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「賛美」30分de一巻 Vol-19

2017年02月26日 | Good News


詩篇はイザヤ書と並んで、新約聖書でいちばん引用されている旧約聖書の書巻です。
詩篇は、英語で「Psalms」、語源はギリシア語の「プルサモイ=奏でる」から来ています。ヘブライ語では「テヒリーム=賛美」と言う意味です。

言葉の中に祈りがあり、祈りの中に賛美があり、言葉は本来、神様と話すため、つまり、祈るために人間に与えられました。言葉は呼吸と同じです。心臓と肺は自分の意思で動かすことはできませんが、私たちが生きていくうえで、重要な器官です。聖書を人間の器官で表すなら、福音書は「心臓」で、詩篇が「肺」です。

詩篇は心の動きを表現した詩で、その作者は数人います。詩篇の中でいちばん多くの詩を記したのはダビデで、73篇。その次に多いのはアサフです。アサフはダビデの時代に神殿奉仕をしていた賛美トリオの1人でした。

詩篇は、イエス様が生まれる約1000年前に書かれました。日本で言えば、平安時代です。イエス様にとっても、詩篇は「古典」に相当します。「祈り」には、①感謝、②願い、③悔い改め、④主の御心を聴く、⑤執り成し の5種類ありますが、この5つが詩編の内容です。

ユダヤ教徒の人たちは毎月、詩篇150編を通しで歌っています。つまり、毎日、およそ20篇の歌を歌っていることになります。しかし、彼らは、私たちのように詩篇を朗読しているのではなく、伴奏とメロディーに乗せて歌っているのです。

詩篇は、全150篇からなり、ヘブライ語のアルファベット順に構成されています。詩篇1:1の「いかに幸いなことか」と言う言葉は「アシュレー」つまり、アルファベットで言う「A」から始まっています。この「アシュレー」と言う言葉は、イエス様が公の場で多くの人々に向かってメッセージをされた時、最初に言った言葉が、この「アシュレー!」と言う言葉でした。(マタイ5:3)

日本語の聖書で読むと、「心の貧しい人々は幸いである、・・・」と文章的表現ですが、マイクもない、丘で大勢の人々中で語ったのですから、「幸せな人たちよっー」と叫んだに違いありません。



詩篇がどう言う順番で編纂されたかについては、モーセ5書とリンクさせると分かりやすいです。
1-41篇:創世記(テーマ:人について)
42-72篇:出エジプト記(テーマ:国家イスラエルについて)
73-89篇:レビ記(テーマ:神殿について)
90-106篇:民数記(テーマ:人の営みについて)
107-150篇:申命記(テーマ:御言葉について)

賛美(詩篇)についてイエス様は、ルカによる福音書24章44節でこのように言及しておられます。

イエスは言われた。『わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである』

「モーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄」とは、旧約聖書、全体のことです。旧約聖書は、律法書と預言書と諸書の3つで構成されていますが、イエス様は、諸書について詩編とまとめて言われました。今日の30分de聖書で大切な箇所として、102篇19節を取り上げます。

後の世代のために このことは書き記されねばならない。主を賛美するために民は創造された。

「後の世代のため」、それは、私たちのことであり、私たちにとっても、私たちの後の世代のために大切なこと、すなわち、
「主を賛美するために民は創造された」ことが、人間の本来の目的です。続く、20、21節には、

主はその聖所 高い天から見渡し 大空から地上に目を注ぎ 捕われ人の呻きに耳を傾け 死に定められていた人々を解き放ってくださいました。

と書かれています。捕らわれ人、死に定められていた人々は、私たちであり、その私たちを解き放ってくださったのは、言うまでもなく、「イエス・キリスト」です。

まさに、詩篇は、神様への賛美、イエス・キリストへの賛美です。詩篇22編についてもぜひ、触れておきましょう。

わたしを見る人は皆 わたしを嘲笑い 唇を突き出し、頭を振る。『主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら助けてくださるだろう。』(詩篇22:8-9)

犬どもがわたしを取り囲み さいなむ者が群がってわたしを囲み 獅子のようにわたしの手足を砕く。骨が数えられる程になったわたしのからだを彼らはさらしものにして眺め わたしの着物を分け 衣を取ろうとしてくじを引く(詩篇22:17-19)

この箇所は福音書にも記されているイエス様が十字架に架かられた状況です。しかし、詩篇の後半(22:28-32)では、このように書かれています。

地の果てまですべての人が主を認め 御もとに立ち帰り 国々の民が御前にひれ伏しますように。王権は主にあり 主は国々を治められます。命に溢れてこの地に住む者はことごとく主にひれ伏し 塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。わたしの魂は必ず命を得 子孫は神に仕え 主のことを来るべき代に語り伝え成し遂げてくださった恵みの御業を民の末に告げ知らせるでしょう。

まさにこの箇所はイエス様の復活と再臨を意味しています。そして、詩篇の構成の典型である、苦しみが、栄光と賛美へと変えられています。私たちの人生もイエス様を信じる前は、苦しみでしたが、イエス様を信じることによって、イエス様の恵みと愛を受け、神様に栄光と賛美を奉げることができるようになったのです。

そして、有名な詩篇23篇へと続きます。パレスチナの荒野で暮らす羊は、あまりにも過酷な環境下にいるため、羊飼いがいないと、食事もできず、水を飲むこともできません。羊飼いの庇護がないと道に迷い、すぐに野獣の餌食になってしまいます。
パレスチナで暮らす羊が、羊飼い無しで生きていけないのと同じように、私たちもこの世の中で、イエス様がいないと生きていけないのです。

詩篇の最後150篇は、ただ、主を賛える「頌栄」で終わっています。これは、礼拝の最後に賛美される頌栄と同じです。私たちはついつい、神様を勉強する対象としてしまいがちですが、神様は私たちが賛美するお方です。神様が私たちに与えてくださったもの、全てに感謝し、この世の人生においても、高らかに神様を賛美して生活していきましょう (Report by Mimita)




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9 コメント

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人生、充実してますか? (Mimita)
2017-02-26 11:03:56
もうすぐ、3月
岐阜は、良いお天気です
花粉症の人たち(私もです・・・)はつらい季節ですが・・・。
それでも、暖かくなり、花が咲き始め、日も長くなり、活動的になって来ると、うきうきしますねっ
季節も、太陽の動きも、花も、全て、神様が、この世界のために創造してくださいました。
この世は、天国に行くまでの仮の生活ですが、神様は、素晴らしいものをたくさん与えてくださっているのですから、喜び、感謝して、歌うように詩篇を味わいながら日々の生活を送ろうと感じたメッセージでした。
賛美は祈り (Kent)
2017-02-26 13:54:45
今日のメッセージを通して、祈りと賛美の意味を知る事が出来ました。神が人間に言葉を与えられたのは、神との対話のためでした。つまり、言葉は祈るためのもの。つまり、祈りこそクリスチャンの呼吸です。詩篇の原語は、「テヒリーム・賛美」と言う意味です。詩篇はもともと学ぶためではなく、賛美するために書かれたものです。また、祈りにも大きく5つあることを学ぶ事が出来ました。感謝、願い、悔い改め、御心を聞く、そして執り成し。詩編は賛美ですから、賛美の内容もこの5つです。僕も、ただ自分の願い事だけを祈るのではなく、全てに感謝をする信仰、主の御心に叶った願い、自分の自我にとらわれがちな毎日だけど、日々悔い改めて神様の元に戻り、神様の御心に従えるように変えられ、愛する兄弟姉妹や周りの人々の為に祈る執り成しをして行きたいと思いました。
歌いつつ歩まん (Mu)
2017-03-07 08:43:28
「後の世代のために このことは書き記されねばならない。「主を賛美するために民は創造された(詩篇102:19)

神様は人間を賛美するものとして創ってくださいました。そしてその口には、賛美の言葉=祈りを与えてくださったのです。近しい賛美奉仕の方が、「主を賛美する口で悪口を言えない」とお証ししてくださったことがあります。私たちが発すべき言葉は人を貶めるものではなく、自分を誇るものでもなく、主を賛美するためにあるのだ、と今日のメッセージでもあらためて思わされました。

賛美を止めれば、呼吸が止まり、霊的死に至ります。そして賛美は、感動を歌う歌であること。だからこそ、机上でメモって勉強するものではなく、生活に取り入れて初めて意味を持ちます。私は私の「詩篇」を何篇もっているだろう?傑作でなくても、優秀でなくても、神様を讃える歌をもっと歌って日々を過ごしたい、と思いました。まさに、歌いつつ歩まん。心がけます。
勇気づけられた巻 (Takashi)
2017-03-12 11:49:22
詩編が賛美(うたうために作られたもの)とは思っていなかった。
昔から祈りの巻と思い読んでいた。
神に対する祈りの手本として読むと良いと聞かされていた。

また、モーセ五書になぞられている事も驚きで、
十字架と復活にまで書かれているという事で更にビックリ。

今まで詩編を読み勇気づけられたこともあったが
それはまさしく賛美であるという事の証のように感じた。
23編 体験談 (奈都)
2017-03-12 11:55:29
随分前ですが、1日たりとも切らしたらいけない
薬を3日程、切らしました。
病院の休みとかも入って、どうにもなりません。
で、私はベッドに横たわったまま
出るのは、涙ばかりでした。

苦しみの内からイエス様に、祈り求めたら

「私の羊は私の声を聞き分ける」

と御声が聞こえて来ました。

言われてみて初めて、私の弱点に気付きました。
聖書を読んでいても、祈っていても
すぐに撹乱する声に、反応してしまい
聖書通読に、午前中いっぱいかかってしまった事もしばしばでした。

そうやって神様は、私の最大の命の危機を
教えて下さり
詩編23編3節
主は御名に、ふさわしく
私を正しい道に導かれる。
同4節
死の陰の谷を行く時も、私は災いを恐れない。
あなたが共にいて下さる。
あなたの鞭とあなたの杖、それが私を力づける。

詩編23編の歌が、壁にかかってまして
上記の箇所が、目に飛び込んで来ました。
実際、薬が切れると死の陰を歩む程
苦しいのですが、絶対に大丈夫!
私はあなたを離しはしないと、言って下さっていると確信しました。
また、荒らす者のアタックに対しても
すぐに、気が付いて聖書や祈りに集中出来るように、なりました。
やっぱり聖書って凄い! (渡邊由佳)
2017-04-03 21:35:33
今回のメッセージを聞いて、やっぱり聖書って凄い!と強く思った。 日曜学校に通っていた頃は、詩篇に勝手に曲をつけて歌ったりしていた。 でも、やっぱり何となく自分の中に響かなくて、何か遠くの方で起きている何かと言う他人事感があった。 しかし、最近礼拝の前に賛美として詩篇を読むようになって、不思議なのがその日に読む章はその時の悩みの答えになっていたり、心の奥にある叫びを代弁してくれてたり、罪を指摘してくれたりするのだ。 聖書は、過去の出来事と自分とは関係ない的に考えてしまう事が多いが、間違いなく詩篇の賛美と祈りの言葉は、今も生きていると感じざるを得ない。 また、詩篇22章も内容は有名だから、何となく知っていたけど、今回読んだ時にこれはイエス様より1000年も前に書かれた書簡なのに、それがイエス様の時代にそのまま起きたのだと思うと、聖書の霊感を強く感じた。 つまり、万葉集に書かれている歌の出来事が、今起きたと同じ様なことなのだから…。 それって、とんでもない事ではないだろうか。 改めて神様ってすごいし、聖書ってとんでもないものだと感じた。
賛美は思いっきり! (えんぢぇる)
2017-04-17 22:00:18
祈りは神との会話です。それはクリスチャンにとって呼吸のようなもの。呼吸が止まれば、人は死んでしまいます。これを霊的死と言います。また、賛美は愛する者に対する最高の愛情表現です。だから聖書の多くは歌で構成されているんですね。特に詩編は、神と人との関係、社会にける人間の様々な思いが反映されています。喜びも、哀しみも、また、何かに迷った時も、神様に賛美しましょう。決して賛美を神棚に上げてはいけません。形式的だったり、かしこまったりしてはいけません。自分の思いの丈を、遠慮なく神様にぶつけてみましょう。神様は私達とそういった赤裸々な関係を望んでおられるのですから。ハレルヤ!
勇気づけられた巻追記 (Takashi)
2018-02-10 13:25:37
詩編は奏でる書で、古典的な庶民的なもの。
庶民が日々の生活の中でうたいながら、神に対する思いを奏でる。
詩編23編に書かれているように、羊が羊飼いにすべてゆだねて生活しているように、
私達も神にすべてゆだね、神によって養われることを生活の基本に置かなければいけない。
神を信頼して歩むことのできるクリスチャンは素晴らしい!
歌いたい! (奈都)
2018-02-10 14:51:00
【賛美 主に感謝しよう】
どうしても歌で、神様に感謝を捧げたかったので

【アプリケーション】
詩篇は歌だから、ボソボソ背中を丸めて
読むものでも、勉強するものでもない。
かと言って、日本人が節つけて歌うのも
中々どうしてなので、せめて悲しい時嬉しい時
自分の気持ちを代弁してくれる箇所を
見つけておいて、諳んじたら良いと思う。

【メッセージについて】
詩篇は知恵文学に分類されるが、イエス様より
1000年前に十字架の事が、これだけハッキリ
書いてあるのだから、預言書ともいえませんか?

それからどんなに苦しみ、哀しみについて
歌っていても、必ず最後は主に感謝になっている点。
作者のダビデは、本当に辛い事が多い人生だったと思う。彼の哀しみは、お腹の中にいた時から
最晩年までずっと続く。
えんぢぇる師が良く言われる様に、この世の理不尽や哀しみに、何故どうしてはナンセンスなのだ。この世はサタンの物になってしまったのだし、
それは人間が、神よりサタンを選んでしまった事に起因するのだから。
それでも神は見捨て給わず、イエス様を十字架に
付けるという、ありえない方法で
私達を救って下さった のだ。

幸いなるかな!
なにが?
喜べ!
何を?

あーだこーだの理屈では無理!
自分の罪深さにおののき、無力に絶望し
神に助けを求め
イエス様が唯一の救い主と理解した時
現状がどうあれ
自分は幸いで
不安が喜びに変わり
拭っても拭っても落ちない罪が、完全に
イエス様の命という代価で、支払われ
永遠の死から、永遠の輝く生に一瞬で変えられたことを喜べと言っています。

私たちにとって、福音、グッドニュースとは
まさにイエス様そのものなのです。

主に感謝せよ!
その恵みは永久まで!

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