やさしい古代史

古田武彦氏の仮説に基づいて、もやのかかったような古代史を解きほぐしていこうというものです。

番外編(5)

2007-05-21 12:50:10 | 古代史
 戦後の歴史学において、津田左右吉博士の「記紀において、神話や(宋書に現れる「倭の五王」に比定される諸天皇以前の)説話は、机上で考えられた造作である」という説が一般化され、(博士の文化勲章受賞などを経て)学界に公認されるようになりました。
ですから「記紀の神話などに頻繁に現れる天の香具山」と「万葉集の天の香具山」を別物と考える、いや同じものとするのは学者にあらず…という風潮が生まれているのだそうです。
しかし古田先生はいわれます。記紀及び万葉集というのは、同じ王朝の胎内で・同じ都の平城京において・同じ人々の手になるものだ。それを鑑みれば、「文献処理の厳密性」という点で、二つの「天の香具山」を別物とするのには一点の疑惑がある…と。

 そのような目で、次の古事記を見た場合どうなるのでしょうか。小碓命(おうすのみこと。倭建命・やまとたけるのみこと)が吾妻から科野を経て、尾張の美夜受比売(みやずひめ)の元へ帰って来た時のことです。
岩波古事記より引用しましょう(p217)。
 <ここに美夜受比売、それ意須比(おすい。着衣の上に重ねて着る衣装)のすそに、月経(つきのさはり)つきたりき。故、この月経を見て御歌よみたまひしく、
    ひさかたの 天の香具山 利鎌(とかま)に
      さ渡る鵠(くひ) 弱細(ひはぼそ) 手弱腕(たわやかいな)を
     枕(ま)かむとは 我はすれど さ寝むとは 我は思へど
      汝が著(け)せる 襲(おすい)のすそに 月立ちにけり
とうたひたまひき。ここに美夜受比売、御歌に答えていひしく、
    高光る 日の御子(みこ) やすみしし 我が大君 あらたまの
      年が来経(ふ)れば あらたまの 月は来経(へ)往(ゆ)く
     諾(うべ)な諾な諾な 君待ち難(がた)に 我が著せる
      襲のすそに 月立たなむよ
といひき。>
一般的に言えば、女性の生理という日常の生活の中の経験が、男女の問答歌という形で生き生きと詠われている…と(古田先生を含め)理解されていたようです。
しかし本当にそうなのでしょうか。

 まず、女性が男性に向かって呼びかけているところをみましょう。
    高光る 日の御子
岩波古事記では「高光る」を「日の枕詞」とし、「日の御子」を「太陽のように輝く皇子の意」としています。しかし古田先生は、「"太陽信仰の祭祀者を受け継ぐ者"、"神聖な太陽の光を受け継ぐ者"に対する美称で、皇子などにはふさわしいとはいえない。少なくとも、第一権力者にこそふさわしい」といわれます。かつ、
    やすみしし(八隅知し) 我が大君
同じく岩波古事記では、「やすみしし」を「我が大君の枕詞。語義未詳。万葉には、八隅知之、安見知之などの訓字が用いられている」とし、当然「我が大君」とは「小碓命」を指すとしています。しかし古田先生は、「"国の隅々までを、あるいは安らかに統治されている我が大君"とは、当然その地の第一権力者、天子や大王である。諸の皇子の呼び名ではない」とされました。そして、
    高光る 日の御子
    八隅知し 我が大君
と並び称された場合は、第二皇子(兄に大碓命がいる)としての小碓命(倭建命)には妥当し得ない…ともいわれます。確かに小碓命に対する呼びかけとしては余りにも重々しく、そうであればお尻がこそばゆくなるようなおべんちゃらにしか聞こえません。

 そして歌そのものより見れば(古事記の説話は歌の前書きと見て、いまは忘れて)、この歌は小碓命に関するものではないようです。
また私たちは「天の香具山」は大和のそれではなく、豊国別府の「鶴見岳」であることを知っています。ですからこの男性は、恐らくは九州王朝の天子、または豊の安万(海部)の大王なのです。そして女性は、その地の教養ある遊女…。
天子(大王)はこの地で、長く遊女と遊んでいます。月が明け年が変わり…、天子はそろそろ帰ろうと腰を上げようとしています。
しかし遊女は、「高光る…」と持ち上げて見せた上で、
    あらたまの 年が来経れば
    あらたまの 月は来経往く
「時が過ぎて新しい年や新しい月が来るなんて、分かりきったこと…」とさらりと言い返します。ですから「月」は、決して「月経」ではありません。
この「あらたまの」を岩波古事記は「年や月にかかる枕詞。語義未詳」としていますが、上の例からいえば古田先生は「年や月が改まって経過する」という意味だろうとされました。
男性歌の最後「月立ちにけり」の原文は「都紀多知邇祁理」ですが、これを「月経ちにけり」としても何も女性の生理「月経」ではなく、あくまで「月が経っていく」ということでしょう。「朔(つきたち)、一日」のことです。
「汝が著せる 襲のすそに 月立ちにけり」とは、「あなたと夜を共にし添い寝し続けているうちに、もう「昨月」は終わり新しい「月」が始まった」という意味とされました。
女性歌の「襲のすそに 月立たなむよ」は、「わたしの着ているおすいの側で、月が変わっても(今月も)過してほしいわ」と"駄々をこねている"、コケティッシュな媚態を見せているといわれます。
古事記の大安万侶は、九州王朝の歌を盗用し、天子と遊女の問答歌を小碓命と美夜受比売との問答歌に換骨奪胎したようです。そして誤解して、古事記本文に「その月経を見て御歌よみたまひしく」などとしたのです。あくまで「月が経つ」という状況を、「月経」に変えてしまうとは…。

 では現代語訳では…、
(天子):天の香具山(鶴見岳)を、鋭い鎌のような形をして"くび"(雁の一種か)が渡っていく。お前のか弱くて細い、しなやかな腕を枕にしようとは、わたしはしているのだけど、一緒に寝ようとは、わたしは願っているのだけど、お前が着ている"おすい"のすそで、もう月が経ってしまった(新しい月が始まった)。
(遊女):高光る日の御子、八方の領土を支配されている我が大君、あなたは最高の身分のお方。新しい年がやって来れば、新しい月が来往くのは、知れたこと。わかってますよ、わかってますよ、ええわかっていますとも。(いったんあなたが帰ってしまわれると)また来られるまで待ち焦がれている、このわたし。わたしの着ている"おすい"のすそで、新しい月が経ってほしい(来月になってもいてほしい)。
なかなか艶めいた歌でした。