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「友情」30分de一巻 Vol-8

2016年10月16日 | Good News
起承転結がはっきりしていて、美しい文学作品のような素晴らしい文章が紡がれる“ルツ記”。サラッと読んでしまえば、「あぁ~良い話だなぁ~」で終わってしまうかも知れませんが、今迄学んだ聖書の事柄や、当時の時代背景などを照らし合わせると、とてつもなく偉大で深い神様の愛と計画が読み取ることが出来る書簡です 結論を先に言ってしまえば、このルツ記で創世記3章15節のメシア預言が、初めて具体的に示されたのです

まず、つめ。ここで、今迄学んだ聖書の適応が必要になりますが、「ルツはモアブ人であった」事をよく理解しておかなければなりません。モアブ人は、ソドム滅亡の際に登場したアブラハムの親戚であるロトの子孫です。つまり、ユダヤ人とは親戚関係にあたるのですが、モアブ人は偶像礼拝を行っていた為、ユダヤ人からは忌み嫌われていました。民数記の25章には、モアブ人の女によってイスラエル人が偶像礼拝や淫行を行って神の裁きがくだり、その裁きによって2万4千人が死んでしまったという記事があります。モアブ人であるルツが、周囲から差別の目で見られていたことは、当時の社会背景を考えますと、ごく当然のことでした。

どう考えても異邦人の自分は軽蔑されるし、故郷に帰ってもどうやって生きて行っていいのかさえ分からない。そんなお先真っ暗な状態でも付いて行くと言う選択をしたルツは、普通に考えたらあり得ないことで、逆にモアブの地に留まったオルパの方が、常識的な選択でした。でもこの状況は、創世記でモアブの地を選んだロトと、イスラエルの地へ向かったアブラハムと重なります。神様が喜ばれる選択と言うのは、どちらかと言えば、自分的には損だとか、そっちにだけは絶対に行きたくない!と言うような選択の場合が多いのです。

ですが、苦しくとも、神様に喜ばれる選択をしたルツは用いられ、ルツとボアズとの間にオベデが生まれ、それからの何とイスラエルの王ダビデが誕生し、救世主イエス・キリストへとつながる事となりました。ユダヤ人に忌み嫌われていた民族の女性によって、士師の時代の、ぐちゃぐちゃになりかけた、ユダヤ人の系図が回復されたのです。神様の前では全く分け隔てない、民族を超えた神の民としての友情が、ここに表されました。この神の選びの民であるイスラエル人と、異邦人との一致こそが、神様の究極的な目的なのです

   

つ目は、贖いの原形です。当時のイスラエルには“レヴィラート婚”なる社会習慣がありました。これは、戦争や病気等で短命の時代、もし子供がないまま夫が死んでしまった場合、死んだ夫の兄弟が未亡人となった兄弟の妻と再婚して、子孫を絶やさぬようにするというものです。この習慣は特にユダヤ人にとっては、創世記の「産めよ増えよ地に満ちよ」この神様の命令に従う意味がありました。(この習慣は日本にもありましたが、儒教の浸透によって江戸時代中期の武家社会から少しずつ廃れ初め、明治8年には太政官指令によって禁止されました)

日本語の聖書では、「払い戻しの権利がある一番近い親戚のひとり」とか「家を絶えさせないようにする責任のある人のひとり」等と訳されていますが、これをヘブル語で「贖い主(ゴーエール)」と言います。また、当時は家族や親戚が、戦争によって土地を失ってしまったり、他国の奴隷にされてしまったりと言うことがありました。これを助ける際にも、同じ「ゴーエール」と言う言葉が使われました。つまり、ヘブル語の「贖い主」とは、どこか高い所から「救ってやろう」ではなく、そうなってしまったのは、その人のせいではないのだけれど、「その人を心配するあまりに、多大な犠牲と代価を払って、愛する家族を買い戻す」という意味なのです。つまり、これがイエス・キリストの十字架の贖いの原形なんです

そして、つ目がメシア誕生の原形です。ルツ記4章13節には、ボアズがルツを娶ってルツが男の子を“身ごもった”と言う記事がありますが、ここを注意して読んでみると、“主が身ごもらせた”と書いてあります。普通なら“ボアズが彼女のところに入ったので彼女は身ごもった”と書かれる筈です。通常、身ごもる(妊娠する)という言葉は、ヘブル語の“ハーラー”という動詞が使われますが、この箇所では“身ごもる”ではなく“受胎”と言う名詞が使われています。この言葉には“神が与える”、“神が願いを叶える”と言う意味が含まれています。

この“受胎”と言う言葉は、旧約聖書では本書以外には、ホセア書9章11節にしか出てきません。この箇所は、神様の裁きについて書かれてあります。これは、ギブア、ぺエル、ギルガルの罪による裁きで、ギブアは士師記19章のベニヤミン族の蛮行、ぺエルは民数記25章の事件、そしてギルガルは当時の偶像礼拝の中心地でした。ところが、この神様の裁きが、「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神」と信仰告白をした、1人のモアブ人の女性ルツの祈りと献身によって赦され、イスラエルの王、そして、全世界の購い主であるイエス・キリストへと繋がる“受胎”が与えられたのです

聖書にある神の摂理とは、人間には決して考えの及ばない、最高に美しく素晴らしいものです。高学歴であるとか、家系であるとか、民族だとか、どれだけ出世したかなどの、人間的な価値観では、神に用いられるかどうかは関係がないのです。例え弱くても、例え小さくても、神様によって正しい選択をして、神様によって苦しい所も乗り越えたら、神様はあなたを、そして私でも大きく用いて、神の民としてくださいます。ルツ記は、そんな素晴らしい神の計画が読み取れる、素晴らしい書簡です。日々の選択を、神様に喜ばれ用いられるものとして行きたいものですね。ハレルヤ (Report by Yuka)




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やっぱり信仰義認! (Mimita)
2016-10-16 10:46:16
イスラエルの人々に忌み嫌われていたモアブ人。
そのモアブの女性、ルツがイスラエルの王様になるダビデの系図に、そして、全人類の救い主、イエス様の系図に記されているとは、神様の偉大な計画に改めて驚きと感動を覚えます。
ルツの信仰告白〈ルツ記2:16-17)を読むと、神様は信仰を告白した者を必ず、救い、祝福へと導いてくださることを今も昔も必ず約束し、実行してくださるのだと確信しました!
メッセージに感謝します。
信仰と導き (田中ケント)
2016-10-22 21:05:05
今日のメッセージで僕の心に入った御言葉は、信仰と導きでした。今日の聖書箇所で"たまたま"っと言う言葉を見て驚きました。人生ではよくたまたまや偶然と言う言葉を使いますが、クリスチャンには私達を導いて下さる神様がおられます。自分にとっては”たまたま”なのかもしれませんが、そこには神様の計画と導きがあるのです。人生は自分の思い通りには行きません。いつも色々な悩みや苦しみにぶつかるのですが、そこに神様が共に導いて下さっているんだと言うことが聖書に約束されています。僕も良く悩んだり、落ち込んだりもしますが、イエス様に信頼して、今与えられている環境で神様の栄光の為に働き、たとえ自分の思う通りに行かなくても、イエス様の最高な恵みにあずかる事を信じて行きます。
ルツ記の奥深さ (渡邊孝至)
2016-10-23 11:17:15
ルツ記のメッセージは過去、先生から何度か聴いていましたが、今回、この世側に残るか、神様側に移動するか、その選択によって、神様がどのように私達に働いてくださるのかという事がよく分かりました。また、今回のメッセージでルツ記の新たな奥深さを感じることが出来ました。ペンテコステで何故ユダヤでルツ記が朗読されるのか?その意味が少し分かりました。感謝します。
神様に喜ばれる選択 (渡邊由佳)
2016-10-24 05:50:38
偶像崇拝を行ってユダヤ人からは軽蔑されていたモアブ人の女によって、途絶え掛けたユダヤ人の系図が復興された。神は何時でも最も小さくて、弱い者を用いて、想像も出来ない程、大きな事を成し遂げる。そして、神の器として用いられる人は、必ず神の喜ばれる選択をしている。その選択は、人間的には選びたくない、辛いものである事が多い。しかし、その試練を乗り越えて練られた人物こそが、ルツのように神に用いられるのだ。辛い事や、苦しい事から逃げてばかり居ないで、本当に神様に喜ばれるのはどちらだろう?と常に考えながら、生きていきたいものである。
網の目の様な神の御計画 (なつ)
2016-10-25 08:09:42
クリスチャンになってから、学んだこと。「人生には、たまたまや偶然は無い」

ユダヤの祭りで、ルツ記が読まれ、その祭りが、7週祭(小麦の収穫祭)で、ペンテコステと重なる。レビ記で祭りを調べてみると、23:10から初穂の捧げ方と落穂の律法が書かれている。

ナオミとルツは、その落穂を拾って飢えをしのぎ、 ボアズは奉公人達に、わざと多く麦の穂を落とす様に命じた。また、ナオミはレヴィラート婚に基づいて、ルツをボアズのもとに送った。

私はこの程度しか、分かって無いが、この短い、一見ほっこりとした物語風の記事には、もっと沢山の神の技が、網の目の様に散りばめられているのだろう。ペンテコステで聖霊が降り注ぎ、信仰を告白した者は、たとえ異邦人であってもその信仰に拠って、義と認められる。ルツもまた、「ナオミの神は私の神」と信仰告白している。

信仰告白した後のルツは、とても強いと思う。神を信じ、母(もはや姑とは呼ばない)に従いたい。しかし。聖書の行間から、匂い立つのは異国の地で暮らす悲壮感より、未来に目を向けた者のワクワク感がする。私も是非ルツに、習いたいと思った。
神様の奥義 (Mu)
2016-10-26 17:46:01
ルツ記は、ユダヤ三大祭りの一つ、七週祭の時に朗読される巻物の書。異邦人の女性の名がタイトルになっているという、ユダヤ人世界観では極めて異質な存在のこの書が、なぜ七週祭(シャヴオット)、クリスチャンにとっては聖霊降誕を記念するペンテコステの日に朗読されるのか?そこに秘められた深い真意、神様の思いを教えられ、愕然とする思いでした。

神様の導きには偶然はない。今、朝のデボーションがホセア書であったこともほんとうに感謝。「あなたたちはわたしの民ではなく、わたしはあなたたちの神ではないからだ(ホセア1:09)」とホセアに言われた主の言葉が、「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神 (ルツ1:16)」という異邦人女性ルツの信仰告白によって、一つにされていくこと。異邦人の救いなど眼中にあるはずもないユダヤ人が、知らずのうちに「祈り」に導かれ、図らずもそれを毎年毎年続け、”選びの民であるユダヤ人と異邦人との一致こそが神様の救いの究極の目的”であるとが、ここにはっきりと語られていること。そして「ルツ」の名が「友情」を意味していること。正に神様の奥義!!と深い感動をいただきました。

聖書は深い!そしておもしろい!前回言われたように「人間の反逆の歴史が延々続く」これからの歴史書にも何らかの形で神様の思いが刻まれていることを確信し、これからの学びにますます期待を膨らませています!
大海原の如し (えんぢぇる)
2016-12-27 15:47:25
今回のレポートは、東京足立区教会の由佳ちゃんが書いてくれました。私はこの教会で定期的に集会を持たせてもらっていますが、彼女のアプリケーションはいつも理路整然と的を得ており、今回のレポートもとても初めてとは思えないほど、素晴らしくまとまった内容です。特に彼女は本書に熱い思い入れがあった分、今までの積み重ねが集約された感じがしました。感謝!

正に聖書は大海原の如し。奥に入って行けば行くほど、深くなって行くのが分かります。しかし、その向こうには、真理の宝が未知数に・・。我々は未だ海辺でちゃぷちゃぷとやっているようなもの。そこで!30分de一巻の目的は、とても行き着く事など出来ないにせよ、せめて大体の形を見渡せるようになることです。共に学んで行きましょう
神の計画の偉大さ (itou)
2017-01-30 07:33:07
3度聞いても、感想が書けません。
内容が深く広いためです。
異邦人との一致のことも含み、今に生きている書であることに驚いています。
まだつかめていません。
時代背景を少しですが、想像すると生きられないような世界が広がっていたのですね。
信じられないような。
ナオミの家族は礼拝を守っていた事がうかがい知れます。
ナオミとモアブの女オルパとルツの事はよく黙想してみたいところです。
神様のご計画の偉大さに圧倒されています。
本気でイエス様を喜ぼう! (伊東考文)
2017-05-11 21:59:07
ハレルーヤ。

感謝します。ルツ記、何度も聞きました。これまた、奥が深いですね。学んだことを、箇条書きに記してみます。

・異邦人の女性(モアブ人)の名が聖書の巻の名前に記されているのは「ルツ記」だけである。

・ユダヤ教の7週祭(クリスチャンにとってのペンテコステの日)にメギロースとして読まれている。そこで、先生が言われる異邦人との一致が示されている。

・「受胎(神が与える。神が願いをかなえる)」という言葉が使われているのは、「ホセア書」と「ルツ記」だけである。そこには神様の直接な働きが表されている。

・先のヨシア記のラハブの事とも重なり、興味深く感じています。

「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神(1:16-17)」のくだりは、実に感銘深いです。数々の不幸に落とされ、ただただ受け止めて歩くしかなかったナオミを見てきたルツの姿から多くの事が見えます。ナオミの神への信仰、その心には棘はなかったであろう様子。そんな生活の中で育ったナオミへのルツの思い・・・。

色んなものが見える様です。二人、いや三人の魂に神様が寄り添っていた事でしょう。 三人とも神に育てられたのだと思います。ルツのナオミへの思い。ナオミが従っている神への思い。従順だったルツは素晴らしいと思いました。 

ちなみに、新改約の引照を見てみました。同じような所が二つありました。その中でエリヤとエリシャの箇所は、これと重なるところがあると思いました。どちらも本気です。私も、本気でイエス様を喜ばなければ!

ありがとうございます。 多くの事があり、学び切れてません。少しづつ、身にしていきます。次のサムエル記をお送りくださいませ。全ての良きものを下さるイエス様に感謝します。
ルツ記の奥深さ追記 (Takashi)
2017-12-03 11:17:23
ルツ記が単なる物語ではなく、イエスキリストにつながるために重要な書であることがよくわかった。
しかもユダヤ人から嫌われていたモアブ人である彼女たちを、あえてイスラエルの救いのために神は用いた事、
神はそのようにふさわしくない者をも神の御用のために用いてくださるという、
私たちが信仰生活を送るうえで、どんな人間でも神は様々な場で用いてくださるという事に希望を感じた。

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