ジェッツな「実践と実感の笑っちゃう日々」日記

「ありがとう」「先祖供養」感謝実践での経験を元に綴ります。神計らいと宇宙のリズムを実感すると生き方がオモシロくなります。

水軍、瀬戸内を駆ける(その6)

2012年06月03日 15時55分21秒 | 

音戸の瀬戸?
瀬戸の音戸じゃなくて?
瀬戸内海の中の音戸なのに?

疑問に思ってました(^^;ゞ

 「瀬戸」とは、辞書によると、「『狭門(せと)』の意。相対した陸地の間の、特に幅の狭い海峡』とありました。なるほど~
 なので、「瀬戸内海にある音戸」という意味ではなくて、音戸の狭い海峡のことを「音戸の瀬戸」というのですね。ちなみに、「音戸(おんど)」とは、旧表記では、「隠戸(おんど)」と書いたらしいです。「隠すとびら」です。

 ということで、「瀬戸内海の音戸の瀬戸」を眺めました♪

 ここには、広島県呉市の本土と倉橋島(旧音戸町)に架かる音戸大橋があります。瀬戸内海で初めて本土と島に架けられた橋で、1961年(昭和36年)12月に開通しました。私が母親のおなかの中にいたころです☆瀬戸内に面する兵庫・西宮で、世に出る準備をしていた頃です。そして、出産後、父の転勤で山口・柳井を経て、広島・尾道にいた小学校低学年の頃、家族旅行で、この音戸の地を訪れました。螺旋形の橋が印象的だった記憶が今でも残っています。この地に縁を感じます。

 この橋を渡って、江田島に向かいます。午後3時入館締め切りの江田島・旧海軍兵学校には間に合いそうです。

 ・・・が!(笑)

 トイレ休憩に、音戸大橋入口のサービスエリアに寄ったところ・・・

 「この上の公園に、平清盛像がありますよ」と、長野の友人。以前、中山さんと訪れ、あわの歌を響かせたそうです。
 今の大河ドラマだし、水軍に縁ある清盛ってことなら、「じゃ、行ってみよう!」(笑) 旧海軍兵学校へ行きたがっている松山の友人は、複雑な様子(笑)
 サービスエリアから、クルマで5分ほど登った高台に「音戸の瀬戸公園」がありました。音戸の瀬戸が一望できます。絶景です♪ 平清盛像の前で、パチリ♪

 この清盛像は、「日招(ひまねき)像」といいます。百科事典ウイキペディアによれば、平安時代に日宋貿易の航路として、この地を1167年に平清盛が開削(かいさく:土地を切り開いて、道路、トンネル、運河など通路をつくること)したといわれ、一日で工事を完了させるために夕日を招き返したという伝説があります。銅像は、日没の方向に扇を向けて立つ姿です。夕日に向かって、「太陽よ沈むな!戻って来い!」とは、なんて傲慢なことでしょう(笑)
 ただし、開削に関して、近年の地質調査では、清盛の時代より遥か以前から、この海峡には船舶の航行に十分な水深があり、本州側と音戸側が地続き、あるいは浅瀬で結ばれていたと考えられる証拠は存在しないとされています。清盛は、少し、この海峡をイジっただけかもしれません。

 あわの歌・中山さんが、以前、“あちら”から受けたメッセージによると、この地は、この世とあの世の接点だったそうですが、清盛が開削したことで、魑魅魍魎(ちみもうりょう)がこの世に流れてきたらしいです。旧表記の「隠戸」と書かれた理由も関係してきそうですね。日本語の地名は、色々と意味が深いですねぇ。

 歴史探訪&スピ系な話しも織り交ぜながら(笑)、瀬戸内の旅は続きます☆

(つづく)

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