Good News

その日の説教で語られる福音を、ショートメッセージにしました。毎週更新の予定です。

8月5日のGood News

2018年08月09日 | Good News
「イエスの掟」(ヨハネ福音書15章9〜12節)

8月という月は、この国にとって「平和」について考え、振り返り、思索し、祈る月です。天皇によるいわゆる玉音放送が流れたのは、1945年の8月15日。ですからいちおうこの日が終戦記念日と言われていますが、この日を境にしてピタッと戦争が終わったわけではなく、千島列島ではロシアとの激しい戦闘が始まったばかりでした。アジア諸国を侵略し、連合国と無謀な戦争を始めた日本は、当然のことながらその戦いに負けました。あれから73年…それは遠い昔の話でしょうか?確かに、私のような戦争を知らない世代はそうかもしれません。しかし、私の両親あるいは祖父母の世代になると、あの戦争のまっただ中で幼年時代を過ごし、兵隊にとられて、想像を絶する苦渋をなめた世代です。皆さんの中にも、同じような時代を生き抜かれた方がたくさんおられることでしょう。そのような方々の話に、今こそ私たちは真剣に耳を傾けなければならないと思います。

さて、本日の平和主日のテキストに入りましょう。イエス・キリストは言われました。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」。もっぱら福音を語られたイエスさまが唯一の掟として私たちに課したこと。それは、「互いに愛し合いなさい」という掟でした。互いに愛し合う…なんだ、それだけか?簡単じゃないか?と思われるでしょうか。もちろん私たちは自分と話しが合う人、気が合う人とは、うまく付き合っていけます。しかし、中にはそうでない人もいる。どうもうまくいかない人、気が合わない人、出来れば自分からは近づきたくない人というのが必ずいるものです。そのような人をも、例外なく愛する。その人の尊厳を認め、存在を慈しむ。それが、イエスさまが私たちに与えられた掟なのです。イエスさまが与えられたその唯一の掟を私たちが守ることさえ出来れば、この世からありとあらゆる戦争はなくなるに違いありません。

ではなぜ、そのような掟をイエスさまは私たちに課せられたのでしょう。それは、イエスさまご自身がすべての人を誰一人の例外もなく愛されたからです。すべての人間が負っている罪を赦し、あがなうために、自ら十字架に架かられたからです。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」。この御言葉は、真実です。この御言葉のとおりに生きられたキリストは、十字架の死から復活し、今も生きて私たちを愛してくださっておられます。だから、「互いに愛し合いなさい」。愛は、自らを他者に与えなければ、決して与えられることはありません。愛とは、その人のために考え、思い、祈り、絶えず目を覚ましていることです。皆さんの眼が、これからもしっかりと開かれ、研ぎ澄まされ、愛と慈しみに満ちた眼差しとなりますように。