紫陽花が綺麗な季節になりました
うちの裏庭にもピンクやバイオレット、ブルーなど、
色とりどりの紫陽花が咲いています
紫陽花は、土壌によっても色が変わるんですよね。
紫陽花って、紫=「バイオレット」の花と書きますが、
調べてみたら、元々は「藍色が集まったもの」の
「あづさい(集真藍)」が訛った言葉という説があります。
「紫陽花」という漢字は誤って広まったものだそうです。
でも、アジサイは色んな色に変化するので、
「七変化」の花とも言われ、そう考えると
色彩言語では、変容やヒーリングを表す「バイオレット」が
合ってる気がしますよね
先日、オーラソーマのお勉強会で
「バイトレット」についてみんなでシェアしました。
シェイクスピアの
「人生は大きな舞台のようなものだ。
全ての男女は舞台の上で役を演じているのに過ぎない」
という言葉のように、
私たちは、自分の感情や思考にどっぷりつからず、
女優や俳優のように、自分の与えられた役割を
楽しんで演じてみることで、
今まで越えられなかったことが自然に超えていけたり、
目の前のことだけではない、もっと大切なことに
気づいていけたりするのでしょうね
紫陽花の色のように、いろんな自分を経験したり、
演じてみることで、今まで見えなかった可能性に
気づいていくのでしょう
それがある意味、古いパターンを打ち破り、
今までと違った目で見ていける
バイオレットの「変容」。
私たちが今まで、自分を守るために
傷つかないようにするためにかたくなに
かぶっていた殻をギャ~~~といいながらも
一つ、二つと脱ぎ捨てていくと
何かやわらか~なヒーリングが
起こってくるという経験は
皆さんもあると思います。
泣いて泣いてなき過ぎた後も
ある意味そうですよね。
なんか、本来の自分に戻れたという安心感。
何にもガードしなくていい肩が軽い感じ。
そうすると、今までがむしゃらにこだわってたことが
どうでもよくなって、自分だけの狭い世界ではなく、
もっと広い世界で物事を見れたり、
希望の光が見えてきたり、
人の温かさにいつも以上に触れることができたり・・・。
そういえば・・・、
私はオーラソーマと関わるようになって、
自分自身が変わったと思っています。
と言うか、素の自分に戻ったのだと思います。
まだまだのところはもちろんありますが、
飾らなくなったのです。
自分の嫌な部分を見せないようにとか、
頑張って自分を作るとか、
そういうことが全くなくなってきました。
だからとっても楽なのです
それも変容だと思います。
小さな変容から大きな変容まで
たくさんの自分を生きることで、
皆さんも私自身もより輝いていけますように
うちの裏庭にもピンクやバイオレット、ブルーなど、
色とりどりの紫陽花が咲いています
紫陽花は、土壌によっても色が変わるんですよね。
紫陽花って、紫=「バイオレット」の花と書きますが、
調べてみたら、元々は「藍色が集まったもの」の
「あづさい(集真藍)」が訛った言葉という説があります。
「紫陽花」という漢字は誤って広まったものだそうです。
でも、アジサイは色んな色に変化するので、
「七変化」の花とも言われ、そう考えると
色彩言語では、変容やヒーリングを表す「バイオレット」が
合ってる気がしますよね
先日、オーラソーマのお勉強会で
「バイトレット」についてみんなでシェアしました。
シェイクスピアの
「人生は大きな舞台のようなものだ。
全ての男女は舞台の上で役を演じているのに過ぎない」
という言葉のように、
私たちは、自分の感情や思考にどっぷりつからず、
女優や俳優のように、自分の与えられた役割を
楽しんで演じてみることで、
今まで越えられなかったことが自然に超えていけたり、
目の前のことだけではない、もっと大切なことに
気づいていけたりするのでしょうね
紫陽花の色のように、いろんな自分を経験したり、
演じてみることで、今まで見えなかった可能性に
気づいていくのでしょう
それがある意味、古いパターンを打ち破り、
今までと違った目で見ていける
バイオレットの「変容」。
私たちが今まで、自分を守るために
傷つかないようにするためにかたくなに
かぶっていた殻をギャ~~~といいながらも
一つ、二つと脱ぎ捨てていくと
何かやわらか~なヒーリングが
起こってくるという経験は
皆さんもあると思います。
泣いて泣いてなき過ぎた後も
ある意味そうですよね。
なんか、本来の自分に戻れたという安心感。
何にもガードしなくていい肩が軽い感じ。
そうすると、今までがむしゃらにこだわってたことが
どうでもよくなって、自分だけの狭い世界ではなく、
もっと広い世界で物事を見れたり、
希望の光が見えてきたり、
人の温かさにいつも以上に触れることができたり・・・。
そういえば・・・、
私はオーラソーマと関わるようになって、
自分自身が変わったと思っています。
と言うか、素の自分に戻ったのだと思います。
まだまだのところはもちろんありますが、
飾らなくなったのです。
自分の嫌な部分を見せないようにとか、
頑張って自分を作るとか、
そういうことが全くなくなってきました。
だからとっても楽なのです
それも変容だと思います。
小さな変容から大きな変容まで
たくさんの自分を生きることで、
皆さんも私自身もより輝いていけますように