集まりなさい。わたしは後の日にお前達に起こる事を語っておきたい。(49:1)
ヤコブは最後の力をふりしぼって、 臨終の床に子供達を呼び、彼らの将来を預言した。
新共同訳の見出しには「ヤコブの祝福」とあるが、実際に祝福されているのはヨセフだけ。
後、褒められてるのはユダぐらいで、半分以上は、蛇だの、ロバだの、狼だのとロクでもない。
しかし、ここで息子達を美化したりせず、ありのままの姿が語られ、それに応じた祝福が与えられている所が、聖書が真実である所以。
ヤコブが12人の息子達に「耳を傾けよ」と語った遺言とは?(メッセージより抜粋)
ヤコブは最後の力をふりしぼって、 臨終の床に子供達を呼び、彼らの将来を預言した。
新共同訳の見出しには「ヤコブの祝福」とあるが、実際に祝福されているのはヨセフだけ。
後、褒められてるのはユダぐらいで、半分以上は、蛇だの、ロバだの、狼だのとロクでもない。
しかし、ここで息子達を美化したりせず、ありのままの姿が語られ、それに応じた祝福が与えられている所が、聖書が真実である所以。
ヤコブが12人の息子達に「耳を傾けよ」と語った遺言とは?(メッセージより抜粋)
12部族が出た所ですが、ここから聖書的に新しいページがめくられたと見えます。長子の権利がルベンからヨセフに移り、ヨセフの二人の子供が12部族の二人に入ることとなった。聖書では、たびたび長男と弟が逆になる事が書かれています。不思議なところです。
それぞれの息子たちは、それぞれに間違いを犯してしまいます。それはこの世に影響されてのことと思われます。ヤコブが息子たちに与えた預言は成就してしまった。ユダ族からイエス様がお生まれになった事もまた、ユダ族をしっかりと読み味わいたいと思わせられました。
この十二部族の一人一人をもう一度しっかり見ていきたいと思わせられています。十氏族の事、そうだと思ってます。また、田中先生が言われる、捕囚の件の視点でも見ていきたいと思ってます。
イエス様の事、ヨセフの事と言い、たびたびエジプトが出てくることは、エジプトは何か役割がある国ととらえています。いつかわかる時が来ると思ってます。
まーァ 壮大なイスラエル民族の歴史でしょう。どこにも神様がおられた歴史でもあります。彼らがいて、私たちがいます。神様の民族の先人たちのおかげで私たちがいることを思い、実に不思議な気がします。
田中先生が示してくださった、これらの視点でもう一度読み味わっていきます。
レポートになりませんでした。しかし、今までより細かな事が見えてきました。田中先生に感謝します。
主のくすしいわざに驚いています。主を賛美します。
ペルガモ市より リトル・アンデレ
聖書は失敗した人の証集だ、と師もしばしば語るが、失敗を含めた生きる姿勢、罪ゆえに弱さを知る人間と創造主神様との関係をこの祝祷とも見える遺言に見た。まさにイスラエルの歴史は、クリスチャンの人生。
更に「失われた10部族」の解説から、想定外の結末を受け取った。神様は真の礼拝者、信仰者を求めておられること。南北分裂、北王国・南王国の滅亡、捕囚と帰還、それらの困難を経て真の信仰者を呼び集め、導き、礼拝する者とされていったこと。そしてそれは、今、終末を見る私たちにも問われていることではないだろうか。
荒野でしか学べないことがある。困難があってこそわかることがある。ヤコブ自身、「苦しみの人生」を歩んだからこそ語れる遺言なのだ。そうして12部族が適材適所に整えられるよう、クリスチャンも錬り聖められていく。新しいエルサレムの門に至るまで。主の大いなる恵みと憐みに感謝しました。
そして、それが、聖書の歴史を形成していくところに聖書のダイナミックさ、すなわち、神様の壮大な計画に感動せずにはおれません。
一般的に言われる「失われたイスラエルの10部族」のことも、聖書による解き明かしにより、
「なるほど!」とまた、新しいことを学びました。
神様は、きちんと選り分けられていると言うこと。
私たちの信仰も篩(ふる)いにかけられていくことを覚え、謙虚に神様に従っていきたいと思わされました。
そして、今あるところに置かれていることも、主のご計画の中にあること、主が共にいてくださることを覚えて、今週も歩んでいきたいと思います
「苦しみの人生を歩んできた彼だから語れる遺言」
素晴らしいアプリケーションです。理解が感情を生み、その感情が行動の原動力となります。そしてその行動が正しければ、そこに聖霊様が働いてくださいます。ですから正しい理解。それが何より大切なことなのです。