人生結局は、常識に従って生きるか、聖書に従って生きるか、Going My Way か Going God’s Way かのどちらか。
自己流に歩めば、その道は広くとも、最後は滅びに至り 神様流に歩めば、その道は狭くとも、必ず永遠の命へと至る
そのような人生に導いてくれるのは正に聖霊の力。よって、クリスチャンにとって最も必要なことは、「聖霊に満たされなさい」この一言に尽きる。
では何故、私達は、聖書を細部にわたって読み、学ぶ必要があるのか?
それは、神様から与えられた人生を、豊かに生きるためである。
歴史を知っている 物事の道理が分かる 人間関係に聡い等々・・
その意味において聖書は、人生を豊かに生きるための実に格好のテキストなのである。
自己流に歩めば、その道は広くとも、最後は滅びに至り 神様流に歩めば、その道は狭くとも、必ず永遠の命へと至る
そのような人生に導いてくれるのは正に聖霊の力。よって、クリスチャンにとって最も必要なことは、「聖霊に満たされなさい」この一言に尽きる。
では何故、私達は、聖書を細部にわたって読み、学ぶ必要があるのか?
それは、神様から与えられた人生を、豊かに生きるためである。
歴史を知っている 物事の道理が分かる 人間関係に聡い等々・・
その意味において聖書は、人生を豊かに生きるための実に格好のテキストなのである。
聖書は、神様からいただいた私たちへの人生の指針書。聖書には、たくさんの人々の罪ゆえの失敗談がイエス様によって赦され、神様のご計画=私たち一人一人が神様に愛され、祝福に至る方法が書かれています。
なぜ、聖書を学ぶのか?
聖書は、人が神様によって創られてからの長い歴史の中、いろいろな土地の中での環境、風習、文化、価値観が繁栄され、また、今を生きる私たちの価値観によって、間違った理解で読まれる危険性を持っています。神様の御心、真理をはっきりと知るために、聖書を正しく理解するために、聖書の学びはとても大切です。
今日は、基本的な2つのことを学ぶことができ感謝でした。これから、約1ヶ月、聖書の通読も追い込みですが、完読することにばかり心を傾けるのでなく、その時、その時、神様の語りかけに、私の霊性が反応し、理性も、心も主の導きに従うことができますように、聖書を味わっていきたいです
2016年もあと1ヵ月。今年は通読が全然進まなかった。毎日デボーションをし、聖書は読むものの、まさに「漫然と読む」状態で、庭は荒れ放題。直接教えてくれる人がいない、学びの場がない等々・・言い訳は山ほどある。しかし、手を付けなかったのは、私の選択。まさに自分の十字架を負っていなかった・聖霊様の導きを見ていなかったというだけだった。
聖書は、私たちは何者で、私達がどう生きるかをいつも教えてくれる神様の言葉である。私を創ってくださった神様のインストラクション。真理を見せてくれる知恵の書!救われた時、聖書がすべてを教えてくれることを確信しました。節目となる月の今日、人生を豊かにするために聖書を読み、学ぶ楽しみを再びいただいたことに感謝!一足早いクリスマス&記念のプレゼントでした。ハレルヤ!!
困難にぶつかることがよくある
聖書を理解できなくとも
神の助けは日々注がれている。
聖書をテキストとして生きること
神から離れないで生活すること
それは聖書通り、完ぺきに生活することではなく
日々間違いをおかしていく中
悔い改めていくということ
その中で困難な状況であっても
不思議と最悪の事態は避けられていく
不完全な私たちに
神の介在は必要であることを感じる。