Good News Report

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本筋を知る(パノラミック聖書講義・弟子訓練VersionⅡ)

2015年07月26日 | Good News
本日のお題 其の壱:「どうして聖書はホンモノと言えるのか?」

パノラミック聖書講義も佳境に入って参りましたって、毎回佳境続きです。ここで問われることは、「聞いたことない~」とか、「どこだっけ~?」という間延びした応答で返せない。これまでの神様との関係において、どれだけ“あなた”の中に真理があり、それを言葉にして伝えられるか、というキリストの弟子たるための訓練。持っているようで使えていない、わかっているようで理解に遠い、伝えている気でいるけど全然ダメ、という事実を自分で発見するから、これは厳しい。第一のお題に回答するも、「ポイント抜けている焦点ぼやけてる」とダメ出しビシッ!

ということで、今日は聖書がホンモノであることの3つの理由をまとめました。

聖書には全く作為がない。(人間の都合や類推で書かれていない)
聖書には、絶対に誤解されるようなことや、とんでもない超自然的なことを誇張もせず、説明もなしに淡々と書かれてある。例えば、人間的な価値観なら、意味不明なカタカナ表記が延々と冒頭に記されているマタイの福音書を最初に持って来たりはしないだろう。聖書は、人間的価値観、道徳観、類推、創作力などでは書かれていない。

聖書は考古学的発見(物的証拠)と全て一致している。
聖書に書かれてあることが、後年になって考古学の発見によって裏付けされた例は数多くある。例えば、歴史上の通説においては、ダニエル書にあるネブカドネザル王の息子の名は聖書の記述と異なっていた。それ故ダニエル書は実に長い間「お伽噺話」と思われていたのである。ところが、近代になってから、遺跡の碑文から聖書の正しさが証明された。

聖書は最初から人間には証明出来ないようになっている。しかし、状況証拠はいくらでもある
世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。(Ⅰコリント1:21)

もし、聖書の記述が、歴然たる事実として証明されてしまったとすると、人は天国行きの切符を手に入れるために競争したり、取り引きをしたりするようになるだろう。信仰は結婚と同様、取引きではなく、信頼関係なのである。だが、聖書が本物である状況証拠はいくらでもある。自然界のシステムは勿論、その美しさや壮大さ、また、クリスチャンたちが歴史において為し遂げて来た偉業の等々、例えばマザーテレサやヘレン・ケラーを単なる思い込みで人生でおくった人とは誰も思ってはいないだろう。それらの客観的事実は、神と出会うことが出来る確実な一歩となる。



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