ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

オーヴェールのゴッホ 

2006-03-10 22:17:12 | フランス物語
画集 オーヴェールのゴッホ 1890年5月20日~7月29日
アラン・モッテ著
斎藤智子・渡部葉子訳
朝日新聞社
1990年7月29日 第1刷発行
S図

画家ゴッホの、オーヴェール・シュル・オワーズでの人生最後の70日間を絵、ゴッホや弟のテオの手紙と共に詳細に追っかけています。
また、昔の絵葉書や、近年に撮った写真も掲載し、当時との比較に使用しています。
特に昔の消印つきの絵葉書を多用しています。
フランスでは、よく露店で昔の絵葉書を売っており、おじいさんが背中を丸めて指で探っていました。自分はその時は特に興味は無かったのですが、今となっては、いくらか買ってみるのも味があってよかったかもしれません。
この舞台、オーヴェール・シュル・ロワーズは3回ほど行くことができました。
最初にいったのは5月ごろでした。フランスに着いて間もない頃で、ゴッホとテオの墓の近くから見た、緑の麦畑の美しさに感動した思い出があります。
二度目はそれからまもなく、仕事の関係で、レリー城のソワレに出ました。
少し早めに行って、やはり緑の中を歩いていると、ポニーに乗った子供たちとすれ違いました。
三度目は、これも仕事関係でした。ゴッホが住んでいたところのレストランで一緒にフランスの県会議員さん達と食事をしました。そのうち映画好きの人がいて、北野武の「菊次郎の夏」の子役の演技が上手かった、などと言っていた思い出があります。
オーヴェール・シュル・ロワーズで嬉しかったのは、昔の村の部分がかなり残っているところです。あまり観光地化しすぎると、かえって興ざめになってしまいます。
パリから電車で行くのは少し不便ですが、かえってそれがありがたみを増していると思います。
今後も、しっかりと残していただき、情熱の、そして悲劇の画家ゴッホが見た風景を保っていただきたいものです。
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不動の兵士(バターリャ)

2006-03-05 22:15:06 | ヨーロッパ旅行記
バスは海辺の街ナザレを離れ、バターリャを目指す。
この「バターリャ」というのは「戦い」という意味らしい。英語で言うとバトル、フランス語だとバタイユでしたっけ。
この街の近くで、1385年にポルトガル軍がカスティーリャ軍を破り、ポルトガルの独立を守ったとのこと。
神に対し、勝利に導いてくれた感謝の意をこめて、ここに修道院を造ったとのことだ。
この修道院は世界遺産にも登録されている。

バスを降り、騎馬像(ジョアン1世?)のそばを通り、みんなぞろぞろと中に入っていく。
さて、この建物はゴシック・マヌエル様式らしい。確かにフランスのゴシック建築を見慣れた目からしても、それと似通っている部分がある。外側で建物を支える部分などである。
礼拝堂に入り、回廊を巡る。
この途中にある参事会室に、無名戦士の墓がある。
薄暗い中、キリストの磔刑の像などがあり、そこで兵士が銃を片手にじっと、身動きせず立ち、墓を守っている。これはこれでたいへんな仕事だと思う。
地味な制服で、アテネやロンドンとはすいぶん雰囲気が違う。まあそれはそれで質素でりりしい感じがしてよい。
最初に見たとき、暗くてよく分からず、なおかつ全く微動だにしないため、失礼ながらロウ人形ではないかと思ってしまった。
子供連れなどは、一緒に写真を撮っていた。

一旦外に出て、未完の礼拝堂に行く。
ここはその名の通り、完成していないままである。周りはちゃんと天井をつけて暗くし、ステンドグラスが輝くようにしているが、中心部分には天井が無く、開けっぴろげの状態になっている。
やさしい冬の午後の光が、そのまま内部に差し込んでいた。
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赤と白の家並(ナザレ・ポルトガル)

2006-03-03 22:34:50 | ヨーロッパ旅行記
バスはいよいよナザレに到着する。
ここの街には海があり、砂浜があり、それに街が接している。周りは小高い丘に囲まれている。
ここが昼食を取る場所となっている。しかし自分は昼食を予約していなかったので、他の乗客とは別行動になる。しかし、そのおかげで、街をじっくり見ることが出来た。
まず砂浜に行ってみる。夏は海水浴の客がたくさんいるのだろうが、このときは12月。ただ砂浜がひろがるのみだ。低いさざ波が迫ってくる。白いワンピースを着た乙女がじゃれているのが似合いそうな、優しい波だ。
砂浜を離れ、丘の上にあるシティオ地区に行くためのケーブルカーがあるので、それに乗ろうと思い小さな駅に行くが、残念ながら工事中で運休していた。仕方なく歩いて行く事となってしまった。
途中、小さいスーパーマーケットがあったので、そこでコーラとパン、そしてバナナを買い、昼食とする。
坂道を登っていく。途中大きな犬がいたので避けながら、注意して、汗をかきかき登っていく。
上に到着。ここの広場のそばにはノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会がある。バロック様式の二つの鐘楼が目立つ。中に入ると、ミサだろうか、多くの人たちが集まっていた。
このシティオ地区には展望台がある。ここの側に小さな礼拝堂がある。メモリア礼拝堂と呼ぶ。ここは1182年、馬に乗っていた人が、崖から落ちそうになった時、聖母マリアに救われたのを感謝して建造したとのこと。確かに中に入り、小さな窓から覗くと崖の下が見える。
礼拝堂そばの展望台からの眺めが素晴らしい。赤い屋根と白い壁にほぼ統一された街並みが見える。ヨーロッパの名所に良くある、このように整った街並みにはいつも惚れ惚れとする。こういったところは、謙虚に学んだ方がよさそうだ。
海側に目を転ずると、光を反射し、輝いている。砂浜は波の跡が微妙に変色し、それこそ波型のグラディエーションを描いている。

丘を降りて、海沿いのプライア地区をさまよう。シーズンオフのせいもあり、がらんとしていた。
黒い服を着た女性の絵葉書があったが、太ったおばあさんばかりだったので、買う気にはなれなかった。
約1時間ほどうろついた後、海辺の広場前の集合場所でみんなと合流し、次の目的地に向かう。

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