いたずらのために廊下に置いた滑石で自ら転倒、それが元で死に至ったと言われています。ホントかどうか分かりませんがあまりにも悲運でした。


書陵部の事務所まで戻ると朱色の橋が見えてきます。

この先が今熊野観音寺です。京都の市街からそう離れていないのに山深いところに思えてきます。

正式には観音寺と言い、弘法大師が開いた庵を起源とし、1160年に後白河上皇が那智の熊野社を勧請創建した際に新那智山の山号を寄せて今熊野観音寺と称しています。西国三十三ヵ所の十五番で、泉涌寺の塔頭の中でもとりわけ拝観者の多いお寺です。岐阜バスの西国三十三ヵ所ツアーのバスとすれ違いました。

朱印所の方と話をしましたが今日はひときわ寒いそうで、水道なども凍ってしまっているそうです。「なかなか気温が上がらなくて凍ったままになるかも知れない」とのこと。


泉涌寺への道に戻り少し下ると泉山幼稚園と新善光寺が見えてきます。泉山は泉涌寺の山号ですのでお寺が幼稚園をやっているのでしょうね。

1243年に後嵯峨天皇の勅願寺として創建、長野の善光寺と同じ阿弥陀如来像を鋳造して本尊としています。応仁の乱で焼け落ち、泉涌寺に移されて再建されています。

阿弥陀如来立像の安置された本堂のほか愛染明王像を安置した愛染堂があります。境内には池があるのですが半分くらいは凍っており凍ってないあたりに錦鯉が集まっていました。

ご住職は「どうぞ見ていってください」となかなかフレンドリーな方でした。


まだまだ泉涌寺の塔頭が続きますが、もうそろそろお腹いっぱいですよね?私もまとめるのが大変ですので本日はここまでにします。続きは④でご紹介します。


今回回った寺院の御朱印情報です。(御朱印料は特記ない限り300円)
・泉涌寺    4種を授与。本坊にて直書き。オリジナル御朱印帳あり。
・泉涌寺雲龍院 2種を授与。拝観受付にて直書き。オリジナル御朱印帳・御朱印帳袋あり。
・泉涌寺悲田院 1種を授与。本堂にて直書き。
・泉涌寺来迎院 3種を授与。庫裏にて直書き。
・今熊野観音寺 6種を授与。朱印所にて直書き。
・新善光寺   1種を授与。庫裏にて直書き。

※泉涌寺の1種は「舎利殿」で、冬の旅期間中授与されます。
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